第110話

文字数 867文字

地に足が着かないような、ふわふわした日々のなか、またあの男がやって来た。

「人生が苦しいのは自己責任」

それを聞いて、あたしも言った。

「太って血圧が高いのも自己責任」

嫌味を言ったつもりはなかった。オウム返しのように、ほとんど無意識のうちに言っていた。嫌味を言うのなら「太ってモテないのも自己責任」と言っただろう。

「何だよ、お前」

男が気色ばんでいるのを見て、初めて自分はいま何と言ったのだろうかと考えた。

「俺が高血圧だって、何で決め付けるんだよ」

「あたし、おじさんにいま何て言った?」

「ごまかすなよ。お前、馬鹿にしてんだろ」

「そんなつもりないけど……」

頭のなかを探してみると、太った、血圧が高い、という言葉の余韻があった。しかし、あたしはどう言えばいいのだろう。「嫌味じゃない。何となく言ったんだ」と答えて、男は納得するのだろうか。

男は別の点にもこだわった。

「それに『おじさん』って何だよ。『お兄さん』だろ普通。そんなことも知らないのか」

「知らない、そんなの」

「女が口答えすんな」

男はあたしを殴った。あたしは黙って男を睨んだ。

「何だその目は。殺さなきゃ、何やったっていいだよ」

あたしはさらに殴られ、蹴られた。

「接客の基本も知らない奴が」

「あたしは、……くっ、あたしは接客なんてしてない」

「うるせえ、してるだろ。ここで飯食ってんだろ」

「接客じゃない。閉じ込められてる」

「お前はガキだから分かんねえんだよ。これは接客なんだよ」

「知ってるくせに。あたし監禁されてるの、あたしが中学生なの、知ってるくせに」

あたしは泣きながら言った。

「だから、どうした」

「犯罪者じゃないの」

「やっぱり馬鹿だねー。何も知らない。裁判で罪が決まらなきゃ、犯罪者じゃねーんだよ」

「同じことでしょ」

「同じじゃねーよ。犯罪ってのはお前のやってることだよ。売春じゃねーか」

「違う」

「違わねぇ」

男は抱き付いてきた。さすがにあたしは抵抗した。しかし、男の思い通りになった。

「ほら、どうだ。お前は黙って言うこと聴いてりゃいいんだよ」

男は酒臭い顔を近付けてきて、あたしの顔を舐め回した。

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