第74話◆名残の雲~後の嵐
文字数 5,146文字
「全く……! 仕事をしに来たのか、憩いの邪魔になりに来たのか……!」
宰相が消えた方向を、国王は何時までも睨んでいた。
「実は、仲間に入りたかった、とか……?」
グラディルが出来る限り良心的に解釈して、さりげなく国王をからかう。
「無い! それだけは、無いっ!!」
「…………」
無情にもバッサリと断言した国王も、すぐに、諫めて来ないラファルドに気付いた。
「……、応援要請を考えるか?」
独り言めかせて国王が水を向ければ、ラファルドは拳を握り締め、深呼吸をする。
「館は、渋い顔をするでしょうね……」
正式な依頼ならば、断らない。最終的には。
けれど、館は異能の損失を恐れ、厭う方向に傾いており、今夜の一部始終が報告されれば、もっと意固地になる。
動かすには、勅令が在っても頭と胃が痛くなる、辛抱強い交渉が必要になるはずだ、と、ラファルドは予感していた。
「…………」
ラファルドに浮かんだ自虐的な笑みに、グラディルは目を逸らしつつも、苛立っていた。
「そうか……。全く! 昔のお前の可愛気の無さが懐かしくなる日が来ようとはな」
「――陛下?!」
悪気の無い小父の懐古に、ラファルドは慌てふためく。
昔の自分を、恥ずかしいと考えているのが一つ。
そして。
「……へええ。昔から可愛気が足りなかったんだ、お前」
知られたくない事に繋がりかねないから、が一つ。
今も、グラディルの呑気な合いの手に、剣呑な何かが含まれている気がして仕方が無かった。
「ど、どうでもいいよね! そんなこと!!」
「昔のお前は、今のお前よりも可愛気も隙も無かった、ってことだろ?」
グラディルがからかう気満々なのは、誰が見ても判る。
国王でさえ、日常的に構築してきた力関係に悪影響を及ぼすのが怖いのだろう、くらいにしか考えなかった。
「まあなあ……。ディム、……先代当主、が6歳の餓鬼を相手に、躾を間違えた――!! と本気で反省する程だったしなあ……!」
「………。たった六歳で……、……それは……」
「悪かったね!! 『人として問題がありそう』で!! でも、あれは本っ当にどうしようもないお馬鹿さんが相手だったから――!!」
年相応の少年のようにむきなるラファルドは、誰が見ても目を丸くするほど珍しい代物だった。
当のラファルドにも、自覚が在る。
「……それでも、先代をして強敵と認めさせた相手だったろうに……」
和やかな空気を掻き立てる国王の表情が微かに、しかし、深刻に翳った。
「それが、年々衰えているとなると――」
最悪だ!! と、ラファルドが青ざめるのと、
「――ファル!!!」
近くを通りすがった人々にまで耳を塞がせたグラディルの怒号は、同時だった。
「――?!」
国王が驚いてグラディルを見つめる。
「手前、俺に何つったよ!?」
焼き尽くすような目で、グラディルはラファルドを見つめる。
「(言える訳、無い。こうなるだけでも頭が痛いのに――)『何ともない、問題無い』」
ラファルドは目を合わせることが出来なかった。
「――だよなあっ!!?」
周囲が目を丸くした、瞬間移動さながらの速さで掴みかかり、グラディルはラファルドを激しく揺さぶる。
逃げられない。それだけは、ラファルドも解っていた。
「……言ったはずだよ!! 『後悔もしてない』って!!」
グラディル目が怒りを表すように激しく輝く。
「だったら!!!」
「――っ!!」
殴られて、ラファルドは壁に叩きつけられた。
「……!?」
集まり始める衆目に、国王が手近な騎士と衛兵に不介入を命じる。
失神せずに済んだのは上出来――いや、力任せに見えても加減を忘れずにいてくれたからか。
「どうして! 俺に嘘をついた?!!」
空気を震わせるほどの叫び声の直撃は、耳に痛いどころではない。
ラファルドは壁を支えにしてでも、体勢を無理矢理に維持した。
「嘘はついてないっ!!」
抗弁してみても何処か後ろめたいのは、素直に告げられなかったからだ。
グラディルは容赦をしなかった。
「じゃあ、隠し事だ!! ……でもよ。同じだよな? 嘘をついたのと大差がねえよな!?」
ずんずんと歩み寄り、再度、首根っこを掴んで引き寄せた。
「――俺の目を見ろ!!」
耳鳴りがするほどの怒声では、目を開けることすらも困難である。
それでも、見つめ返すことが出来たのは――こんな状況を招いた責任感故、だろうか。
「……言えれば、良かった――とは、思わない。あの頃の君は、今の君よりも繊細な所が在って、今だってそうだけど、今よりも背負いこみたがりだった。……忘れたなんて、言わさない」
「…………!」
初めて、グラディルの勢いが躓いた。
「責任感が強い――そんな言葉では誤魔化せなかったよ。主治医としてね。〈力〉の在り様は精神の在り様。ラディ、君の責任感は自己嫌悪と背中合わせだった。自己嫌悪に煽られる〈力〉は心身を容易に蝕む。僕は、それをこそ、絶対に避けるべきだと考えて、判断した。だから――、言えなかった」
ラファルドは乱暴に解放された。
壁に叩きつけられたのと同義だったが。
「……結局、俺のせいかよ……!!」
(ああ! もう!! 言ってる傍から――!!!)
強かに身体を打った眩暈に襲われるラファルドは、いっそ、このまま気絶したかった。
けれど、そんな場合じゃない。気絶なんて、後でいくらでも出来る! 今は――。
「…………違う!! 違うからね!! 人からかけ離れていく〈力〉を持って尚、人で在る。その為に必要な――」
「うるせえっ!!!」
通過儀礼と伝えたかったラファルドを、グラディルは撥ね退ける。
その目から涙が零れた。感情が爆発する、前兆だ。
「グラディル!!」
「うるせええっ!! ――殴る!! 追ってきたら、ぶん殴るからなっ!!!」
「待っ――」
涙を乱暴に拭き取り、伸ばしたラファルドの手を叩き払って、ありったけの感情を目に籠めて、グラディルは睨んで来る。
「…………」
背を向けられても、ラファルドは追い駆けることが出来なかった。
そして、グラディルは大広間の満場の視線を強引に突っ切って、姿を消した。
「……ルヴァル……」
滅多に使わない呼びかけは、国王の茫然の度合いの強さの裏返し。
きっと、初めて目の当たりにする感情の爆発だったのだろう。
多少、傍迷惑でも、仲睦まじい小父と甥っ子の関係が在った気がして、ラファルドは微笑を返せた。
「御心配をお掛けしました。大丈夫ですよ、今日は全然マシな方ですから。感情は荒れていても、〈力〉はちっとも暴走していませんでしたしね」
国王ガルナード=アストアルは、父ディムガルダの縁ではあるが、幼い頃からの知己であり、信用できる数少ない大人の一人だ。
ちょくちょく意地を張って、大人気ない喧嘩を繰り返すのも、二人には挨拶であり、貴重な息抜きの一つだったりする。
「……そうか? 随分、付き合いが深いようだが?」
「あれ? 聞いてませんでした?」
ラファルドも話したことはないが、グラディルはあの性格で、当時は今よりもお貴族様をはっきり嫌っていた。
愚痴る《ぐち》ぐらいはしているものと思っていたラファルドである。
ガルナードは軽く顔を顰めた。
「……父親じゃないんだぞ。子供の付き合いに大人が口を挟んでどうする!」
「喧嘩をよくしましたし……、愚痴られるぐらいは、と。結構、頼りない小父さんだったんですね?」
ラファルドのからかいに、ガルナードは笑顔に青筋をつけて応対する。
「馬鹿者! クレムディルという、あれに輪を掛けて歳を食っただけの、特大の糞餓鬼が居ったからに決まっておろうが!!」
ラファルドは意外な気がして、目を瞬かせた。
「……そんなに凄い人……、でしたっけ? 無器用な人、という印象はあるんですけれど」
ラファルドの記憶に在るクレムディルは、黙っていても荒々しさを醸し出す居住まいと、自分を知るが故に、一層無器用になって、寡黙を選ぶ、男臭い言動の持ち主だった。
グラディルの知るクレムディルと食い違うのは仕方がないとしても、国王の知るそれとも異なるらしいのは、少しばかり意外だったのである。
「おう! ディムと二人がかりで躾けた――いや、あれは奥方殿に止めを刺して貰って、どうにか形になった――だけ、……か? いや! そんなことより!!」
何処か懐かしく語っておきながら、様にならないと気づいて、慌ててガルナードは脱線を正す。
ラファルドは久しぶりに、他意無く笑った。
「見えるようですね。僕の方は……どちらも、5歳の時ですね。館に迷い込んできたのがラディで、クレムさんは、すっかり寝付いたラディを引き取りに」
「……クレムはともかく、よく迷い込めたな?」
当時、既に弟子入りしていたクレムディルは、国王を通して、ラファルドの父ディムガルダとも面識を持ち、交友を作っていた。
その数年後、ディムガルダは家伝の異能を失い、クレムディルは勇者を真剣に志すようになる。
「ですよねえ。館の警護には、腕が立つだけでなく、目端も利く人間を使いますし。……ああ、見逃されたのかな? クレムさんの血縁、ということで。丁度、祭りの日でしたからね」
ラファルドは敢えて、詳細は語らなかった。
大事な思い出である。
「僕は僕で調子に乗って、祝福……の真似事、ですかね、をしてみたんですけど」
「――お前! 何故、それを黙って」
目を丸くして驚く小父に、ラファルドは可愛気の無い笑顔を向けた。
「子供――幼子のやることですよ? 大の大人が真に受けても仕方がないでしょう?」
幼子のやる事だとしても、洒落にならないことがままあるのが神祇、の血族だったりするのだが。
語りたくないという甥っ子の素直じゃない心情を、小父は素直に汲んでやることにした。
話の流れを実務に切り替える。
「……まさかとは思うが、異能が衰えているのは――?」
国王の顔に戻った小父に、ラファルドはため息を返した。
「……、否定は……出来ない、ですかね。ただ、父の時とはアプローチが違いますし、手応えも、聞いた話とは違っていて――。何とも言い難いのが、正直なところです」
「どうなる?」
真摯な顔の国王に、ラファルドも遊びの無い顔で対した。
「どうとでも。最悪、失くしたとしても――問題は出ません。そのことは陛下の方が御存知であられるはず」
神祇――神通と呼ばれる異能を揮う故に、一定の役目を担う人間、の数は決して多くない。
けれど、ガルナード=アストアルの代に限って言えば、恵まれていた。
ラファルドが崖から飛び降りる覚悟で館出をしても、大した変化を見せなかった程度には。
「戯け! 誰が数を問題にしたか!! トラスの命運も、貴様の肩に掛かっているだろう!!」
最悪の想定は、〈力〉を御す目途が立たないまま、ラファルドの異能が完全に消失してしまうこと、である。
〈力〉の鍛練は、ラファルドが駄目になったから別の師匠を宛がう、という真似が難しい。
中途半端なまま放り出される結果になったなら、誰にとっても後味の悪い結末にしかならない。
最悪の想定に対する責任は、ラファルドの義務だった。
だから、見せない。
可愛くない言動を素直に叱ってくれた感謝は。
「間に合います」
「――――」
ラファルド国王は真っ向から視線を戦わせ合う。
「…………」
数秒後、ため息と共に視線を逸らしたのは、国王だった。
素直に言うわけには行かないが、済まなく思ったラファルドである。
「……現状、悪臭漂う粗大ゴミレベルですけれどね」
「――あれで、か?」
直前の戦闘でのグラディルを覚えている国王が目を丸くする。
公国最強を自負する自分でも再現は不可能。そんなレベルの技量が有って、悪臭漂う粗大ゴミならば――秀逸な性能の完品に戻った(成長した)時にはどうなるというのだろう?
しかし、ラファルドは表情を険しくした。
「あれは、偶然の産物です。嬉しくはあっても、褒められた結果じゃありません。おまけに、調子に乗って、勇者試験受験した挙句、あの体たらく! ですしね。締める所を締めないと、リサイクルアイテムレベルにも至れるかどうか――!! ですので、小父上?」
ラファルドの、おどろおどろしくも怪しい(雰囲気だけはキレた時のディムガルダそっくりな)表情に、不覚にも、国王は呑まれてしまう。
「はいっ!!」
「どうぞ、有意義な協力を。――よろしいですね?」
「――、!! ……」
本能的に返事をしかけて我に返り、どうにか、思い留まる。
気づけば、ラファルドのお辞儀が目の前に在った。
「後を追います。……K.O.されるだけで済めばいいですけど」
「――――」
引き止めそびれた国王に出来たのは、ため息をつくことだけだった。
「……背負いこみたがる? ヴァル、お前の方こそ鏡を見るべきだろうにな……。どうして、ああまで父親に似てくれたんだか……」
振り返りもしない後ろ姿を追う公国の主は漠然とした寂寥を味わっていた。
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