最終話

文字数 1,475文字

あたしたちは色街の南門の前に立っていた。

露食(つゆはみ)新地』

鳥居のような門に、そう書かれている。

「女を沈める街だ」とヘグ婆は言った。必ずしも象徴的な意味ではなく、実際に女性が沈められていたという言い伝えがある。

『露食』は色街の東にある露食神社から来ている。そこには池があり、その昔、人身供犠(じんしんくぎ)として女性が本当に沈められていたというのだ。

この街は、かつて『結界』と呼ばれる高い壁で囲まれていた。ここに売られた女性を逃がさないために設けられたものらしい。しかし同時に、それは池に沈められた女性の霊を外界に出さないようにするためのものでもある、と主張する人もいる。

その『結界』の一部は、いまも残っている。目の前の『料亭』の裏に、黒ずんだ姿を見せていた。

「こんなことになるのなら、あのとき、あのまま警察に行けばよかったよ」

結界を眺めているあたしに、創希が言った。

「行かなくてよかったんだよ」

「残念だ。本当に残念だよ」

あたしは答えなかった。

黙っているあたしの横を若い男が通り抜けていく。昼間でも営業している『料亭』はある。あがり(かまち)(おんなのこ)は座って顔を見せているので、車で覗きながら移動する者もいる。

不思議な街だ。結界の外には、よく目にする日常生活が広がっている。買い物かごを()げた中年女性、自転車に乗った高校生、ランドセルを背負った小学生らが、この街の存在を知らないかのように行き来している。車も東西の通りをぶんぶん走っている。

「青臭いかもしれないけど、僕は『罪を憎んで人を憎まず』だと本気で思ってる。こんなことをさせた境遇が悪いんだ」

創希はぽつりと言った。

「同じ条件でも、あたしのようになるとは限らないから」

「百人の人がいれば、百通りの人生がある。同じ条件の人なんていないよ」

(はり)御神燈(ごしんとう)が、風に吹かれて思い思いに揺れた。門の左右の柱にロープが張られていて、そこに吊るされているのだ。

あたしは門の先に目を移した。南門から北へ伸びる筋の突き当りに、警察署が移転してきていた。バリアフリーの、新しい時代の警察署だ。かすかに見える。

「一緒に行こうか」

創希は言った。

「ううん、独りで」

「待ってるよ」

まさか、とは言えなかった。創希は真剣な顔をしていた。

「ありがとう。新開君、あなたのおかげであたしは助かった」

「助かった、か……」

創希は呟いた。本当の意味で助かっていないと思っているのだろう。けれども、あたしにとっては、これで充分だ。

「助かったんだよ。あなたのおかげ」

あたしが言うと、創希は小さくうんうんと頷いた。創希は目下納得できないことでも、理解できるまでは、簡単に否定したりしない。たぶん、そういう人間(ひと)だ。

「行くね。最後までありがとう」

創希は黙って眉を寄せた。

あたしは門を(くぐ)って、歩き始めた。

途中、四辻(よつつじ)で足をとめた。左手を覗くと、半焼したラビシュがあった。あたしは「この街の全てを焼き尽くせ」と思っていた。しかし、そうはならなかった。

聞くところによると、この街は何度も大火を潜り抜けてきたらしい。女の怨念くらいでは死なないようだ。

あたしはまた歩いて、振り返った。創希はまだ立っていた。

あたしが再びこの地を踏むときも、あのように手を挙げて、彼は変わらず立っている、そんな気がした。

                 《了》



          ――――――――――――――――――


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