第94話

文字数 1,006文字

あたしはどのようにして話を進めようかと考えていた。あたしとしては、もうすべきことはした、という気持ちでいた。苦しい思いをさせられたのだから、その対価として、こちらの要求を(かな)えてもらえると思い込んでいた。

「シャワーは?」

あたしは訊いた。

「いらないよ」

男はこのまま帰ってしまいそうだったので、あたしは少し慌てた。

「あたしを彼女にしてくれる?」

「翔子は彼女にならないだろ」

男はあっさりと言った。その顔から真剣さが消えていた。

「どうして? なるよ」

「あのなあ、中学生の考えることが分からないとでも思ってるのか」

「え?」

「翔子を彼女にするためには、翔子をここから救い出さなければならないだろ。どうやって出す? 連れて帰るわけにはいかないだろ。僕が警察に行くしかない。で、何て言うの? 『中学生が監禁されてます。僕はそこの客です』なんて言う? 言えるわけない。仮に客であることを隠したとしても、翔子が(しゃべ)るでしょ。そうしたら付き合うどころの話じゃなくなるし」

男は立ちあがり、トランクスを穿()こうとした。

「喋りません。ご恩は一生忘れません」

男は片足をあげたときバランスを崩して、前後にどすんどすんと跳ねた。

「喋るね。翔子がこんなデブの中年おやじと付き合いたいはずがない。僕から逃げるためにも僕を売るね」

男はトランクスを穿き終えると、腰回りのゴムを引っ張って、パチンとお腹のうえで鳴らした。

「絶対喋りません。絶対に付き合います。だからお願い……」

「翔子は喋らないかもしれないし、付き合うかもしれない。でも、僕からすると、それはリスクの高い賭けだ。そんな賭けをする必要あるか。ここに来て、金を払えば、確実に

のに」

目の前で、分厚く、大きく、真っ黒な幕が下ろされたような気がした。こんどは悲しさに涙が滲んだ。

「僕は正義の味方なんかになりたくないの。翔子を抱いている方がいいの。翔子みたいに可愛い顔して、大人の身体をしてる女が大好物なの。外じゃ絶対に何もできない。でもここじゃ好きにできる。こんないい話あるか」

男が、あたしの心、魂、精神、気持ち、感情、人格、その他何でもいい、とにかく肉体以外の全てを切り捨てているのが伝わってくるようだった。

どうすればよいのだろう。

ふと、ゆきちゃんの顔が浮かんだ。ゆきちゃんなら、策を(ろう)したりはせず、正面からぶつかるだろう。「彼女にして」などと言わないはずだ。

「助けてください」

あたしは率直に言った。

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