第22話

文字数 1,640文字

ユウヤの部屋を出たあと、自宅に帰った。玄関には怒った顔をした武男がいた。

パチンコか何か、ギャンブルに負けたのだろう。そういうときの顔をしていた。そもそも勝っていれば、飲みに行って、日付が変わってから帰ってくる。

「何してた? どうして電話に出ない?」

父親(づら)しないで欲しかった。

「電話なくした」

あたしは顔も見ずに答えた。

「なくした? どーしてなくすんだ?」

「他人に関係ないっ」

あたしが言うと、武男は目を剥いた。そして、

「生意気言うな」と、あたしの頭を(はた)いた。

もういい加減にして欲しい。

面倒。

うるさいよ。

あたしは黙って階段をあがった。すると、武男も追ってあがってきた。

賃貸の古い長屋。

焦げ茶の階段は、よく踏まれる個所の色が()げ落ちていて、足を載せるたびにみしみしと音が鳴った。

二階には二間しかない。あたしの部屋とゆきちゃんの部屋。

あたしは明かりの()いているゆきちゃんの部屋に入った。

ゆきちゃんは携帯電話の画面を覗き込んで、壁に背を当てて座っていた。壁は砂や(わら)、紙が交じったような土壁。

ゆきちゃんの部屋の壁はきれいだったけれども、台所や階段横の壁はあちこち崩れていて、その部分は土そのものの色をしていた。崩れた砂が、毎日掃除をしない我が家では、ときどき床のうえに落ちていたりした。

あたしが入ると、ゆきちゃんは顔をあげた。部活から帰ってそのままだったらしく、青のジャージの体操服を着ていた。

あたしを見たゆきちゃんの視線は、すぐにあたしの後ろに移った。

「待ちやがれ」

武男も入ってきた。

「親じゃないでしょ。関係ないでしょ」

「そんな話じゃない。どーして物を大切にしないんだ」

「なくすことくらいあるでしょ」

「気が緩んでるからだろ」

あたしは次に出てくる言葉を呑み込んで黙った。

武男が(うち)に来て二ヶ月くらい。

当初、武男はあたしたち姉妹に対し一定の距離を保ち、どちらかと言うと、模範的な大人を演じていた。女性(おんな)への興味は母に向いていただろうし、その娘に関心を示せば寄宿を失うことになると、さすがに分かっていただろうから。

しかし、根が根なので、しばらくすると元来の人となりが現れた。

母の金でギャンブルをする。勝つと飲みに行く。浮気をする。負けると帰ってきて、不貞寝(ふてね)をする。

母が夜に働かないときは、昼の仕事から帰ってきた母を抱く。母が夜にいないときは、缶ビールを飲んで、テレビを観る。

テレビに飽きると、眠っていた性が目覚める。金はない。母はいない。重たい紳士の皮など糞喰らえ。

あたしとゆきちゃん、二人を比べて、武男は容易(たやす)手懐(てなず)けると踏んだらしく、初めは年少のゆきちゃんに向かっていった。

「勉強のほうはどうだ?」

武男は、こんなことを言って、ゆきちゃんに話しかけた。

しかし、いざ教科書を広げると、

「先生に訊きくように」

「自分で考えることが大切」

などと言って、見もしなかった。一方で、

「彼氏はいるのか」

「クラスで一番可愛いの誰だ」

「ゆきは何番目に可愛い?」

こういう質問を繰り返していた。ゆきちゃんに話しかけるとき、武男は高揚していた。はっきりと分かるくらいに嬉しそうだった。

しかし、ゆきちゃんは取り合わなかった。

「何なのおじさん」

いい歳して何を言っているのか、という蔑視の表情を、ゆきちゃんはまざまざと見せた。

「ゆきちゃんきついなー」

武男は(おど)けたように言った。そのようにして、ゆきちゃんの言葉を冗談に仕立てようと試みるようだった。

けれども、ゆきちゃんはますます軽蔑の表情を強めるだけだった。

それでも、武男は何度か挑戦した。そして、そのたびにゆきちゃんの軽蔑を買った。

武男はとうとう怒る気色を見せたこともある。しかし、実際に怒りを(あらわ)にすることはなかった。代わりに、あたしに係わろうとするようになった。

もちろん、初めからズバッと切り込んではこなかった。少しずつ探りを入れながら、あたしの反応を(うかが)っているようだった。
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