第61話◆心底
文字数 3,057文字
振り下ろされる異形の拳を、突き上げる人間の拳が迎え撃つ。
広間を揺るがし、破壊する衝撃が激突の瞬間に生まれた。
しかし、一定の距離を奔っただけで、衝撃は海面のように揺らめく空間に呑み込まれて消える。
戦闘が生み出す周囲への悪影響を抑え、封じているのはラファルドだ。
無事で居られていると解っていても、緊張で強張った所が散見する貴族たち、感情の表出を最低限に抑えているセレナスを横目に、平然としていた。
(……うん、現状は上々。撃ち負けてないしね。向こうも、結構頑丈かな?)
血に眠る〈力〉を呼び覚ましたグラディルなら、大地に深い谷底のような亀裂を刻む真似も容易い。
なのに、現状は(一見)互角の撃ち合い。騎士の武具では届くかどうか判らない硬さを怪物が備えているのは間違いなさそうだった。
グラディルと怪物は互いに位置をずらしながら、二度、三度と撃ち合う。
グラディルの〈力〉の片鱗である燐光が周囲を漂っていた。
(制御は……利いてる。変身の兆候も無し、と。まだ本気じゃない、って所がアレだけど、悪い感じは受けないな。……さて。後は――、どういう風に片付いてくれるか、が、問題かな? 餌に気付いて貰えないようじゃ、強くても噛ませ犬止まりなんだけど)
ちらり、とサーマリウスに視線を向けた。
(ディムの奴……! どう躾ければ、こんな、難渋にも程が在る玉に育つと言うんだ……!?)
ガルナードはため息を噛み殺していた。
息を潜めて成り行きを窺っている、荒事の経験を相応に重ねた騎士達でさえ、緊張を持て余している気配が在る。
作戦の要となるポイント配した信の置ける人材は、流石に、敢えて退屈を醸す域に到達しているが、それも、積み重ねた経験が導いた帰結だ。
場数という意味では、間違いなく新米のグラディル以下しか踏んでいない。
下手をしたら、場に埋もれてしまいそうなほど平凡なラファルドは、歴戦の英雄の目から見ても異常で、異様だった。
(緊張と恐怖を興奮にすり替えて、己を維持している――なら、まだ、可愛げが有るものを……、あれではまるで、観察――いや、監察か? いずれにしろ、戦士の平凡にも程遠い!)
ふと、『神祇は英雄とも異なるものだ』という、親友の言葉が脳裏に蘇った。
(……まあ、万能の物差しを持つのは神様ぐらいのものだろう。優秀に間違いは無いし、頼もしいと断言することも出来る! けれど。絶対に! これはこれで頭が痛いぞ!! ディム――)
公国最強の英雄は、束の間だけ、親友に思いを馳せた。
「――!!」
環視の貴族たちに興奮が生まれ、息を呑む反応が伝播する。
更に数度を重ねた撃ち合いで怪物の拳にひびが入り、肩口まで一気に砕け散ったのだ。
誰もが、勝負の決着を予感していた。
「ふむ……」
何故か、当の怪物が腕を砕かれた自分を見据えている。
血の一滴も噴出さない断面は、土を焼き固めた人形が壊れたかのようだ。
「……妙だな?」
「陛下……?」
呟きを耳に留めて、セレナスが国王を見上げる。
「何故、出血が無い? 元が生身ならば、変身を経ても生身。魔族も生命なれば、身体を失う怪我をすれば出血を伴う。……どいう絡繰りだ?」
戦場を見つめる国王は真剣そのものだった。
「あの程度で、このガタつき……。確かに、頃合いだ……!」
戦局は防戦へと傾いているのに、怪物には緊迫感が無い。
そして、グラディルはさらに頓着が無かった。
「んじゃま、――終わりだ!!」
グラディルの姿が霞む。
その直後、もう片方の腕も破壊され、砕かれた岩塊のような欠片が無数に飛散した。
流石に、破壊される衝撃で怪物の巨躯がバランスを欠いているが――悲鳴は一粒も零さない。
痛覚が無いかのようだった。
「おかしいですわよ!」
そっと耳打ちしてきた主君を、仕えは振り返らなかった。
「そうですね……(生身から派生しておきながら、損傷に出血を伴わないこと。損壊していく自分を過ぎるくらい冷静に観察していること。魔族)」
ラファルドはふと、自分の言葉を思い出した。
『魔王に魔族は必要ない。魔王は魔を産み、増やすことが出来るから』
「(そうか、変態……!)損害を魔王陛下に擦り付ける腹でもあるのでしょうかね」
明確な根拠を欲して、結論は胸中に秘したのだが。
内緒話が聞こえていたとでも言うように、怪物が笑った。
「!?」
主従共に、ぎくり、となる。
「ラファルド、今のは――!?」
「……言質を取られましたかね(向こうは向こうで、半信半疑だった――魔王ゼルガティスが絡んでいる確証を欲したか……! 結構、こっちを調べて来てるな……)。癪です。或る意味当たりで、或る意味外れになってきましたし(目の前のあれは、捨て駒で確定――と)」
「?」
「御伝言を。魔王陛下に造反する勢力ではありますが、情報は取れません――と」
ラファルドの回答にセレナスは納得し、そそくさと国王の元に戻る。
それを咎めるように、怪物の額、瞳にも似た裂け目が暗く輝き始めた。
「! 手前っ!?」
「調子に乗り過ぎだ! 小僧共っ!!」
暗い光が爆発する。
光は物理的な圧力となって大広間全てに拡散した。
「さて、それはどちらでしょうね?」
怪物の耳元で、可愛気に欠ける、澄ました声がした。
直後、怪物は衝撃波の嵐に呑み込まれる。
放った攻撃を跳ね返されたと解かったのは、大分後のことだ。
そして、餓鬼共の片割れ――グラディル、は過激だった。
「泣き言をほざく前に覚えとけ。調子こかれる手前が愚図だってな!!」
「――ちっ!」
砕かれた両腕を一瞬で再生させ、グラディルの追撃を受け止めた。
「甘え!!」
〈力〉を込めて、グラディルは押し切ろうとする。
だが。
「さあて、どうかな?」
揺らがないばかりか、腕力でグラディルに逆襲を掛けた。
「ぐっ――!!」
一気に押し込まれ、押し返すことに全力を注ぐ破目になる。
そして。
「?! ――――」
環視の貴族たちが上げた声にならない悲鳴が内から外へ拡散し、騒然とした空気を産む。
力相撲が始まった周囲で、奇妙で、異様な音が続々と湧き出していた。
「ラディ!!」
「――――、!?」
ラファルドの警告に、どうにか、数ミリでも怪物を突き放して視界を広げれば――。
先程砕いたはずの腕の欠片が――泡立ちながら、蠢いていた。
「マジか……よ、……!!」
泡立つ肉片は一気に膨れ上がって、一定の輪郭を象っていく。
それは――分身。
囲まれるのは決定事項であり、襲い掛かられるのも時間の問題だった。
「さあ――、どうする!!」
膝蹴りがグラディルを襲う。
逃げ場はない。
残虐さが踊る顔で、怪物はそう語った。
しかし。
「うぜえ」
退屈そうに吐き捨てた、グラディルを包む輝きが強まると。
その姿が一瞬で霞んだ。
「馬鹿な……!!」
落下の重量に耐え兼ねた床がひび割れていく。
「かったりい真似しやがって――!」
再生したばかりの腕と、両足まで砕かれた怪物が、茫然と自身に暴虐を働いた人物を見上げる。
生まれたばかりの分身たちも、一体残らず粉々に破壊されていた。
「……まさか、此処までとはな……! だが、悔いるがいい。貴様らは、自ら恐怖に蹂躙される運命を選んだ――」
グラディルは輝きを集めた拳を怪物の胸部中央に叩きつける。
「……馬……鹿……め……、……が……!」
捨て台詞と共に、怪物は爆散する。
「寝言は寝てからにし、ろ――、!?」
足に走った微かな痛みに見下ろせば。
黒い、縫い針のような細さの棘が刺さっていた。
ただし、棘の根元は怪物の身体の残骸が落とす影に繋がっている。
「?!」
「馬鹿め――そう、言ったはずだぞ?」
止めを刺したはずの怪物の声は耳元から聞こえた。
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