第30話

文字数 1,723文字

次の日、女子たちのあたしへの風当たりはさらに強くなった。

トイレに入っていると、水が降ってきた。トイレから戻ると、椅子がなくなっていた。机に落書きもされた。ノートがなくなったかと思うと、それが教卓のうえに置かれていることもあった。

「学校に来たくない」

あたしは心のなかで呟いた。

しかし、不登校に陥るのは、彼女たちの理不尽を許容するようでいやだった。いやだけれども、戦う勇気はなかった。結果、やはりあたしは独りでいることになった。

そんなあたしに、ときどき、創希が話しかけてきた。そのたびに、あたしはけんもほろろな対応をした。

「察して」

あたしは心のなかで、こう叫んでいた。

こうした悶々(もんもん)とする日々のなか、親切に振舞ってくれる男子がいないではなかった。けれども、あたしは「ほっといて」と言わんばかりの態度をとった。親切な男子は、噛み付かれるのを恐れるかのように、離れた。あたしは、あたしが受ける親切を吟味(ぎんみ)する余裕がなかった。

ある日、あたしが教室のなかで大谷たちに囲まれていると、突如怒鳴り声が響いた。

「よそのクラスのお前ら、出て行けっ」

声の主はヒロだった。ヒロはあたしたちのもとに近付いてきて、大谷の腕をつかみ、あたしから引き離した。ヒロは細いのに、見る限り、すごい力だった。

「ったいなー、何すんのよ」

大谷はヒロを睨んだ。

「うるせえ、出てけ」

ヒロは大谷の肩を突いた。大谷は後退(あとずさ)る。

「女のくせに、何やってんだ」

ヒロは続けて言葉を浴びせた。大谷の顔は紅潮する。

「あんたに関係ないでしょ」

「お前の方こそ関係ねーだろ」

ヒロはこう言って、大谷の太ももを蹴った。大谷は顔を両手で顔を押さえて、ワッと泣き出した。

「お前らも出てけ。女だからって関係ねーぞ」

ヒロは大谷と一緒にいた二人の女子たちも続けて突き飛ばした。二人とも不満そうな顔をした。何か言い返したい様子だったけれども、圧倒され何も言えないようだった。

結局、二人は大谷に寄り添い、三人で教室を出て行った。

「女に暴力を振るうなんて最低」

こう思うクラスメイトはいただろう。けれども、現実に口にする者はいなかった。

ヒロは、どちらかと言うと、恐れられている存在だった。不良グループの輪に加わっていて、格好も態度もそれらしかった。

ただし、筋金入りというわけではなさそうだった。喧嘩早(けんかばや)いように見えても、実際に喧嘩をするわけでもないようだった。そんな噂を聞いたことはなかったし、顔を腫らしていたり、怪我をしているところを見たこともなかった。第一に、成績は優良だった。

恐らく、頭がよいので、うまくはったりを利かせているのだろう、と思われた。そのはったりの程度が、平凡な中学生には分からないので、ヒロと係わるための計算がたたないのだ。大谷を突き飛ばしたように、実際に手を出すこともあったので。

「正義感ぶってクラスメイトでもない大谷に味方し、結果、ヒロと対立する。それで一体何を得るのだろう」

皆、こう考えたに違いなかった。

あたしはヒロの迫力に気圧(けお)されて、「放っておいて」という態度をとれなかった。形のうえでは助けられたことになるので、ボソッと言った。

「ありがとう」

ヒロは眉をあげ、目を細めてあたしを見ただけだった。

「どうしてあたしを助けたのだろう」

当初、あたしは不思議な思いを抱いていた。そして、しばらくすると、その不思議な思いは、気になる思いに変化した。ただ、その思いに心の底から呑まれるというほどではなかった。ヒロの「女のくせに」という言葉が引っかかっていたからだ。

その後、ヒロに誘われる形であたしたちは付き合うことになった。けれども、それは、少なくともあたしの場合は、恋心を根にしていなかった。ヒロといれば安全が確保されるという打算が優っていた。新しい人間関係が人生の何かを変えてくれるのでは、という期待もあった。それに何より、独りでいるのは寂しくもあったし。

母のことも、不思議と気にならなかった。ヒロはいわゆるイケメンではなかったし、癖のある人物だったからかもしれない。顔のいい男と幸せになるのでなければ、頭のなかの、想像の産物である母の許可はいらない。

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