第81話

文字数 1,243文字

「電話なんてのは稼ぎ終わってからだよ」

「お金の話をしますから」

男は大笑いした。臭い息がじわっと広がる。

「おい、おい、いい加減に理解しろ。誰が三百万円もの金を払うんだ? そんな金持ちの知り合いがお前にいるのか」

「親に言いますから」

「親が三百万ポンと払うのか。馬鹿か。何の金かって騒ぐに決まってんだろ。これは犯罪なの。犯罪と分かってやってんの。帰さないし、連絡もさせない。決まってんだろ。これからその身体使ってたっぷり稼いで貰うんだからな。恨むんだったお前の男を恨め」

ユウヤに売られたんだと、暗闇に走る閃光のように、頭に浮かんだ。しかし、ユウヤは確かに警察署に入っていった。どうなっているのか。

「警察? 警察だってトイレくらい貸してくれるだろ。それに刑務所って何なんだよ。裁判もしないで刑務所になんて入るわけないだろうに。所詮(しょせん)は中学生だな」

与田が弁護士だというのも嘘なのだろう。車のなかで目が回ったのも、薬を盛られた結果なのだろう。すぐに出てきた結論だった。もちろん『与田蒼』も偽名に違いない。

そういうことなのか。そういうことなのか。あたしは何度も心のなかで呟いた。

男はところどころ歯の抜けた口と小鼻を広げ、ひゃひゃひゃっと笑った。

(るい)みたいな知性の欠片(かけら)もない奴が弁護士なわけないだろう。顔見りゃ分かるだろ。あいつは単なるパチンコのたかり屋。あんなのが弁護士だったら、俺は総理大臣だな。うひゃひゃ、もう少し他人を疑うことをしないとな」

違和感を覚えても、違和感を覚える自分がおかしい。身体の芯にこういう感覚があった。こういう感覚を持つ自分を呪い殺したいと思った。

「お願いします。帰らせてください。お金のことは何とかします。誰にも言いません。お願いします、帰らせて」

あたしは泣いた。

「気張って働け。終わったら帰れる」

目の前の髭男(ひげお)の顔にわずかな同情心も見られなかった。

「こんなの嫌です。帰りたい……」

稼いだら帰らせてもらえるとは思えなかった。髭男は自身で「犯罪」だと認めているのだ。告訴するかもしれないあたしを素直に解放するはずもない。

帰ることができないのなら、この先どうなるのだろう。

何十年も監禁生活が続くのか。そんなことになれば、生きる気力がなくなるほどの廃人にされてしまうではないか。そうして役立たずになれば、この世から消されてしまう。こんな道筋が見える気がした。

「嫌ですから。お金の話なんて知りません。帰ります。親だって探しますし」

あたしは強引に出ようとした。未知の日常生活が日常生活として固まってしまう前に、ここを出るしかない。おかしな運命を壊すのはいましかないと、あたしは思った。髭男にとってもいまが山場のはずだ。目の前にいる小娘がじゃじゃ馬で扱い難いとなれば、もしかすると諦めるのではないか。

「入ってろって。探してなんてないだろ。知ってるって」

髭男はあたしを押し戻した。ごく自然に胸を触りもした。

「何を」

あたしは全身の筋肉が強張(こわば)るのを感じた。脈が高くなり、身体の内側から胸を打った。
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