248. バジリスク、視たんだって

文字数 823文字


 僕は旅先で、沙漠を訪れた。
 失踪者が絶えないと噂の沙漠だ……物見遊山の観光客も、重鎮の研究者も、誰も帰ってこなかった。

 砂は一粒一粒、赤黒く穢れている。
 砂上を飛ぶ鷹が突如羽を折り、重力に呑み込まれて墜落した。近づけば、ぴくぴく動く体は痘痕だらけで、それが膨らみ、邪悪に染まった血を破裂させる。
 腐り落ちた無花果に、変形した蟻が群がる。蟻の体は捻じれ、右足だけ肥大化し、出来物が体より大きい。無花果を口元に集め、自分の足まで喰らう。そのまま咀嚼を続ける。

 (いたち)がひゅんと足元を通り抜けた。
 茶色い毛並みは気高く、暗黒の世界で唯一の光だった。

 河にぶつかる。
 藍藻類が繁茂した河に、重油を流し込んだような罪深い色をしていた。

 そこに、奴はいた。

 奴は蛇だ。
 王冠を象った斑点が頭に散らばっている。

 奴は鶏だ。
 冠状突起を有し、羽毛に覆われ、大いなる翼を持ち、尾は蛇だ。

 四本脚だ。否、八本ある。
 鱗が満ち溢れて、その尾は鎌首をもたげた蛇同様鉤型だった。

 ゴルゴーンの一滴の血より生まれ出でた奴は、人睨みで毒を撒き散らし、鷹も無花果も大地も殺す。
 奴を前に、槍など、鎧など、なんの役に立とう?

 奴は河から顔を上げた。
 どろついた緑の液体が唇から滴う。
 絶望の眼で周囲を一瞥し、己の絶望の中に、周囲を引き摺り込む。

 僕は死を覚悟した。
 愚かな観光客や傲慢な重鎮とは違うと、高を括った自分を恥じた。

 光が駆け抜ける。
 奴へ、死へ。
 一本の槍の如く、正義の如く。

 鼬がバジリスクの眼に噛みついた。
 バジリスクは「こけこっこー」と啼き、慌てて上流に逃げ出す。
 俊敏な鼬を相手に、無駄な足掻きだった。

 かくして僕は生き残り、世界で唯一、バジリスクを視た人間になった。
 その脅威を伝えるべく、ここに文字を残す。

 後世の旅人が、鏡か鼬か、その手に忘れないように。
 生きて帰れるように。

 斜め読みした子どもが尋ねた。

「視たら死ぬのに、どうして視たと生きて書けたの?」
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