252. コウモリであるとはどういうことか

文字数 1,493文字

「どうして動物に心があるとわかるんだい? 話せないのに」

 自称万物の霊長であることしか誇れるものが何もないとてもかわいそうな人間が尋ねた。

「どうして動物に心がない(・・)とわかるんだい? 動物の言葉を知らないのに」

 認知動物行動学者は続けた。

「どうして外国人に心があるとわかるんだい? 君は外国語を知らないのに」
「どうして赤子に心があるとわかるんだい? 君の言う通り発話だけがコミュニケーションだとしたら、心無い『食べてもオッケー』な赤子も仮定すべきだろ?」
「どうして私に心があるとわかるんだい? 人の皮を被ったロボットで、過去のデータから最適な言葉を編集し、出力しているだけかもしれないだろ?」

 かわいそうな人間は論破を試みる。

「わかるさ、人間の系譜だろ」

「人間の祖先は霊長類じゃないか。あるいは魚か、カンブリアンモンスターか。彼らだって、進化論的に考えれば、人間の系譜だろう。まさか、君は、心という複雑極まる脳の機能が、20万年前のサバンナで魔法のようにふっと湧いたというのかい?」

「その通り、奇跡が人間を生んだ」

「奇跡を天文学的確率の事象と考えれば、なるほど奇跡は存在するね。脳という複雑極まる組織が、いきなり完成系で生まれるなんて――螺子(ねじ)もエンジンもなく唐突に自動車が発明されるようなものだ。奇跡より質が悪い」

 人間は噛みつく。

「どうしても動物に心があるといいたいんだね」

「お互い様さ。君は、どうしても、動物に心がない(・・)と言いたい。困るのかい?」

「真実が真実と認められたいだけさ」

 人間は科学者を気取り始めた。

「再現不能な科学は科学ではない。動物の行動の観察を主とするソフトサイエンス的対応には、主観性が入り混じる。ただの思い込みだ。確たる証拠を示せ」

 議論が巻き戻ったことに、認知動物行動学者は非難しなかった。

「ヒトが情動の処理に用いるとされる紡錘細胞を、ザトウクジラはヒトより多く備えている。ヒトが空間情報の記憶に用いるとされるCA1細胞をラットは海馬に保有し、その発火だけでラットの現在地を知れる――睡眠中にラットが脳内で走り回っていたなら、それは夢だ。夢が現象的意識を示すなら、ラットは道徳的に尊い心ある生き物といえる」

 ハードサイエンスは専門外なので、自分の領分に帰還する。

「ある状況下で動物がどう行動を変えるか、丁寧に観察する。カササギが仲間の死骸をつつき、草を持ち帰っては傍に置き、祈るようにじっと立ち……飛び去る。怪我した象の速度に合わせて、象の群れはゆっくり歩く。何年もだ。食事を与えることさえある、役立たずに。一つ一つのストーリーはデータでないかもしれないが、それが無数に集まれば、確度は増す」

 9割9分9厘光より速く進めないと「仮定」した物理学と、何が違う。

「どんなにエビデンスを集めても、絶対的に正しいとは証明できない。情動に限った話じゃない。だから正しいと仮定して進むんだ――取り返しがつかなくなる前に。時代遅れの議論に、これ以上時間を無駄にしたくないね」

 これも一種のエコーチェンバーだろうか。ふと思考に墨が混じるが、いまは考えないことにした。

「動物の情動はヒトとどう違うのか、猫と犬の違いは、コウモリであるとはどういうことか。僕はそういうことが知りたい」

 認知動物行動学者が言う。

「君もどうだい?」

 手を差し伸べる。

「……」

 人間は即答しなかった。
 得るものと失うものを比較し、どちらの世界に生きたいか思案する。

 動物がおいしいモノか。
 動物が心ある善き隣人か。

 都合がいいのは、どっち?

 科学的議論に主観性・感情が入り込まないわけがない。
 動物なのだから。
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