第116話◆blood revolt(1)
文字数 3,330文字
「………………きろー……おきろー、寝坊助……!」
「……ん?」
呑気なテンポで頬をぺちぺち叩いて来る何かを、グラディルは掴み取る。
そして、思いっきり噛みつかれた。
「――っ、たああああっ?! ……何なんだよ、いった――」
「粗忽者!! 俺様を不用意に握り締める奴は、皆、粗忽者である!」
「…………どちら様だ??」
「――――」
柘榴石を思わせる赤い目がグラディルをじっと見つめ返してくる。
掴まれているのが気に入らないのだから、とりあえず、掌を開いてやった。
金と銅の中間の色合いをした小柄な体躯がそそくさと拳の上に移動する。
そして、改めてグラディルは目を丸くした。
サイズはどうあれ、その姿は――御伽噺に出て来る、竜、そのものだったのだから。
「まったく! 寝坊助な貴様を起こしてやったと言うのに、俺様に掴みかかる挨拶が在るか!!」
「…………」
鱗繕いを始めたそれの声は、グラディルの耳に入って来なかった。
自分は地底の聖堂で戦闘をしていたはず。
一体、何時の間にこんな呑気な場所――何処までも晴れ渡った青い空、緩やかに吹き抜ける風、一面の赤茶けた砂と岩石の大地、に、やって来たのか。
心当たりはさっぱりである。
(確か――溢れ出しかけた〈力〉を抑えようとしたら、急に息切れが来て――)
「……おーい! 聞いてやがるかー!?……」
ふと、気が付いた。
変身が解けてしまっている。
そして、何やら妙な、藍と紫の中間に在るような色合いの衣服に着替えさせられていた。
「……んだよ、こりゃあ……?(……あ。確か、数えで七歳の時にやる「社参り」の時に着た奴に似てる――。境内で賽銭投げて終わり、じゃない、宮入してお祓いしてもらう時の!)」
「よし! ここはもう一噛みつきをかまして、俺様をシカトする対価というものを解らせてやるべきだな!」
「どうなってんだよ……(着替えた覚えすらねえし)」
何かを知っていそうな小さな狼藉者を(今度は噛みつけないように)摘まみ上げる。
「……ん? もしかしなくても――此処が何処だか、解ってない、とか言ったりするか?」
年齢のよく解らない声で小首を傾げられると、得も言われぬ愛嬌が漂った。
「……まあな。で? ちび様は此処が何処だか知ってんのか?」
「……がーん……! ちび様……!! ……まあ、この形じゃしゃあねえか……! いいか?! 教えてやるから、二度と俺様をちび様などと呼ぶなよ!? 此処は心象風景――心の中を形にした異……いや、”亜”世界ってとこだな!」
話ながら、小さな竜はグラディルの指を不可視の力で弾いて逃げ出し、拳から腕を伝って、肩へと移動した。
「じゃあ、俺は今、夢でも見てる――ってか?」
「んー……そこは不正解。戦っていた世界も現実なら、此処もまたれっきとした現実!」
そして、グラディルの肩を軽く蹴って、竜は宙に舞い上がる。
風がやや強くなった気がした。
「……現実? 心象風景ってのは、心の中を絵画化したもんだろ?」
ラファルドからの受け売りを口にする。
風に揉まれながら、竜はグラディルの目の高さまで戻って来た。
「その理解は間違ってない。俺達は『聖堂であって、聖堂ではない場所』に今、居るんだよ。貴様と俺様が出会う為の舞台に――な」
そして、グラディルの疑問は振出しに戻った。
「……んで、どちら様だよ?」
「…………」
背中の翼で宙にホバリングする竜は目を瞬かせた。
「ちび様じゃ、ねえんだろ?」
「……次、そう呼んだら、マジの制裁かますから。ひょっとして…………お前、俺様のことが解らない、とか言う??」
竜は再度首を傾げたが……今度はちっとも可愛くない。
表情の有無から来る違いだ――とは、この時は気づかなかった。
「知らねえから、聞いてんじゃねーの」
「…………、……マジで?」
本気で絶句されている。
「マジで」
頷きを返すと、時間を止められたように竜が固まった。
「………………、……馬鹿な! 今まで、散々っぱらに〈力〉を貸してやって来たんだぞ!? なのに、今を以て、俺様を…………知らない? んな、馬鹿な……!!」
器用にも、竜は宙でのたうつ。しかし、グラディルは本気で初耳である。
「……誰が、誰の力を借りたって??」
若干の不機嫌を籠めて聞き返せば、返事は間髪入れずに飛んできた。
「貴様が! 俺様の!! に、決まっておろーが!!」
「――はあ!?」
「『はあ!?』ではないわっ!! この、薄情者っ!! 貴様が五歳の祝いを迎えたその日に――」
グラディルには全く身に覚えの無いことを、竜は話し出す。
「――は?」
しかし、突然、独り言のレベルにトーンダウンした。
「……は、尻拭いされちゃったんだよな……、?!」
何を思い出したのか、竜は目を丸くする。
騙されていた、そんな単純な事実に今更気づいたかのようにも見えた。
「って、――それか!! そういうことなんだな?! 尻拭いついでに、俺達の出会いは無かったことにされた――んだな!? …………あんの、糞餓鬼様めえええっ……!! おい! グラディル!! 奴は何処だ!? ラファルドとか言う、見てくれ以外はちっとも可愛くねえ五歳児――あ。今は違うか。お前とタメのはずだしな。それはともかく! とにかく、繋げ!! ラファルド=セルゲートだ!! それこそ、知らねえなんて言わせねーぞ!!」
グラディルはため息をつきたかった。
「出来るわけねーだろ! そのラファルドを救出する為に、聖堂で戦闘中だったんだから!!(つか、こいつもファルの関係者で、…………五歳の頃から可愛げが無かったんだ……ファルって……)」
「……畜生……! てっっきり!! こんな場所でお前と出会えたもんだから、来るべき時が来たもんだとばかり――!! ……あーあ……最初っからやり直し、かあ……」
宙でののたうちが終わると、悄然と肩を落とす。
何故か、それが可哀想に思えたグラディルである。
「……んじゃ、納得したところでもう一度聞くぞ。どちら様だ?」
今度は、竜の方がマイペースだった。
「……つーことは……、”この”心象風景はお膳立て――、ってわけかい!! ……はあ……!」
「おーい」
「……ああ、もういい! 解ったよ!! やり直してやるよ! 最初っから!! 考えようによっちゃあ、好都合だからな! 要は、立ち合いがつく代わりに、横槍が入らないってことだ。『そっち』にそこまでの度胸と度量が有るってんなら、お膳立てられてやらあ!!」
自棄糞気味に断言すると、ホバリングを止めて着地し、尻尾で地面を叩く。
「――うわっ!?」
小さな一撃に反して盛大な砂煙が立ち込め、グラディルの視界を一瞬で眩ませた。
「……ったく、何してくれやがんだ!?」
煙を払いつつ、グラディルが怒鳴ると。
「悪かったな! ちょいと一手間が必要だったんだね!」
何処か幼い感じの抜けなかった竜の声が、明るさと逞しさが同居する大人の男の声へと変わっていた。
煙が風に紛れて消え去ると――グラディルの目の前に、人には在り得ない異相を備えた青年が居たのである。
年恰好はグラディルと大差なく見える。
しかし、眉間の角、金が入り混じった赤という頭髪、瞳孔が縦長に切れた、竜眼と呼ばれる赤銅の瞳が酷く印象的だ。
(こいつ……、……まさか、〈竜人〉とか言うんじゃ――)
〈力〉を誇る竜に特有の人型形態だとグラディルは直感した。
「んじゃ、まあ、改めて!」
何故か、竜人の青年はグラディルの肩をがしっと捕まえた。
「いいか? 〈盟約〉則った名乗りは一度きりが作法だ。つまり、これが最初で、最後。聞き逃した、聞き流したは、在り得ねえ! 恥になるだけだからな。後から泣き言を抜かさずに済むよう、よーく耳をかっぽじって、脳みその髄にまで焼きつけろよ?」
そして、爆弾発言を叩き込む。
「人間の俺」
「…………、――あ?!」
「我が名は、イーデンナグノ=ラフェリス=ソルド=ルグノッダ=ファラガンオルド!! 〈混沌〉を御祖に持つ祖竜が一にして、八神竜将が一柱!!」
「…………はあっ!?」
魂消るグラディルの前で、青年はありったけの不敵さを籠めた笑みを浮かべた。
「そして、グラディル=トラス=ディムナ=ファナム! 貴様の〈竜〉としての顔だ!!」
「――――、…………な、な――――何だとおおおおっ?!?!」
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