第137話

文字数 1,151文字

あたしは新聞受けから静かに鍵を取り出し、それを用いて開錠した。音が鳴った。あたしはそのまま動かないで、耳を澄ませた。なかで動く気配はなかった。

あたしは足を靴から出して踵部分を踏み、ドアノブを(ひね)ってそっと扉を開けた。それから持参した荷物がどこにも当たらないように気を付けながら、なかに入った。

扉を閉めたあと、あたしはその場でじっとした。もう酒臭かった。

目が慣れると、窓から差し込む街灯の明かりで、そこそこ見えた。遠くにバイクの走る音が聞こえたのをきっかけに、あたしは靴から足を抜き、部屋にあがった。

あたしは足で前を探りながら、少しずつ進んだ。風呂場で洗面器を取り、キッチンに戻り、シンク横のワークトップに置いた。そこにはゆりさんに渡してもらった紙袋が置いてあった。あたしはそれが空なのを確認し、回収した。探す手間が省けたと思いつつ、あたしは持参した物品Xを洗面器に注いだ。

あたしは何も持たず、忍び足でトイレに行き、電気を点けて、その戸をほんの少しだけ開けた。光が漏れ出る。万が一ユウヤが起きたとしても、酒に酔って寝ぼけた頭では「電気を消し忘れた」くらいにしか思わないだろう。あたしは風呂場にでも身を潜めればいいのだ。

あたしはその光を頼りに、奥の部屋に進んだ。ユウヤはベッドのうえで眠っていた。手足がばらばらで、だらしなかった。顔はほとんど見えなかったけれども、寝息が規則正しい。

「こんな奴にも親はいるんだ」

あたしは無防備なユウヤの姿を見て、少し弱気になった。あたしが警察に行くだけでもいいような気がした。

「ゆきちゃんはどうだ? 何をされた? あたしはどうだ? 売られただろう。廃人になってこの世を彷徨(さまよ)ったかもしれないんだぞ。思い出せ」

あたしは辺りを見回した。ミニテーブルのうえに、ゆりさんを通じて渡したお酒があった。ビール缶も床に落ちていた。灰皿に煙草の吸殻があまりなかった。煙草を買えないのだろう。そのぶん、お酒を飲んだに違いなかった。

あたしは(きびす)を返してキッチンに向かった。Xの入った洗面器を持って、もう一度ユウヤの前に立った。テーブルのうえにそっと洗面器を置く。鞄から紙を出し、テーブルの下に放り投げた。

『ベッドのうえで美しく』

紙にはこう書いてある。ここから持ち出した紙だ。もちろん、あたしが書いた。

『いしょ』はどこにあるのか分からなかったが、この部屋のどこかにあるだろう。それで充分だ。あとは警察が捜してくれる。

あたしは静かにYを取り出し、洗面器に注いだ。注ぎ終わると、容器は鞄にしまった。刺激臭が鼻を突いた。目に()みた。

「危ない」

あたしはなるべく音を立てずにトイレの明かりを消し、部屋を出た。鍵を閉め、窓を閉めた。また帽子を目深に被り、あたしは新たなネットカフェに足を向けた。そこで仮眠を取った。


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