第78話

文字数 829文字

あたしはユウヤの余韻の残る入口を眺めた。これでほぼ落着したのかと思うと、あっけない気もした。


「どこの部屋に向かうのだろうか」


あたしは建物を見あげた。四階建ての建物のほとんどの窓に明かりが点いていた。それが分かっただけで、ユウヤがどの部屋に向かうのか、もちろん見当も付かなかった。


それにしても古い建物だ。暗いなか、雨に打たれる建物を見て思った。建てられて五十年くらい経っていそうだった。バリアフリーに対応していない入口、外壁の汚れ、重そうな窓など昭和の遺物に思えた。


「じゃ、行こうか」


与田は言った。車は再び走り出した。


沈黙が重苦しく感じられた。けれども、適当な話題などなかったし、頭に締め付けられるような圧迫感もあったので、あたしはただ前を眺めていた。車の流れは(とどこお)っていた。


雨足はまた強くなった。


前の景色が雨に滲む。ギュッとワイパーが動く。すると一瞬くっきりと見える。しかし、すぐ滲む。


前方のテールランプ、看板のネオン、信号、それらの光が滲んで広がり、ワイパーで隅に運ばれる。


滲んで、ギュッ、くっきり。


滲んで、ギュッ。


滲んで……


身体が大きく揺すられた。姿勢を保とうにも保てないほどに。


「地震だ」


あたしは思った。視界がぐるんぐるんと回転した。


「く、車が」


意識が飛ぶ。


周囲は騒がしい。マイクによるがなり音が聞こえる。それを(はや)し立てる声が響く。


腹部が圧迫されたかと思うと、大地が跳ねあがり、あたしは前に放り出された。


人が重なってくる。重い。耳元で声がする。鼻息が当たる。


誰、この人。意識がないのか。


確かめようにも、あたしは動けない。声も出せない。


何かが突き刺さっているのかもしれない。腹部に違和感がある。生暖かい液体を感じる。血液だろうか。痛い。


どうして周りに人がいないの。


「いた」


たくさんいる。でも、助けてくれない。何で?


あたしに価値がないからなの? 何故、価値がないのを知っているの?


「困っているのだから、助けて」


あたしは叫んだ。


「助けてくれたっていいでしょう」
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