第19話

文字数 1,447文字

あたしには父がいなかった。いつからいないのか覚えていないけれど、あたしが這い這いをしているときには既にいなかったようだ。

父について訊くと、あるときの母はあからさまに嫌な顔をし、あるときの母は笑顔でそのとき(そば)にいる男を指し、この人がお父さんよと言った。

そのなかに、しばらくのあいだ父だと見なしていた男がいた。

その男は母の(ひも)。名前なんて覚えていない。

正確に言うと、初めから知らない。

最初、紐はあたしたち――あたしと妹――のことを普通に可愛がってくれていたように思う。

でも、段々とおかしな雰囲気になっていった。はっきりと分かっていなかったけど、何か違和感を覚えていた。

紐はあたしとゆきちゃんと一緒にお風呂に入った。小学生になる前のことだった。

入るのは母のいない昼間。

水鉄砲で遊んでもらえるので、喜んで入っていた。

「ここは弱いところだから、タオルを使ったらいけないよ」

お尻を洗う段になると、紐はそう言って、素手であたしとゆきちゃんの身体を洗った。

そうして少しずつ紐の手が股のあいだを滑ってくる。

「こしょばい」

あたしが足をバタバタとさせると、

「そうか、こしょばいか。ほら、ほら」

紐はあたしの内ももをくすぐった。

あたしはきゃっきゃと喜ぶ。

そうやって少しふざけると、また股間を洗い始める。

「おしっこ出るところだから、きれいきれい」

紐はあたしのお尻のほうから手を入れて、指を割れ目のうえにおく。

前後に動かしながら、膨らみのなかに沈めていく。

何かおかしいと思う。

もちろん、それが何なのか分からない。

ただ、身体の他の部分を洗うときとは違う、念の入った触り方から、紐がそれを望んでいるのは分かった。

だからあたしは意に反して、気付かないふりをし、ある程度、紐の自由を認めていた。

陰部の洗浄なしには済まされないという、紐の発する空気に包まれていて、拒否できないという圧力を感じてもいたし。

しかし、執拗だと、さすがに不気味に思えてくる。そんなとき、あたしは言った。

「もうきれい」

すると紐は案外あっさりと引き下がった。

こういうことは幾度か繰り返された記憶がある。毎回、あたしが「もうきれい」と言ってチラっと顔を見ると、紐はすぐにやめたように思う。

身体に付いた石鹸を洗い流すと、次はシャンプー。

それが終わると、あたしは湯船に入れられて、紐は次にゆきちゃんを洗おうとする。

あたしは本能的にゆきちゃんを守らなければと思った。あたしは強く言った。

「ゆきちゃんはきれい」

「ん? きれいじゃないよ。まだ洗ってないから」

「じゃ、レイをもっと洗って」

紐からすると、獲物が相手から飛び込んできたようなものだったろう。臆することなく、しかし慎重にあたしを前から触った。

紐は指をあたしの割れ目に沈め、前のほうにある小さな突起を押し込むように、あるいは擦り出すように、ゆっくりと動かした。

紐の行為の意味は分からなくとも、あたしは知らずに湧き起こってくる感覚を意識した。

あたしはそれを恐いと思った。別世界へ連れていかれるようで。そして、そこで迷子になるようで。

あたしは不安になって、紐を見返す。

紐は真顔の口元の端に、(かす)かな笑みを浮かべて、あたしを見ていた。見ていたというよりも、あたしの反応を見逃すまいと凝視していた、と言うほうが正確な気がする。

実際、あたしが唇を動かすと、紐の意識がさっとそこに集中するのが分かった。眉を動かせば、紐の注意はやはり眉に飛んできた。
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