第25話

文字数 1,415文字

いま一度、母について触れることを許していただきたい。

「あんたの顔、あんたのお父さんにそっくりだね」

母は嫌な気持ちを吐き出すように、ときどきそう言った。

機嫌のよいときにも、機嫌の悪いときにも、言った。

機嫌のよいときに言う場合は、勝ち誇ったように、こんなことも言った。

「そんな顔じゃ、嫁に行けないんじゃないの」

機嫌の悪いときは、さらに父に対する不満を口にした。

生理でしんどいなか、ご飯を作ってやってるのに「おいしい」の言葉がないだの、ちょっとモテるからってイイ男気取りだっただの、学歴があるからって妻を馬鹿にしていただの、いつも冷静で人間味がないだの、妻を怠けものを見るような目で見ていただのと言って、母は不愉快そうな顔をした。

「高給取りだからといって、そんなに偉いのかい」

母はまるで父に言うかのように、あたしに言った。

具体的に何を言われたのか、あたしは訊いてみたことがある。

「何も言うもんかい。こっちが間違っても、ただ黙って訂正するだけ。腹の底で笑ってるんだよ」

ここに居候した恋人(おとこ)がいなくなったとき、いなくなった直後はともかく、執拗に相手を(くさ)すことはなかった。

父についてここまで拘るのは、あたしが父に似ているので、あたしを見るたびに父を思い出すからだと思った。

あたしは罪の意識を持った。

「あんなの、こっちが捨ててやったんだよ」

母は繰り返した。

しかし、あるとき、もしかすると捨てられたのは母のほうではないかと(ひらめ)いた。あたしはそう言ってみた。

すると、母の顔は(またた)くまに鬼の形相となった。間髪入れず平手打ちが飛んできた。一発では終わらず、続けて何発も。

あたしは頭を覆った。

母は、頭を覆ったあたしの腕も、頭も、背中も、とにかくどこでも打った。打って、打って、打ち続けた。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

あたしは叫ぶように言った。

母は手を止めた。あたしが謝ったからではない。疲れたからだ。肩で息をし、髪は乱れていた。その髪は逆立っているように見えた。

母はドタドタと床を鳴らして台所へと消え、ハサミを持って再びあたしの前に立った。

「ごめんなさい、許して」

あたしは刺されるのではないかと思った。

「こいつめ」

母はあたしの髪をつかんで自分のほうへ引き寄せ、ざくっと切り落とした。

「やめてっ」

「じっとしてろ。でないと、首切るよ」

母はあたしの髪をばっさばっさと切った。あたしの頭は散切(ざんぎ)り頭になった。

それから、母はあたしを玄関まで引っ張り、土間(たたき)に突き落とした。そして、そこに正座をするように命じた。

あたしはコンクリートの床に(すね)を着けて座った。

「いいと言うまで、そこに座っときな」

母はあたしを見おろした。

そこへ騒ぎを知ったゆきちゃんが来た。

「お姉ちゃんを怒らないで」

ゆきちゃんは母とあたしとのあいだに入り、母のほうを向いた。

「ゆきは黙っとき」

「嫌だ。お姉ちゃんを許して」

「じゃあ、あんたもそこに座るか」

少し沈黙があった。

「そうする」

ゆきちゃんはあたしの横で同じく正座をした。

「ゆきちゃん、しないで。部屋に戻って」

あたしは座ったまま、ゆきちゃんの腕を持ち、立たせようと促した。

「いい。ここにいる」

ゆきちゃんはあたしの手を振りほどいた。

「二人で座ってな」

母はこう言って台所に消えた。ゆきちゃんには比較的甘い母だけど、さすがに興奮していたみたいで、こういう結果になった。
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