第96話

文字数 920文字

「シャワー行きな」

ヘグ婆に言われて、あたしはトイレ横のシャワー室に入った。シャワー室の戸を完全に閉めることは許されなかった。ヘグ婆は外で待っていた。

あたしはシャワーを浴び、口のなかを石鹸で洗った。鼻腔に湯を流し込んだ。痛かったが、それ以上に気持ち悪いという思いが強かった。何度も何度も唾を吐き、鼻をかんだ。

「早くしなよ」

ヘグ婆が戸の向こうで急かした。どのくらいの時間が経っているのか、定かでなかった。

シャワー室から出ると、ヘグ婆はじっとあたしを見た。何を見ているのか分からないけれども、あたしの身体から(すく)い取れる機微(きび)を探っているようだった。

ヘグ婆はおもむろに(あご)で部屋に戻るように促した。あたしが部屋に入ると、ヘグ婆は階段を下りていった。

あたしは布団のうえに正座した。赤く薄暗い部屋には、淫猥な空気の残滓(ざんし)があちらこちらに漂っていた。

「どうすればいいのだろう」

希望が遠くに去ったように感じた。まだ見えるけれども、見えるか見えないか分からないくらいの小さな点になってしまっていた。次に来る男に期待できるのだろうか。たぶん、できそうにない。でも、結局、頼れるのはそこしかなさそうだった。

「どうしよう」

何か手立てはないのだろうか。

何か。何か。

こんなことばかり考えていると、ヘグ婆と髭男が部屋に入ってきた。ヘグ婆は手に何かを持っている。

髭男は有無も言わさず座ったままのあたしを羽交い絞めにした。

「やっ」

あたしは脚をばたばたとさせた。しかし、逃れることはできない。

「じっとしてな。さもないと一箇所じゃ済まないよ」

ヘグ婆はライターを点け、線香を(あぶ)った。ほどなく煙が立った。

ヘグ婆はすっとあたしに近付くと、少しの躊躇(ためら)いもなく、線香の赤いところをあたしのふくらはぎに押し当てた。

「いっ」

あたしは脚を跳ねあげた。身体の自由がないのに急に筋肉を収縮させたためか、腰に鈍い痛みが生じた。

「お前、自分のしたことを言ってみ」

ヘグ婆はどすの利いた声で言った。あたしはあの男が告げ口をしたのではと、すぐに疑った。

「何のこと」

もちろん、素直に白状するわけにはいかない。

「しらばっくれるのかい」

ヘグ婆はまた線香をふくらはぎに押し付けた。

「あっ」

あたしは飛びあがらんばかりだった。

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