第76話

文字数 1,050文字

出発してすぐユウヤに訊いた。


「ユウヤは」


ユウヤはこのまま同乗するのか、いつ警察に出頭するのか。そういう意味だった。ユウヤはその意味を理解したようで、こう答えた。


「このまま署まで送ってもらう」


「それでどれくらい入ってるの」


「えーと、どれくらいだろ。二年か、三年か……」


「決まってないの?」


「いや、あの、ほら模範囚だったりすると短くなったりするだろ」


「五年だよ」


与田が割って入った。


「あ、そうだ五年だ」


ユウヤは思い出したように言った。


下道(しもみち)君は自分のことなのに、いつも他人事だから、結局最後には他人(ひと)に頼ることになるんだよ」


与田の口調は(いさ)めるようだった。


「すみません」


ユウヤの調子が落ちた。神妙な面持ちにもなった。


あたしはこの会話に違和感を覚えた。しかし、あたしの心のなかで、この違和感の背後に控えている裁判所が余りにも大きく、生じた違和感は自然と消えてしまった。


それからしばらく沈黙が続いた。うるさいエンジンの音とワイパーがガラスを擦るギュッ、ギュッという音が漂うだけになった。


「やまないな」


信号待ちをしているとき、与田が呟いた。街は暗く、雲は厚そうだった。


ユウヤはじっとしていた。すると与田はふーっと強く息を吐きだした。わざとらしいため息のように聞こえた。


ユウヤは与田の後姿を見つめた。何かを検索するかの如く、ユウヤの眼球は痙攣するように小刻みに動いた。


「あっ」


ユウヤは声を漏らした。それから助手席に手を伸ばし、鞄を取った。


「怜佳、緊張してない?」


ユウヤは鞄を開けた。


「え? ああ、多少は……」


あたしにとって裁判所は、冗談の通じない賢い人たちが、高度な知識を一ミリも(たが)わずに運用して人を裁くところだった。市役所での手続きすらしたことのないあたしにとって、それはもう荘厳な場所に違いなかった。


「ユウヤに酷いことをされながら、何故再びユウヤのもとを訪れたのか」


あたしはこういう質問を漠然と恐れていた。その答えとして、あたしなりの理屈はあったけれども、それが世間一般で理解されないであろうことは充分に承知していた。厳格な人たちが相手であれば、逆に甘えていると叱責を受けるかもしれない、そんな恐怖すら感じていたのだ。


「あたしに弁護士はいらないのかな」


「弁護士? いらない、いらない」


ユウヤは即座に否定した。


「必要ないですよ。怜佳さんは被害者なんだから、どちらかと言えば、文句を言ってればいいんですよ」


与田も言った。


「ほら、コーヒーでも飲んで落ち着いて」


ユウヤは鞄から魔法瓶を取り出し、コップにコーヒーを()れた。
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