第139話

文字数 811文字

「ゆきちゃんは」

「ゆきが大変なときに、いま頃

と」

「だからゆきちゃんは?」

「お前には関係ないよ。出てけ。帰ってきたかと思えば、突然いなくなったり、うんざりだよ」

母の言い方は「あたしが厄介者で、もう縁を切ったのだから」という調子だった。それは本気なのだろうか、それとも意地を張っているだけなのだろうか。あたしは母の顔を観察した。悪かったという思いが表情に現れないかと思って。

少し待っても、その輪郭すら浮かばなかった。あたしの心は暗く沈んだ。

「お母さんは、あたしがどうしてたか知りたくないの」

「知るもんかい。知りたくもない。どうせオトコのところにでも入り浸ってたんだろ」

あたしの視界は滲んだ。

「どうしてそうなったの。お母さんは悪くないの」

「いつまで言ってんだい。済んだことをぐちぐちと」

橋が崩落するように、あたしのなかで何かが落ちた。

「それ、お母さんが言う台詞(せりふ)じゃないよ」

親が子に対して、という意味ではなく、加害者が被害者に向かって、という意味だった。

「生意気にいっ。わたしがどれだけ迷惑したかっ」

どう解釈したのか分からなかったけれども、母は怒り狂って向かってきた。あたしは母の両腕を掴み、横に受け流した。母は案外簡単に尻餅をついた。

「ゆき……」

ゆきちゃんはどこにいるのか、と訊こうとしてやめた。改めて考えてみると、あたしにはもうその資格がない。恥となる姉だ。

「親不孝な()だよ」

母はあたしを下から睨んだ。その通りだ。しかし、

「この母親(おや)にして、この()ありってことか」

あたしは心のなかで呟いた。

黙って家を出た。

十日ほど経って、ユウヤの死が明らかになった。訪ねてきた知人が亡骸(なきがら)を発見したらしい。

『自殺の可能性が高いとみて、慎重に調べを進めている』

記事にはこうあった。あたしは全体を何度も読み返すと、しばらくのあいだ、記事を映し出すモニターをぼうっと眺めていた。

目的を果たしたのだ。しかし、満足感はなかった。脱力感がひどかった。

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