第73話◆嵐の痕
文字数 7,026文字
「……ったく、あの、名ばかり白百合姫め……!」
「本当、よく絡まれるよね……(お互い様、って気もするけど)」
「――んん!?」
「別に(心の声が聞こえた、みたいな反応しないでよ!)」
仕切り直しの為の準備が進む桜蘭の間の片隅で、晩餐会限りの衛兵二名は暇を堪能していた。
主人たる第三王女セレナスは、別室にてお色直しの最中である。
本来ならば、主人に同行し、更衣室の番兵を務めるのが二人の役目なのだが、片割れに灸を据えた当人の心中と体面を慮った侍女頭の政治的な判断により、休憩を兼ねた怪我の治療に当たっていた。
主治医:ラファルド、患者:グラディルなのだが、怪我らしい怪我は殆ど無い。
〈血〉を目覚めさせた代償、ともいえる異形化の治療(ラファルドは中和、とよく言う)が終わるのを待っている状況だ。
「(怪しい……。絶対、喧嘩両成敗っぽいこと考えたぜ!)理由を知りたいのはこっちだっつの! それより、大丈夫なんだろうな?」
「何が?」
治療に専念しているラファルドは顔を上げることすらしない。
「……ん……、さっきの、あれ」
「…………さっき?」
「起き上がれなかったろ!」
「……ああ、あれね。防いだは良かったんだけど……(多分、魔王陛下だったら、不味いことになってた。勘頼みで動いたから、もう確かめようは無いけどね)、あの瞬間は妙に目が回ってて、激しく消耗した、みたいな感じになってたなあ……。今はもう何ともないんだけど」
「ふうん(……本当、だろうな……? まあ、確かめようが無いけど)」
ラファルドの頭が近過ぎて、髪がチクチク刺さる。
だから、重心を移動させてみた、程度だったのだが。
「……動かさないでよ! もう、終わるから」
思わぬ気迫に押され、グラディルは目を白黒させた。
「お、おう!」
施術中は神経を尖らせることが多いらしく、下手に逆らうと、魔王や大魔王が平気で御来臨あそばされるので、割と喧嘩っ早いグラディルでも、細かく気を使ってしまう。
詠唱の完成と共に、最後まで異形を留めていたグラディルの右腕が肩口から白い輝きに包まれていく。
輝きが消えると、人間の腕に戻っていた。
「はい、終わり! いつもよりは、楽だったよ」
ラファルドは笑顔だった。
グラディルがいつも通りの反応を返すよりも早く、少し意外な人物の声が割り込んだ。
「見事だった。父親に似た――ということかな? どちらも」
「陛下!?」
仕切り直しの準備に余念がない従僕(軍などに所属せずに、王宮で普通に働く人々。侍従や侍女もひっくるめる)や、衛士、騎士の他にも、自分達の支度を終えて晩餐会の再開を待つ賓客、貴族たちも広間で雑談に勤しんでいる。
慌てて畏まろうとした衛兵2人を、国王は仕草で制した。
「楽にして居ろ。どうせ、束の間の暇だ」
「よ――ろしい、のです、か?」
敬語を好まないグラディルが所々にボロを出しながら、国王を窺う。
国王はのんびり、伸びをした。
勿論、咎める誰かは何処にも居ない。見て見ぬ振りをするばかりである。
「指示が終われば、後はそこら辺の穀潰しと大差が無いぞ、国王なんてものは。下手に気を利かせれば、逆に大事になるし、やる気を見せれば、要らない仕事を山のように積まれる。どう転んでも藪蛇になるなら、気の休まる場所で、のんびり羽を伸ばすほうがマシだ」
「……マジで??」
おっかなびっくり、グラディルは信用できる悪友を見る。
つい最近まで、王宮のおの字とも縁が無かったグラディルだ。当然のように、国王(として)の日常には無知である。
国王を小父扱いできるけったいな友人を頼ってしまうのは必然の選択だった。
ラファルドは平凡にため息をつく。
「そんなところでしょうね。クリス兄さんや宰相殿からしたら、異論が山、でしょうけれど」
側近として、宮城でも知られている二人の名前を聞いた途端に、国王は顔を苦くした。
「忘れさせろ! 今くらい。何の為に、事務報告だけに徹したと――」
国王は威張っていたが、テーブルや広間の装飾の再配置、新たに用意された食事の運び込み等、実務的な肉体労働に励んでいる騎士や衛士たちがちらちらとこちらを窺っている。
本当に大丈夫ナノカナー? というのが、グラディルの本音だった。
「陛下をお諫め申し上げることが出来なくて、どうする!!」などと、後日にしわ寄せを食らわされるのは、見習い(正確には学生)であっても、軍に籍を置くグラディルである。
「……まあ、陛下は陛下で予定に無い迷惑も被ったことですし。気分転換は大事ですね」
そうだそうだと言わんばかりに肯く国王に。
「けれど、殿下のお色直しが終わるまでですから」
と、ラファルドは釘を刺すことを忘れなかった。
迎えの手配をした方が問題は無いのだが、国王の被った迷惑は魔族と魂の絡んだもの。
術者としては兄達を足元に寄せないラファルドの監督下とした方が、無難、という判断が在ってのことで、了解は(専用の回線で)取り付けてある。
「……うへえ……」
国王は表情だけに留めたが、グラディルは余計な事を付け加えた。
ちなみに、国王が辟易してるのは「国王という形式」に付き纏われる時間がすぐに戻って来ることであり、グラディルが嫌がっているのはお色直しをした王女のお披露目というイベントが間近に迫っていることだった。
実際、セレナスには非好意的に絡まれることが多く、辟易し始めているのである。
「勘弁してくれよ。飯食い放題とかなら、まだしもだけど」
「はっはっは!」
笑顔に青筋を浮かべた国王が、グラディルを鉄拳で一撃した。
「んだよ!?」
「可愛い娘の晴れ姿が楽しみで、何が悪いと?!」
食って掛かったグラディルは驚き、そして、げんなりした顔でため息をつく。
「そんな(風に甘やかしがち)だから、あんな内面悪子に育った、ってことなんだな……!」
「何だと!?」
「陛下」
激昂しかけた国王を、即座にラファルドが諫めた。
牙を剥く猛獣の顔で振り返った国王を前に、わざと、視線を逸らして見せる。
その先には、晩餐会の再開を待ちわびる客人たちと、無事を喜ぶ騎士たちの姿が在った。
「…………覚えてろよ! 扱く時は行儀作法から徹底的に!! ぐうの音も出なくなるほど完璧に仕込んでやるからな……!!!」
「けっ! や――」
やれるもんなら、やってみろ!! と、お灸確定な買い文句を投げ返そうとしたグラディルだったが、ラファルドの視線が無事を祝われている騎士の姿に止まっていることに気付いて、言葉を止めた。
「…………?」
国王もまた、不肖の弟子に倣う。
「あれは――」
国王の呟きも他所に、ラファルドは背を向け、彼らから距離を取るように壁際へと移動した。
グラディルと国王がその後を追う。
「気づかないなんて……気づかないなんて――!!」
自分を責める、ラファルドの呟きだった。
「――――おい!」
グラディルは納得が行かない。
なぜ、ラファルドは自分を責めるのか。
あれだけの戦闘が在って、人的被害が皆無なのはラファルドの結界が在ればこそ。
戦闘中の判断も冷静かつ的確で、非難されるような謂れは無い、とグラディルは考えていた。
おまけに、卑屈は好きになれない性分である。
強引に振り向かせようとした不肖の弟子を殴って止めたのは国王だ。
「自分を責めるな。卿で手に負えぬなら、どうしようもなかった」
わざと他人行儀な言い方をした国王に、ラファルドは食って掛かった。
「しかし!! 『穴』を開けられていたことに気づ――、…………申し訳、ありません!」
(……やれやれ。普段はあれだけ可愛気に欠けるというのに、存外重症だな……。だが、仕方が無いと言える部分も在るか)
国王はため息をつく。
術の種類や性質にもよるが、術は術者にとって、自己の延長と呼べる側面が在る。
〈結界〉のように一定の規模を策定して展開する系統は、内部の空間――領域、と術者自身の感覚を〈接続〉させることが出来る。
握り潰す仕草で術を破棄することも、距離を無視して内部の状況を精密に把握することも可能なのはその為だ。
そして、それが術者の矜持との結びつきをも生む。
掌中に在ったはずなのに、気づき損ねた。自負を傷つけられるには十分だ。
「穴――? ……、!!」
人が魔に堕とされる悪夢を思い出したグラディルからも表情が消えた。
「……陛下に関します処置は、万全です。あの男――フォルセナルドが陛下に魔族特有の悪戯を仕掛けることは二度と在りません。出来ません。今日の事実が第三者に漏れたとしても、陛下の心身は健やかで在り続けることが叶います。ですが……! 今更、魔王陛下に文句をつけるわけにもいきませんから――」
前代未聞の術式になったとしても、ラファルドは自分の手でフォルセナルドから騎士の魂を取り戻したかった。
魂を奪われたという事実を「折り畳み」損ねた以上、万全を期すにはそれしか手段が無かったのだ。
「…………」
言わんとすることが解かる国王のため息も深い。
グラディルは、未だに手荒く祝福され続ける騎士が居る方向に視線を逸らした。
「……何でだ? 何で、駄目なんだよ?」
「名前を。彼は、名前を捧げてしまった――」
「……それが? どう――、?!」
「…………」
足を蹴ってグラディルの質問を止めた国王は、沈黙で反感を受け止める。
そこへ。
「本当の名前――真名、を知れば、相手を支配できる。そんな曰くが一部の魔術には在りましたな。生憎、人間の魔術では実証されたことが在りません。某が承知の限りにおいて――、ですがな」
訳知り顔な台詞が差し込まれた。
「――!?」
反射的にグラディルが振り向いた先には。
全体的には質素な印象を受けるものの、その実、贅を尽くした素材で織り上げられている、という衣装に身を包んだ初老の男性が佇んでいた。
「……宰相!」
驚かすな! という国王の苦情を愛敬に満ちた笑みでいなし。
「異変の治まりを、今かと今かと待ち兼ねて居りましたものでしてな」
正統な御座所である星黎の間に戻って来ないことへの、遠回しな苦情を主君に突き付ける。
(おまけに、知りたくもあり、知らせたくもあり――か。人任せにすればいいものを、状況に託けて、自分の足で、とは……。仕方のない奴だ)
知りたいのは、騒動の渦中に居た国王の消息であり、知らせたいのは、幸運にも騒動の舞台となることを免れた、その他の会場の消息。
職務(国王不在の星黎の間を取り仕切り、監督すること)を(一時的にでも)放棄してまで国王の足下に参上したのは、百聞は一見に如かず、と知っていたからか。
良心的に解釈すれば、同僚を信用した――と、言えるのだが、会話の流れを読むのはまだしも、接近を気取らせずに機を窺ったのは、人の良い人間がやることではない。
下手に追及したところで、「国王を見倣ったまで」という、皮肉と体のいい言い訳を両立させた、愉快ではない台詞が出て来るだけだろう。
国王は実利に徹した。
「残りは(割を食わされたのは、クリスファルトか)?」
聞いておきながら、答えは解っている。何かが在ったなら、騎士団かラファルドのどちらかが、とっくに国王に差しているのだから。
国王として、仕事を労う(自身へ追及をかわす)意味も込めて、聞くべきを聞いただけだ。
宰相は恭しく一礼した。
「無事に御座います」
「御苦労」
「いずれ、彼は失踪する。それを防ぐ手段は無く、……次に消息を掴めた時には――、魔人として、あの男の傍らに在る――」
ラファルドの回答はグラディルの疑問へのもの。
ただ、無粋と揶揄されかねない、性急なタイミングだった。
おや? と宰相が国王に視線で問うと、国王は微苦笑で宰相に返した。
「あの男は、名前を奪う前に堕として見せた――!!」
より深く沈んでいくラファルドの表情に、グラディルも食い下がれなかった。
だが。
「若さとは裏腹な殊勝さ結構なもの。ですが……少しばかり、往生際が良過ぎますな。神祇として、素直さは美徳なのでしょうが――今は、相方の往生際の悪さを見倣った方がよろしいでしょうな。どちらも若さの特権なれば」
グレスケール公爵は飄々とラファルドを評し、グラディルの腰を叩く。
ラファルドもグラディルも、目を丸くした。
「宰相閣下……!」
「諦めるには、まだ、尚早で御座ろう? 打てる手はまだ有り申す。そうで御座いましょう?」
訳知り顔な笑みを、宰相は国王に向けた。
国王は迷惑そうな咳払いを返したが。
「無論だ。まずは、向こうの陛下に話を伺わねばな。手がかりが皆無とは言えまい。……宰相?」
今度は、国王が意味深に投げ返す。
「万事、滞りなく」
打てば響く。その言葉を地で行くように、宰相は一礼を国王に捧げた。
「しかし――」
「出し抜かれて悔しいのは、解ります。だが、まだ、お若い。貴殿の父御は、陛下が今の貴殿のように落ち込む時にこそ、とっておきの苦い良薬を持ち出してきたとか? 先代も今上も、御自慢になる事甚だしく、一方ならず、嫉妬させて頂いたものです」
台詞の後半は笑みを誘われたのが不思議なほど、本気の忌々しさが籠っていた。
そして、宰相はぬけぬけと若人二人に止めを刺した。
「仕え人として、自覚と立場を持つのなら――主を見倣うべし! 主君がどうにかして足掻こうと目論む時に配下が絶望していては、それこそ、『お前ならば大丈夫』と送り出した父御の顔も面子も、在った物では在りませぬぞ! 神ならぬ身ならば、瑕疵も当然。恥じ入る暇が在るならば――より良き未来に向けて、精進召されい!!」
「!!!」
大喝から一転、公爵は人好きのする笑みを二人に向けた。
「……などと、この老骨は考えてみたりするのですが――如何に思われますかな?」
「…………」
驚くあまり、言葉も無いグラディルに対し。
「……そう……、ですね……。気が滅入り過ぎていたようです。……お恥ずかしながら……」
ラファルドはどうにか返事をした。
「ほっほ。染み入ったならば、世話を焼いた甲斐も在ったということ。頼りにさせて頂きましょう。偉そうに言ってはみても、貴殿の術を歪ませた何かを突き止めねば、二の舞、三の舞は避けられますまい」
落ち込むなと言いつつ、現実から目を逸らすなとも言う。
そして、何が一番反省すべき点なのかを、宰相は弁えていた。
(……参ったなあ……! クリス兄さんが一目置く理由が解った気がする。懐の深さも、得体の知れなさも、兼ね備えた人柄なんだなあ……。父さんが注意を払い、小父上が手を焼くだけのことはありそうだ。……流石に、今のは叱咤激励だろうけれど)
改めて襟を正すラファルドの前で、国王はわざわざ公爵をからかった。
「追撃に行ける態勢を作るのが精一杯――か。不甲斐無いな? 宰相」
なぜなら、相手は魔族で、魔力や魔術に対抗する手段を持たなければ、追撃を掛けても実効性は望めないと来る。
借りるべき猫の手を借りられなければ、片手落ちと言っていい状況なのだ。
偉そうな説教が出来た玉か、と言っているのだが――国王もまた、自戒する側に回らねばならないはずだった。
宰相は遠回しな皮肉が通じなかったように頷いた。
「全くです。若人の素直さこそ、老骨の心を潤す、一番の妙薬なのですな。――と。陛下は最早、若くも在られませんでしたな? 残念ですが、諦めて頂きましょう」
直訳すれば、「貴方にそんなことを言われても、痛くも痒くも在りませんな」である。
「ほう? 何をだ?」
喧嘩を売っているなら買ってやるぞ!! という国王。
だが、まさか、喧嘩が出来るはずもない。
「……はて? 何をで御座いましょう――おや? 陛下は老骨の仲間入りを果たされたいと、申されますか? でしたらば此処は――」
すっ呆けた振りをしながら、自分の機嫌を取れる方策を提示しようとした。
お互いを若くないと言いあったのだから、喧嘩は両成敗である! という筋書きだ。
年少(国王)は年長(宰相)をの顔を立てて然るべき――という読み(釘)まで添えて。
両成敗だという宰相が国王に差し出す物が何かと言えば……。
「(ええい、いつもの、『我が娘と是が非でも御昵懇に!』というセールストークを始めおったか……!!)やかましいわ!! さっさと、無駄に口を回す余力を職務に当てい! さもなくば、愚痴りに愚痴ってやる!! ミレスの前でな!」
どんなに袖を振らせても、忠誠心以外の物は差し出さない、と国王も解っている。
なので、夫婦喧嘩を出汁にして(誰がお前の娘なんぞと懇意になるものか、と意地を張って)、差し出すのは(頭を下げるのは)お前が先だ!! とやったのだった。
「くわばら、くわばら! それでは御前、お暇させて頂くとしましょうかの!」
宰相が国王の勘気を恐れる様は、なぜか、笑いを誘われる。
それでいて、辞去の一礼は優美で、実直な人柄を想起させた。
煮ても焼いても食えない狸、という評判を霞ませた程。
ふと、宰相が場を離れる足を止めた。
「セレナス殿下の御宣言ではありませんが、今は、晩餐会を楽しまれた方がよろしいでしょうな」
誰に当てたのか、釘か助言か、解らない辺り、流石と言うべきなのだろうか。
正式に知り合ったわけでもない、少年二人は反応に困った。
「宰相!!」
「さっさと失せろ!!」という国王の怒声も笑顔で流し。
「ではでは!」
わざわざ、ラファルドとグラディルにも一礼して去っていった。
「……変な爺さん」
何食わぬ顔で、すれ違う人々の悉くから一礼を贈られながら、桜蘭の間を離れるグレスケール公爵の後姿を、グラディルは呆れているのか、感心しているのか解らない顔で見送った。
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