第134話

文字数 600文字

ネットカフェに戻ると、個室であたしは習字を始めた。お手本はユウヤの書いた文字だった。字を書きながら、あたしはときどきうえを見た。個室だといっても、四方が区切られているだけで、天井はない。覗こうと思えば、覗ける。このとき、あたしは他者(ひと)の目が気になっていたのだった。

それからの日々、あたしは字の練習に明け暮れた。

ユウヤの文字は悪い意味で特徴的だった。その特徴だけは外さないように真似することを心がけた。しかし、簡単ではなかった。特に、我流の行書を使う部分は苦労した。それでも諦めずに、薄い紙をうえに重ねて、透ける文字の線を何度もペンで辿(たど)った。

悪戦苦闘の末、ユウヤの文字を再現できるようになったとき、あたしはユウヤの部屋から持ってきた紙束から一枚抜きだし、裏返した。そして、そこに書き綴った。

『もう疲れた 世間が俺といういさんを失うのは ヤミ金のせい』

あたしはこれをしばらく眺めて、ユウヤらしくないと思った。別の紙に書き直した。

『おれは逃げるのではない 世の中のやつらにこうかいさせてやるのである 世界はおれというレガシーを失ったのである』

あたしはこう書いて、一枚目の紙に『いしょ』と付け足した。一つに限定する必要はない。二枚とも置いておけばいいのだ。

こんな日々を送りながら、必要な物を買った。

頭のなかにいつもゆきちゃんはいた。しかし、考えないようにしていた。すべきことに集中すると自分に言い聞かせていた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み