第123話◆落着(2)
文字数 3,912文字
「……す、……な……った……」
掠れ気味のセルディムの声は聞き取り辛い。
加えて、抑揚にも欠ける平板さが、否が応でも予感を煽った。
勝利したのは、グラディルだ。
「叔父さん……!」
何を告げたいのか、何と答えればいいのか――。
グラディルに解かるものは何も無かった。
「すま……な、った――あ、にを……えの、父、を……。ち、から、を――ぎょしき……れ、なくて……」
「――――」
「……から、……に、やむ、な……れを、うち、は――した、こ――」
「……叔父さん…………叔父さん……、俺は――」
グラディルが答えに戸惑う間にも、セルディムの全身の炭化は進行していく。
時間が無い。
とっくに解っていたことなのに、碌な単語一つ出てこなかった。
「いき、ろ――から、は――そ、の、た――」
セルディムが息を引き取ると同時に炭化は完了し、一欠けらの輪郭も残すことなく崩れ去る。
何時までも動こうとしないグラディルに、ラファルドは思い切って声をかけた。
「ラディ」
「知ってたんだ……。父さんが、叔父さんのことで悩んでいたのは」
「…………」
「でも――親父も同じ事で悩んでいたのは……知らなかった。だから、ずっと、思ってた。俺が悩まされるのは――俺が不甲斐無いからだと」
同じ事――その身に宿す、竜の〈力〉についてである。
「……本当に、強い人だったよね」
武骨で無愛想でも、笑顔が似合う人。ラファルドの記憶に残っているクレムディルはそんな大人だ。
「父親でしたから、でしょう? お父様だって、弱い所は見せようとなさいませんもの」
話のとっかかりを探していたように、セレナスが入り込んで来る。
『あんなのと一緒にすんな!』的な憎まれ口を期待したのかも知れなかった。
けれど。
「俺は……何も知らなかった。親父が本当は何を考えていたのか。どうして、叔父さんのことまでディム小父さんに頼みたかったのか――叔父さんが、消息を絶つまで何を悩んで、何を諦めたのか――俺は……何も――」
「そうだね……、小母さんが家を切り盛りしてたし……修行に充てられる時間がたっぷり取れる、ぐらいにしか考えてなかったっけ……」
昔を懐かしむような口調のラファルドだが、その視線はずっと、グラディルに注がれている。
「……、――!」
セレナスも気がついた。
涙が、無い。グラディルの声には感情が決壊する前兆である震えが在るのに。
「俺は、何も出来なかった――」
「それは、」
ムッとしたセレナスを、一番近くに居た騎士が仕草で止めた。
「それは、僕も同じだよ」
ラファルドはグラディルの隣まで歩を進める。
「お前は違うだろ! 遺言だって、お前が居なかったら――」
むきになるグラディルに、ラファルドは芯を感じさせる声を重ねた。
「僕が今こうして居られるのは、皆が助けに来てくれたから。ラディに至っては、豪快にやり合ってたよね?」
「……、……見てたのかよ」
真っ直ぐな視線に、ラファルドは淡い笑みで応える。
「すぐ人事不省に戻っちゃったから、ほんの少しだけだけど。……何も出来なかったなら、こうして居られなかったよ……誰も、ね」
「…………」
「――――」
セレナスも何か言おうとして。
「殿下」
サマトの場を弁えた、柔らかなはずの声に阻まれた。
「そろそろ、出立を考慮して頂きませんと――」
「そうね」
硬い表情でなかったとはいえ、胸中では俯きたかったセレナスである。
ラファルドの傍で佇んでいたセルゲート家の家人が一歩、セレナスの方に進み出た。
「恐れながら」
「許します」
「はっ。……殿下方は危急の出立でした故に存知でなくとも不思議は御座いませんが、現在は夜半。この遺跡が王都に卑近とはいえ、行軍には応分の距離が在ると考えるに十分でしょう。出立の御下知には一考の余地が在るかと」
セレナスははっとした。
けれど、サマトが憎まれ役を買ってくれたことも解っている。
「……、そうですわね……。中途から街道を使うとはいえ、途上には魔物も出ますし。不埒者の存在も、無視しない方が賢明ですかしら……?」
セレナスは本気で思案し始めた。
夜間の行軍は危険が付き纏いやすい。
視界が悪くなり、道に迷いやすくなる。
戦場に乗り込むのであれば、士気も緊張も保てるが、目的を果たしての帰投だ。
気が緩み易く、効率的な行軍に必要な小休止は眠気という強敵を呆気ないくらい簡単に呼び込むだろう。
最も警戒すべき不意打ちを仕掛けて来るのは、魔族に限った話ではない。
どうしても、という必要が無い限り、避けた方が無難だった。
傍でセレナス達を伺っていた別の近衛騎士も頷く。
「”清掃”も粗方完了しております。このまま夜明けを待った方が、かえって安全かも知れません。……もう、余計な魔物が入り込む余地は無いようですから」
セレナスは助言をくれた近衛騎士に釣られたように、改めて周囲を伺った。
泉の間(地底聖堂の名前、らしい)は、グラディルVSセルディムの決着と共に、本来と思われる様を取り戻している。
床のタイルは刻まれた紋様が幻想的なほど青く輝き、壁面も天然のステンドグラスと呼べるほど美しく、幻想的に煌めている。
それだけでも十二分に神秘的なのだが、輪を掛けて特異なのは泉の間での視界だった。
自身の立つ場所を起点に、半径3mより外は踝まで浸る青い水(進めば退き、退けば迫る幻の水である)に覆われているように見える。
しかも、壁際から内部を振り返ると、得体の知れない深さを誇る水の上に人や祭壇が存在しているように見えてしまう。
原理不明の幻想的光景が広がる、小さな異世界。
この場所がどうして神聖な場所と看做されたのかが、誰にでも解るような気がした。
「……そうね。そういうことならば、此処で夜を明かすとしましょうか!」
王女の決断を受け取った幾人かの騎士が頷いて、伝達の為に散った。
魔物の出る場所に遠征して、脅かされることの無い休息が取れる。それは大変大事なことだ。
「となれば――遺体は、どうされますか?」
「!!」
セルゲート家の家人のさりげない問いかけに、グラディルは咎められたように震えた。
「それは…………」
セレナスは言い淀んだ。
マグスは誘拐事件を企んだ当の人物であり、征伐された。打ち棄てられるのが当然の扱いである。
グラディルの胸中を思えばこその躊躇いだったが、王族としては好ましくない。
間を埋めるように提案したのはラファルドだった。
「此処を墓所としては如何でしょう? 幸いにも、多少は力が戻っておりますので、葬送の儀に差し支えはありません」
「ファル……、お前――」
グラディルが驚いて、ラファルドを見つめる。
セルゲート家は元来、境界に通じる家だとされる。しかし、市民から見たセルゲート家の立ち位置は、少し異質な貴族。
加えて、ラファルドは大人に見える振る舞いや考え方が目立つ少年だ。
家が後ろ指を指されかねない申し出をするとは、グラディルは考えていなかった。
「この大広間は、聖堂。神聖を旨とする場です。死はしばしば穢れと看做されますから、遺体を捨て置くのは好ましくないかと。加えて、義が在ったとはいえ、戦闘もまた神聖なる場を荒らす行為と看做されるもの。葬祭の儀を以て宥め透かすことは、公国の不利益には当たりますまい」
「…………」
セレナスはまだ判断を躊躇うように待つ。
「殿下、御決断を」
促したのは聖堂でごった返す騎士団員達を、隊長としてまとめ上げている近衛騎士だ。
セレナスの躊躇いの意図を察したのはセルゲート家の家人だった。
「ただ、二度の弔問は叶いますまい。祀りの場とは静寂を尊び、旨とするもの。上層が魔物の跋扈する遺跡であることを差し引いても、悪戯に国を騒がせたのです。戒められるのも仕方なきことかと」
「……そうね。ならば、後始末が終わり次第、この遺跡は封鎖としましょう。目的は無事果されました。後は神聖なる場を乱したゆえの後難を排し、王家の威光に瑕疵を残さぬ為の処置を含めて、後始末とします!」
「はっ!!」
騎士達からは不満も異論も無く。
「あ、有難う御座いますっ!!」
グラディルは至極真っ当に頭を下げた。
泉の間は円形の大広間であるが、一つだけ独立して存在するのではない。
祭壇を正面に見た時の斜め後方には小部屋へと繋がる扉が幾つかあって、小部屋の床には柔らかな地肌が剥き出しになっているものが在った。
その一つを即席の墓所として選び、ラファルドとグラディル、立ち合いのセレナスと数名で葬送の儀は執り行われたのである。
儀式の間中、セレナスは二人から距離を取って、俯いていた。
「如何なさいました? 姫様」
「……サマト……」
そっと問い掛けて来た近衛騎士を一瞥しただけで、また俯いてしまう。
騎士はただじっと、傍に控えていた。
「…………私は――何も出来なかった、のですね……」
「姫様」
「解っています! 何の役にも立たなかったのではない、と。でも――私が願って手に入れたものは、何もありません。義務や恵まれた立場は在っても――それすらも、私が自ら望んだ物だとは言えない。けれど、あの二人には在りますわ。立場や義務だけでない何かからくる、何か……が――。だから――」
「……姫様」
言葉を選びかねた騎士に、セレナスは淡く微笑んだ。
そして、しばし、葬送の祝詞を読み上げるラファルドと、その背後で片膝をついて瞑目するグラディルの後姿を見つめる。
「…………ねえ」
「如何様にも」
「先程の話は……秘密にして下さいます? それと」
「…………」
「…………」
「……それと?」
「背中を貸して頂きたいの。……これも、秘密に――」
「どうぞ」
差し出された騎士の背中に寄り添うようにセレナスが近づき。
「――――」
押し殺された嗚咽と震えを、近衛騎士は何事も無かったように受け止め続けた。
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