第87話◆救援
文字数 3,065文字
「大丈夫か!? おっさん!」
「……誰、が……おっさん、だ……!!」
「これは(結構、派手めにやられてる)……、――2分!!」
グラディルはゼルガティスの斜め後ろに向けて叫んだ。
魔王ゼルガティスの治療に2分の時間が欲しい、ということである。
しかし。
「馬鹿もん!! 1分でどうにかしろっ!!」
「……ケチ臭えよなあ……! ま、しゃあねえ。ちょっとでいい、大人しくしててくれよ」
無情とも思える師匠の返答だったが、請け負うのは戦場の監視と戦闘の代行である。
後れて到着したグラディルとセレナスはまだ知らないが、現状は魔術(恐らくは竜語)による先制を咄嗟に防いだクリスファルトがダウンし、緊急の手当てを受けている最中。
優秀な術師にはまず、自分達の守りの要になってもらわねばならない。
必然的に、差し向けることが出来るのは、前衛中心の部隊となる。
加えて、相手が巨人に匹敵する規模の体躯を持つ竜、というのも問題だった。
4人家族が暮らしていける鉄筋家屋を紙屑のように引き裂ける爪、攻城槌のような破壊力をまき散らす尻尾。
それだけでも、剣や槍で猛進に挑むのはかなり分が悪いのに、口元では何時でも吐けると言わんばかりに赤い炎の息がチラつく。
〈息〉は竜の代名詞ともいえる必殺技だ。吐かれたら最後、装備ごと灰にされる。
犠牲が一人で済むのならまだしも、絶対に近い確率で部隊員全員が巻き込まれる。
人海戦術など、悪戯に屍の山が出来上がるだけの下策オブ下策に過ぎなかった。
突貫の勢いは、どうしても、鈍らざるを得ない。
おまけに、戦闘の中衛で高い効果を発揮する飛び道具(物理)は竜の行動を掣肘する効果は低い上、流れ弾で味方を損傷させかねない。
以上のような理由から、”効果的な援護”を仕向けてやることは難しい。
加えて、差し向けられる部隊の危険性も、差し向ける側は勘案しなければならない。
どうしても、負担となる時間を切り詰めるしかなくなる。
おまけに、グラディルの奇襲で建物の崩落に巻き込まれてくれたものの、倒されたはずはなく、復活までどれだけの時間が掛かるのかも未知数なのだった。
グラディルは魔王の胸と腹に手を当てる。
傷を撫でられる結果になって、痛みで震えたが、すぐに掌から温かな感触が流れ込んできた。
痛みが消え、眩暈が治まると、待ってましたとばかりに〈恩寵〉が体中の不具合を叩き出していく。
「小僧! 貴様――!!」
〈呪〉が消去されて健常な視界を取り戻すと、全身を鱗に覆われて、表情すら碌に読めなくなったグラディルが目の前に居た。
「……〈竜気〉の使い手か……!!」
竜創――竜につけられた傷、に効く治療法は限られている。
しかも、魔王ゼルガティスを殺す為に用意された罠だ。逃げ道は残さない。
〈恩寵〉すらも食い尽くされて、噛み千切られるのが運命だったはずだ。
どんな偶然――いや、奇跡か、が在れば、こんな出会いが在るというのだろう。
この世界には、魔王を以てしても厄介と言うしかない能力の持ち主が居る。
勇者と並ぶ、魔王の脅威となる可能性。
それはガルドラ大陸の魔王に伝わる口伝で伝承されてきた、異能の血族たち。
まさか、こんな場所で遭遇し、まさか、窮地を救われようとは。
癒す為に当てられていた手を、ゼルガティスは掴んだ。
「噛み千切られた〈恩寵〉も、無事戻った。礼は言おう。だが――」
その手は最早、人間のものとは言えなかった。
びっしりと鱗が覆っているだけではない。
指の一本一本が異様に長く伸び、指の間にはまだ半透明の被膜が生まれていた。
このままでは、人間に戻れなくなる。
その一言を呑み込む破目になったのは、あまりにも強靱なグラディルの目だった。
「余計な心配は要らねえ。必要だから、やったまでだ」
「しかし!」
恐ろしくないはずがない。人でなくなっていくのは、見てくれだけではないのだから。
魔王に伝わる口伝とは、代々の魔王が一生を懸けて蓄えた経験と知識の集積。
魔王ゼルガティスが継ぐ口伝の中には、脅威としか言いようがない〈力〉を揮う、青年の姿が在った。
それは初め、人間だった。
だが、力を揮うごとに人の姿からかけ離れていき、かけ離れていくごとに人の心までも失い。
最後には味方だった者達に討ち取られて、息絶えた。
目の前の少年が、その二の舞とならない保証は何処にも無い。
むしろ、かなりの確率でそうなるはずだ。
魔王の言葉を拒否するように、グラディルは背を向けた。
「お転婆の援護、よろしく! 俺は――」
グラディルの視線を追いかければ。
瓦礫の山の一部が震え――噴火さながらに吹き飛んだ。
「あいつをぶちのめす!!」
噴煙の中から出て来たのは、勿論、あの白い竜。
「――――!!!」
怒りの咆哮を叩きつけると、掛かって来いとばかりに左足で地面を踏んだ。
「上等っ!!」
殴りかかろうとしたグラディルの肩をゼルガティスが掴む。
「?」
「俺が闘る。そうだろう?」
御伽噺に語られる神代の英雄、神人の如き業と引き換えに、失われるものが在る。
戦闘ならば、まだ、誰かの肩代わりが利いても、異能を行使した代償を引き受けることは出来ない。
目の前の少年がこれからも人間で居続ける為には、人間で居られる時間を一秒でも長く確保するには、これが当然の選択のはずだ。
だが、鱗だらけの少年の顔は面倒臭げな空気を醸しだした。
「……本調子だったら、任せたよ。正真正銘の魔王だもんな、おっさん」
(……ぐむっ!)
再度のおっさん呼ばわりに、無意識にグラディルの肩を掴む手に力が籠る。
けれど、グラディルはけろりとして、意に介さなかった。
「本気の、本物の戦闘って奴を一度は拝んで見てえよ。でもな、今は駄目だ。回復したとはいえ、全然空っけつだからな! 実力は在っても場数が足りない、半人前のフォローをさせたほうが釣りがくるはずだぜ。それに……」
「それに?」
「嫁さん貰いに来たんだろ? あんなお転婆でも候補なら、好感度稼いでおいた方がいいんじゃねえかな?」
「――――」
意外なくらい隙の無い正論に、ゼルガティスは呆気に取られてしまった。
「んじゃ、よろしくぅ!!」
恐れることなく魔王の手を払い、竜の巨躯めがけて真っすぐに駆け出す後ろ姿を眩しく見つめ。
知れず、笑った。
「――ふむ」
ゼルガティスが指を鳴らすと、黒い炎の巨大な砲弾が複数宙空に出現し、白い竜を襲う。
「おいっ!!」
駆け足を止め、ゼルガティスの方を振り向いたグラディルの傍に〈瞬間移動〉した。
「うおっ!?」
目を白黒させるグラディルの頭を、手荒に撫でる。
「意趣返し兼、肩慣らしだ。それぐらいは大目に見ろ。それとな。俺はゼルガティスだ。おっさんではない。いいな?」
「……、あ。俺はグラディルで」
おっかなびっくりの名乗り返しに、ゼルガティスはふと、からかってみたくなる。
「何だったら、ゼル兄と呼んでくれても構わんが?」
グラディルは一瞬で真顔に戻った。
「厚かましい提案は、却下する!」
「――ふっ」
あるかないかの笑みを口の端に浮かべると、ゼルガティスの姿は掻き消したように無くなった。
「――――!!」
威圧するような咆哮をグラディルに浴びせ、身体にまとわりつく黒い炎の残滓を振り払う白い竜。
「さあて、と――」
グラディルが踏み出した一歩が合図だったように、牽制と警戒に当たってくれていた部隊が引き下がる。
どちらからとなく、グラディルの拳が届く間合いまで接近すると、互いに爛々と目を輝かせながら睨み合った。
「覚悟しやがれ? 手加減は無用で! ぶっ飛ばす!!!」
それはこちらの台詞だと言わんばかりに、白い竜は強烈な咆哮をグラディルに叩きつけた。
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