8-10

文字数 1,065文字

ナズナが考えることを阻むかのように、彼女の手首にさらに痛みが与えられる。するとユーフェイの隻眼とようやく視線が交わった。

『ナズナ…』

 いつもの彼からは想像が出来ないような不安そうな声だ。まるで独りを恐れる子供のようにナズナに縋りついている。魔界の王とはまた違った神の威厳が微塵も感じられなかった。

『どうすればいい?』

「…ユーフェイ?」

唐突な問い掛けにナズナは痛みに耐えながら水妖族の神の名を呼ぶ。だが、ナズナの声は彼の耳に届いていないようだった。
彼女の呼び掛けに応えず、ユーフェイはぶつぶつと何やら呟き始める。どうも様子がおかしい。

『どうすればお前を俺の元へ繋ぎ止められる?お前の望みは何だ?お前が約束を果たしてくれるのなら、俺は…』



 恐怖に慄きながら目を覚ますと、木造の天井が目に入り、そしてジンフーが顔を覗き込んでいた。

「大丈夫ですか?随分とうなされていたようですが…」

「だ、大丈夫…です…」

 虚ろな声でジンフーに答え、ナズナは無意識に手で額に浮かぶ汗を拭おうとしてはっとした。手首が何かに掴まれたかのように赤くなっている。
心の中で水妖族の神に呼び掛けてみたが、珍しく何も返ってこなかった。先程のおかしな様子が思い出され、それに恐怖を抱きつつも何だか心配だった。
 考え込むナズナの額にジンフーの手がそっと当てられ、驚いてナズナは一旦考え事を中断した。
当のジンフーは涼しげにナズナの熱を測っている。

「…ふむ、熱は大分下がりましたね。シェンジャ様、お腹は空いていませんか?」

 そういえばあの晩餐会から何も食べていない。ほっとしたこともあってか、空腹なことに今更気づいて頷く。タイミング良く、ナズナの腹の虫も元気良く返事した。
その音を聞いてジンフーはにっこり笑うと、部屋の外で見張りをしているリュウシンを呼びつける。

「何用だ?」

「大至急シェンジャ様の食事をお願いします」

「…分かった」

渋々といった様子でリュウシンは部屋から出て宿の女主人の元へ向かう。
その間、ジンフーはじっとナズナの紅の瞳を探るように見ていた。彼の視線の居心地の悪さに耐えかねて、ナズナが話し掛ける。

「あの…私の顔に何かついていますか?」

表情を変えぬままジンフーは穏やかな声で返す。

「いいえ。ただ…」

「ただ?」

「うわ言でユーフェイ様の名を何度も呼んでいらっしゃったので、一体どんな夢を見ていたのかと」

 そんなに彼の名前を呼んでいたのか。
それをジンフーに聞かれていたことが何よりも恥ずかしく、ナズナは顔を伏せた。下手をしたら、リュウシンにも聞かれていたかもしれない。
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