第54話

文字数 747文字

悪漢に近付かれても困るけど、正義感や好漢に来られても困る。彼らの対応に乗ってしまうと、結局は警察の世話になるのと変わらない。


歩き出したあたしは、行き先に関し、もう頭を悩ませていなかった。公園を出るまでのほんの少しのあいだに、あたしのなかで行く先が決まってしまっていた。


あたしが働けるだろうか。働けるところがあったとして、保証人もいない中学生を雇うようなところ、まともな組織でないことは考えるまでもない。上司には松島や武男のような男がたくさんいるだろう。先輩女子にはストレスの()け口にされるだろう。しかも救済窓口はない。そのうえ、仕事そのものも、恐らくできない。いろいろなことに関し、見えない不安が尽きなかった。


このとき、あたしにあるのは肉体だけだった。その肉体を失った場所がある。唯一の持ちものを失い、他に守るべきものがない以上、そこでの不安の上限は見えている。


もちろん、そこでも不安が全くないわけではない。けれども、輪郭(りんかく)の見える不安と、何も見えない不安、どちらを相手にするのが楽か、言うまでもないように思われた。


もっとも、これは理屈のうえでの、皮相的な結論だったと思う。あたしが持っていたのは肉体だけではなかったからだ。


誇りがあった。しかし、自覚し得なかった。


この当時のあたしにとって、最も抗議したい相手は母だった。母に屈することだけはどうしても許せなかった。


「お母さん、あなたよりも自分を侮辱した相手に頭を下げるよ。情けない娘でしょ? でも、どうしてそうなったの?」


まるで空気に噛み付くかのように、想像の母を相手にあたしは戦っていた。これを意地のなせる(わざ)だと思っていた。この意地が誇りに根差していると、あたしは理解していなかった。


何も気付かないままに、あたしはユウヤの部屋に足を向けていた。
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