第81話◆迷い家~道標(2)
文字数 4,434文字
「ルヴァルは、そう啖呵を切ったんだ。一族の強面と重鎮が勢揃いした会合の場でね。我が子ながら、可愛気の無い――あの時はそう思ったが……。必死だったんだな……」
何処か遠くを見るようなディムガルダに、グラディルは目を瞬かせる。
「……えっと、それは、何時頃の……?」
「ラディ君との付き合いが館にバレた時だったから――」
思い出そうとしているディムガルダよりも先に、「付き合いがバレた」で察しがついた。
(……ああ、あの時、か――)
当時はまだ、互いに親にも秘密にしていた友人だった。
グラディルとしては、既に腐れ縁という感覚が出来ていたが。
何せ、どんなにぞんざいに応対しても、向こうから構いに来るのである。
あの日は、日暮れ前に、当時の二人が秘密の集合場所にしていた小高い丘の上(王都民の憩いの場所である、自然公園の一角)で、いつものように落ち合った。
珍しくも、グラディルは機嫌が良くて、俺はこんなことも出来るんだ! と、教えてもいい気分だった。
『相討ちだった――』
詳しくは語ってくれなかったが、自己嫌悪に駆られているラファルドというのが珍しくて、グラディルの記憶に焼き付いている。
「多分、7歳の時ですよ。親父が勇者の公認を獲得した前後じゃなかったですか?」
ディムガルダは目を丸くした。
「おや……? 知ってたかい?」
「自己嫌悪に浸ってる珍しいタイミングだったんで、覚えてます。ただ、啖呵の中身までは……」
「そうか……。私の異能の喪失が館に知られて、半年後ぐらいだ。だから、館としても目くじらを立てないわけには行かなかったんだ。済まないね」
ディムガルダは頭を下げる。
自分でもびっくりするほど激しく、グラディルは反発した。
「頭を下げるなんて、しないで下さい!! 神通を喪失する原因となった男の血を引く餓鬼と付き合っていて、その餓鬼にも男と似たところが在る――。そう知られていたら、心配しない方が不自然でしょう!」
グラディルという人間が見透かされているのは、解っている。
済まなく思ってくれていることも、嘘ではないのだろう。
けれど、悔しかった。
だから、悔しかった。
同情されるしかない自分が惨めだった。
(……ほんと、親子だよなあ……。ファルと同じ言い方をしてきやがる……!)
あの時も、グラディルは腹立たしかった。
何時にない雰囲気が珍しかったから、「どうした?」と聞いた。
けれど、ラファルドは答えなかった。
グラディルが知りたいと思った答えを投げて寄越さなかった。
簡単に、大雑把に省略した返事しかしなかったのだ。
それが悔しかった。
お茶を濁しておけばやり過ごせる。そう思われたことが、そうとしか思われていなかったことが悔しかった。
ただ、今なら解ることが在る。
もし、当時、ラファルドが包み隠さず本当のことを教えてくれていたら――。
躊躇なく、絶交を宣言したはずだ。
昔の自分は、今よりももっと、化け物めいた餓鬼として後ろ指をさされることに飽きていて、疲れていて、屈辱を感じていた。
忌まれる理由なんて棚に上げて、忌む連中に腹を立てた。
それが、ラファルドを大事に思うがゆえのことだとしても。
ちょっとでも、ラファルドがそんな連中を庇うような言動をしたら、気配を見せたら――爆発した、はずだ。
ラファルドはラファルドでグラディルを大事に考えてくれたから口を濁しただけだろうに、それさえも許さなかった、だろう。
(徹頭徹尾、自分の感情にしか興味が無い。そんな餓鬼じゃ、いくらファルだって、何時かは堪忍袋の緒が切れるのが当然だ。俺は――自分を守ることで精一杯で、手一杯だった。あの頃の俺は――)
何時しか自己嫌悪に呑まれていたグラディルの頭に、ふんわりと大きな大人の手が乗せられた。
「……!?」
驚いたグラディルが我に返ると、ディムガルダの温かな笑顔が在った。
「不覚なことにね、私もあの時に悟ったんだ。クレムを〈竜の血〉から解き放ったことを後悔しなくていいんだ、とね。やり方は、最善ではなかったかもしれない。それでも――クレムの願いを叶えたことを恥じる必要はないんだ。だから――詫びない。館は当然のように私を責めて来たけれど、私は頭を下げることさえ、しなかったよ」
「……だから、ですか?」
実父のクレムディルにも数えるほどしかされたことの無い厚意が恥ずかしくて、グラディルはディムガルダの手を外してしまう。
「ん?」
しかし、ディムガルダの手は再度、グラディルの頭の上に移動した。
「謹慎蟄居されたのは――」
手を外す、手を乗せる、外す、乗せる……の攻防を何度か繰り返す。
グラディルがディムガルダの手をガードするようになると、諦めてくれた代わりに拗ねられてしまった。
「……ああ、そのことか。半分は体面かな。館は館で、格好がつかないと困るからね」
「もう半分は?」
怒らせてしまったか? と、様子を窺う意味も込めて、グラディルは合いの手を入れる。
「人払いさ。会える人物まで限られてしまうのは難点だけどね、見たくない面も拝まずに済む」
清々したとでも言うようなため息に、怒らせてしまったとグラディルは落ち込んだ。
が、隙有り! とばかりにグラディルの頭に乗っかって、撫でて来る温かな手が在った。
「きちんと、勇者になりなさい。それが――それに挑むことこそが誠実になる。ヴァルにしたって、啖呵を切ったことに後悔のこの字も無いんだから!」
「…………」
グラディルの目に涙が滲む。その腕が人間のものへと戻った。
ディムガルダは懐かしさと悪戯っ気が等分に混じった笑みを浮かべる。
「あの啖呵には続きが在ってね。『心の奥深くに在る真理に従うことこそが我らの本道であり、誇り! 故に誓おう。一族が紡ぎし歴史、その真実に賭けて、曇りも悔いも、在りはしない!! と。尚、異議がお有りなら――どうぞ、禊の祭壇へ!』禊の祭壇は、一族の揉め事の仲裁などに使われる聖なる場所のことなんだが……、要は、喧嘩が在るなら買ってやるから、出る所へ出ろ!! というわけだ」
聞かされた話なのに、グラディルはなぜか現場に居合わせたような気分になった。
「馬鹿じゃないですかね。言われる側にも、意地とか感情が、同じように在るっていう視点が欠け落ちてる。それじゃ、反撃貰って『相討ちだった――』でも、当然でしょうに」
可愛気に欠ける反応だった(口調も真似して見せた)はずだが、お、という顔で、小父は朗らかに笑った。
「確かにな……。それでも、曲げたくなくて、曲げないことに大きな意味と価値がある意地だったんだろう。後悔していないなら、貫けばいい。家を捨てることになったとしても、悪い結末ではあるまいよ」
グラディルはぽかん、とした。
神祇――それも、異能者として通用するレベルの人材、は常に希少で、数を揃えるだけでも頭が痛いと聞いていたのだが。
「…………、はあ。少し、呑気過ぎませんか? 師匠が気を揉むと思いますけど」
師匠を引き合いに出しはしたが、グラディルだけでは、何処かで、必ず、途方に暮れていた。
立場ならば、ディムガルダの方が余程厳しいはずだ。
セルゲートの一族は唐突に辣腕の羅針盤を失った。乱れずに済むはずがない。
ディムガルダが異能を喪失したことで、蟄居したことで、生まれる歪みが何処かに在り、誰かが耐え、凌いでいるのだ。
一族の当主とは、一族の全てに対して責任を持ち、取る人物のことだ。
役目を全うすることで、初めて、大きな顔が出来る。
それを失えば――、失っても後悔が無いと言ったならば。
ラファルドやその兄弟が苦しんでいる時に、案じることは出来ても、手を差し伸べることが許されない。
そんな割は、当然のように喰わされる。
なのに、どうして、こうもかんらとしていられるのか。
気が楽になる一方で、眩しくて仕方がない気分にもなった。
「はっはっは! 足掻こうと、嘆こうと、世界は私を中心に巡りなどしない。私は私のまま、流れゆくだけさ。世界は思うほど狭くも無ければ、私が理不尽だったりもする。ラディ君。君もきっと気づくよ。息苦しいほど狭くて仕方が無かったはずなのに、途方もなく広大な宇宙で昼寝をしていただけだった――とね」
豪快に笑い飛ばされたが、グラディルとしては煙に巻かれた気分でもある。
「……何時ですか? それ」
と、突っ込んだら、今までになく謎めいた――意地悪にも、悪戯を仕掛けたようにも見える、笑みが返って来た。
「さあてね。それだけは、誰にも決められないからな。覚えていてくれればいい。何時か、きっとその時が来る、と。……ああ。それと、忘れないで居て欲しい」
「? 何ですか?」
「ルヴァルもラディ君に支えられている。そのことを」
「――――」
虚を突かれたわけではない。なのに、グラディルは何も言うことが出来なかった。
「君が誰かに支えられていると感じるならば、君もその誰かを支えている。人間同士の関係に一方通行は無い。きちんと目を見つめ返して、声を聴いて、感情を表して、真っ直ぐに投げ返してやってくれ」
「…………」
「世に出れば、生きることそのものが分け隔てなく圧し掛かって来る。誰もがその中で為すべきこと、守るべきものを選び、それに全身全霊で当たることを強いられる。時に不実を盾にし、場合によっては道を別つことすら在り得るだろう。けれど、積み重ねた輝きは失われない。意に染まぬ海へ流れ出そうとも、深き森、暗き谷に分け入るような未来が待つとも。生きることを以て積み重なる輝きは道を照らす”星”の道標だ」
そして、ディムガルダは席を立ち、グラディルに深々と頭を下げた。
「……小父さん……」
「――グラディル!!」
扉が破壊されたような騒音と共に響いた大音声。
それが無かったら、感動で滲む涙は止まらなかった。
乱入されただけでも食傷物だったのに、腹と頬に膝と拳を貰って、何もかもが台無しになった。
「…………殿、下……?」
残像が残るかどうかという早業(ドレス着用中)に、ディムガルダも唖然となる。
ちなみに、自由にも程が在る、暴挙と言っていい振る舞いを許されるのは王族以外に無い、という類推であり、犯人と面識が在ったがゆえの呟きではない。
手前、恥じらいはどうした!? 小父さんまで絶句させてんじゃねえよ!! と、突っ込みたかった。
だが、グラディルは悶絶して床に崩れ落ちており、叶うことは無い。
だが、まさか。
「……貴方! よくもこんな所で、油を売っていましたわね――!?」
「……て、め……え……!」
不届きな犯人――第三王女セレナス、に、グラディルは弱弱しく嚙みついて。
「非常事態です!! ラファルドが攫われましたわ!!」
「!?!」
グラディルは反射的に、立ち上がった。
「――――んな、馬鹿な……!!」
そして、また悶絶する。
本気で絶句させられるとは思わなかった。
「全く以て、非常識! ですわ!! 王女たる私を差し置いて、まさか! 拐されるなんて――!!」
誰か突っ込んで欲しい。「非常識。それは、お前だ!!」と。
グラディルは心の底からそう思った。
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