93. 黙説法

文字数 485文字


 鹿は考えていた。
 どうすれば世界は、平和になるのだろう。

 虎が鹿を噛まない未来。群れた小鹿が他の小鹿を(いじ)めない未来。貧乏な鹿がより貧乏な鹿から青草を盗まない未来。
 鹿ははっとした。やわらかい若芽を引き抜いている時だった。甘いぜ。

「世界を平和にするには……」

 名案だった。認識の外から始まりながら、巡り巡って正攻法だった。彼は後世、ニーチェ、マルクス、グールド、著名な偉人と肩を並べて語られるだろう。

 頭を使い過ぎて、疲労が押し寄せてくる。
 鹿はがりがりと樹皮を()がした。
 硬いぜ。

 とても簡単な方法だ。誰にでもできる。いますぐできる。
 つまり、こういうことだ。

「……」

 お腹が空いてたまらない鹿は一帯の草木を喰い尽くし、豊かな森は禿山に堕ちた。
 猟師が賢者の鹿を撃ち殺す。

 鹿の遺言、断末魔、世界をお手軽簡単スワイプ一つで救う方法は、誰の耳にも届かなかった。
 実にもったいない!
 世の中はいま、確実に、数百年は後退した。

 通りすがりの栗鼠(りす)が言うには、
「世界平和? 俺と仲間の世界平和には興味あるけど、他者の世界平和なんて、どうでもよくね?」

 死にかけの鹿曰く、
「……」
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