第95話◆困惑
文字数 6,869文字
「…………、全く。水臭さにおいても、人後に落ちませんのねえ、貴方は」
「ちっ」
面倒臭いことになったと、グラディルは舌打ちする。
夜半の更衣室で、一人身支度を整えていた所をセレナスに抑えらえてしまったのだった。
「昨晩から今日の昼過ぎまで。ずっと出ずっぱりで、お父様にあれだけこき使われて。明日まで目を覚まさないとばかり……。ま、丁度良かったですわ。脱走を企めるのなら、体力に問題は無しでしょう!」
セレナスは勝手に納得して背を向ける。
力づくで押し通ることも考えていたグラディルが、虫が良過ぎると苛立ったのは当然だったのか。
「――おい」
不機嫌な声を掛けたら、澄ました返事が待っていた。
「逃げたければ、どうぞ、御自由に。近衛と騎士団合同の包囲網。それも多重。切り抜けられる自信がお有りなのですものね? 私はその間に、悠々とラファルドを救出させて頂きます。そろそろ、ゼルガティス陛下から連絡が届く頃ですしね」
更衣室周辺に余分な気配は無かった。首尾よく忍び込めたのだと考えていたが。
むしろ、それこそが餌だとしたら。王女の仕えという任務に逸脱した途端、牙を剥くのだとしたら。
焦るのは良くない。そう、自分に言い聞かせられるだけの余裕は、まだ、残っていた。
「……それをさっさと言えってんだ!」
セレナスの目が獣を思わせるように細まった。
「付いて来るのなら、情報だけ抜いてとんずら――などという真似は諦めることね。私の仕えとして恥ずかしい真似をしたら――、牢に叩き込みます。私の手でね。そして、そうなったなら、ラファルドの救出には向かえませんから。そのおつもりで」
まさにその算段を検討していたとは言えず、見透かされたようなグラディルは具合が悪い。
しかし、セレナスの仕えという体裁を守れるなら、情報も提供するし、救出作戦に参加して良いとも言っていた。
セレナスの心底が解からず、グラディルは少なからず混乱する。
「……何しに来たんだよ、手前……!」
獲物を値踏みする獣めいた気配が消えると、セレナスは悠然とした空気を取り戻した。
「決まってますでしょう? 寝坊助を叩き起こしに、です。寝起きの良さは、褒めて差し上げますけれど。……それから?」
意味深なセレナスの目に、グラディルはため息を返した。
とりあえずは、脱走中断である。頼りに出来る伝手が在るなら、それを活用してからでも遅くない。それに、これはラファルドが紹介してくれたアルバイトである。あまりおざなりにしてしまうと、後が怖い気がした。
「悪かったよ、勝手な真似をして。夜の予定なんて、なーんにも聞かされてなかったもんでね。てっきり、暇だとばかり思ってたぜ! ……晩餐会、今日もやってるんだろ?」
呆れた話だが、公国はあんな騒動が在ったにもかかわらず、晩餐会を中断しなかった。
日の出から日没まではせっせと王都復興に精を出し、日没から日付が変わった少し先までは(多少はスケールダウンしたが)晩餐会に勤しむという生活を始めたのである。
呆れているのはセレナスも同じなのか、ため息を返してきた。
「仕方が在りませんでしょう? 想定は中日でしたのに、まさかの初日でしたもの。予定は予定通り、こなしませんとね」
グラディルと違うのは、公国や王家が守らなければならない体面に理解が在るところと、晩餐会の発案者として、手配した物資には日持ちさせられない物が少なくないことを覚えているところだ。
「それと、夜の予定を教えなかったのは報酬です。労働の対価。それ以上でもそれ以下でも在りません! ついてらっしゃい。作戦会議が始まりますわ」
「……了解!」
グラディルは眠気の残る眼で欠伸をした。
『――と、いうわけだ。申しわけない。〈探知〉を振り切られてしまった――』
セレナスが授かった宝飾から聞こえる魔王ゼルガティスの声。
本当に頭を下げられている気がしたが、セレナスは敢えてため息を隠さなかった。
「…………、そうですか……。いえ、詫びは無用ですわ、ゼルガティス陛下。後は、私共で探り当てて見せますから」
公国に狼藉を働いた不埒者の追跡は、元来、公国の役目。失敗したからと言って、責めるのは筋が違う。土地勘という意味でなら、ゼルガティスは素人と言っていいのだから。
セレナスが気を使うのは、ゼルガティスに寄り掛からないことだ。
(ディム小父様の助言は、『万が一! 取り逃がしたなら、魔族の陛下を頼りなさい!!』。つまり、ここから先が私たちの領分……出番、ですのね!)
『……その……、捕虜、の様子は――どうだ?』
ゼルガティスの声の気まずさにやり過ぎた可能性を見たが、足を取られている場合ではない。
会議室の出入り口で控えている騎士の一人に視線を移すと、肯きが返って来た。
問題は起きていない。伝達には承認が出ている、ということだ。
「ぐっすりと熟睡中、です。……欺かれてなければいいですけれど」
そこには、今回の騒動の主犯と目されているジェナイディンも含まれていた。
『謙遜は無用だ。あれは、魔力を極限まで削られたがゆえの昏睡。生半な事では……、厄介な術を使ってくれた……!』
魔族としての忸怩たる心情には、気づかなかった振りをする。
「如何されますか? 御事情が許すのでしたら、逗留を手配させて頂きますが」
『そうだな……、お願いしようか。私が戻るまで、待てるな?』
(――あら、まあ!)
セレナスに明らかな苦笑が浮かんだ。
「お約束は、し兼ねますわ。現状、自由に動けるのは私共だけ、ということでして。その現状も、何時変転するか予断を許しません。ただでさえ、救出は迅速果敢を旨とするものですし」
『解った。くれぐれも――』
(……困った方、ですこと……)
情け深い人柄、と言えば聞こえはいいが、少々視野が狭いようだ。魔王という立場や実力に自信があるからも知れないが――困る。
何故、公国は今も晩餐会を続けていると思うのか。
婚姻成立――と相成るかも知れない。けれど、相手がセレナスだとはまだ、決定されてはないない。破談で終わる可能性も残されている。
成約か破談かを決めるのは、公国と――魔王。
(自身の御言葉には、きちんと責任を持って頂きませんと――ね)
誠意には誠意を。それが、作法だろう。
けれど、ゼルガティスは異種の王にして、異国の王。
個人としての付き合いだけでなく、組織の頂点に立つ者としての付き合いもこなさなければならないのだ。
個人の事情にばかり走られて、王の面子を疎かにされては、公国の面子が潰されてしまう。
セレナスは公国の王女。受け取れない贈り物は受け取らない。
発露が掛け値なしの厚意だとしても、間違っても厚意から出た物ではないと弁えなければならなかった。
公と私、その区別に緩さがある相手からであるならば、尚のこと。
非礼と受け取られても、拒む。それがセレナスの選択だった。
「陛下こそ、お気をつけあそばされませ。では、また」
通信が切れる直前、漏れてきたのは苦笑の気配である。
「……いいのかよ? 助かるんじゃねーの?」
通信の終了を待ってましたとばかりに、グラディルが突っ込んできた。
しかし、それは予想された質疑に過ぎない。
「そんなに甘い話じゃありませんわ。公国が負うべき借金を決めるのは陛下、ですもの。それに、内実は違ったとしても、魔王陛下は外遊にお越しあそばされましたのよ? 我が国のもてなしをご堪能頂くのも、王の勤めの内ですわ。足労頂いてお疲れになったのなら、尚のこと!」
「ふーん」
一見、物分かりの良さそうな反応が気になり、セレナスはグラディルを一瞥した。
「……それに。グラディル、貴方は軍学生ですわよね?」
「おう! ……まあな」
グラディルは返事をしておいて、何でそんなことまで知ってるんだ? という顔をしたが、仕えが始まった翌日に届けられた履歴書(公国の人事院が作成した簡略版)に目を通したから、セレナスは知っているのである。
「でしたら、魔王陛下不在の方が、都合がいいのではありません? 公国が誇る戦力の一端と交流を持ち、内聞を得られますもの。果ては勇者でも、卒業すれば軍属。軍人に興味が無いとは、言いませんわね?」
「……まーな」
グラディルの顔には意味深な感じが在ったが、セレナスはそれを重大だとは考えなかった。
「さ、無駄口は此処まで。皆、話の大筋は掴めてまして?」
セレナスが会議室に詰めている人員を見渡す。
参加人数はセレナス、グラディルを含めて12人。全員が佐官級の猛者達(国王の許可の元、騎士団と近衛が合同で選抜した)で、夜の闇にも紛れられる、暗色の制服に身を包んでいた。
ジャケットとズボンが戦士系、屋内用にアレンジされた、薄手の外套を羽織っているのが術師系である。構成比は7:3。
彼らが囲んでいるのは一度に20人程度が囲める円卓だ。
「はっ!」
短い応答ながら、ピタリと揃う。
「では、改めて。魔王陛下からの助力は受けません。先程の雑談ではありませんけれど、魔王陛下は公国の客人であられます。これ以上、公国の内情に介入されるには陛下の理解が肝要です。おまけに。これは私の推論ですが、これから向かうことになる戦場では、あまり、お役に立っては頂けないでしょうね」
セレナスはグラディルを率いて、円卓に歩み寄った。
中央には一枚の地図が広げられている。既に、ゼルガティスがセルディムを見失った地点が赤く書き込まれていた。
「魔力による〈探知〉が通じない理由、ですか」
男の騎士が呟く。
法外な魔力の化身である魔王が振り切られる。そこには応分の理由が在るはずだった。
「ええ。竜由来の物なのか、はたまた別の事由に拠るものなのか。今はまだ判断できませんが、まずはそこから絞りたいと思います」
「運が良ければ、拠点に通じる手掛かりになるかも――ね」
女性の騎士の視線は地図に集中していた。
「ですから、この地図に在るもの、事柄、何でも構いません。心当たりになるような物が在れば教えてください! お願いします!!」
セレナスとグラディルは二人揃って、騎士たちに頭を下げた。
話し合いが始まってから数分後、茶の支度を整えたサマトが会議室にやって来た。
通常であれば部屋付きの侍女、もしくは侍従の役目だが、状況が状況である。
情報管理の一環として、騎士(この場合は第三王女付きの近衛であるサマト)が雑務も担当するのだった。
冷茶や冷水を配って回るサマトを背景に、グラディルはじっと地図に集中していた。
「……(この辺りで見失った――んだよな)……? あれ? まさか――!?」
「何です?」
セレナスは険しめにグラディルを一瞥する。
間違っても、軍学生という半人前から手掛かりが出て来るとは考えていなかった。
「……なあ、サマトのおっさん。もうちょっと雑な地図、ねえかな?」
「…………おっさん……」
出世の速さを心の片隅で自負したことが在る近衛騎士に、グラディルの”おっさん”呼びは想定外の衝撃だったのである(ちなみに、騎士の何人かは吹き出しかけた)。
無視される形となったセレナスは、当然のようにむっとした。
「ちょっと。はっきりとおっしゃいな! これは特級地図ですのよ!? 役に立たないはずなんて――」
しかし、グラディルは議論することの省略を選んだ。
今、重要なのは、自分の中に生まれたとっかかりに確信を与えること。
解り易い説明はそれからだ。
「出来れば、市井でも使える奴。ベストは〈冒険者〉が好む地図なんだけど……!」
「ちょっと!」
重なる無視に、セレナスがグラディルに向ける眼差しがより険悪になっていく。
誰かが指摘するよりかは早く、グラディルは一応でも納得できる回答を出した。
「俺の覚え違いじゃなかったら――遺跡が在るはずなんだ!」
グラディルはセレナスを振り返ることなく、魔王が追跡を断念した地点から西よりのある一点を凝視する。
目の前の地図と記憶の中の地図を必死に照らし合わせていた。
「サマト、古地図だ! 新し過ぎるのが――学術用語が、邪魔ってことだ!!」
騎士の中で一番体格に優れた男が叫ぶ。
言わんとすることを呑み込んだサマトは、頷きを返して、足早に会議室を出て行く。
「……はあ?! 何です、――って!?」
セレナスは目を丸くした。
特級地図の特級は特別に優れている、最新にして最精細であることを意味する称号だ。
ゆえに使用される名詞は学術名称――専門用語、が優先される。
学術名称とは、語弊を恐れなければ、(特に)専門家同士で通じる「俗語」。
市井の人々が常識とする名詞――「俗称」、と異なっていることは珍しくない。
加えて、公国は情報に価値を置けばこそ、「博士」という肩書を作り、価値を与え、把握できる者を選別してきた。
更には、公国民の殆どである市民に、高度な専門性を持つ学問は生きていく上で必須ではない。
ゆえに、専門性の高さと理解の間口の狭さは比例の関係になり、学究の用途にも耐えられる精密な地図であるからこそ、かえって何を書いてあるのかが判らないという弊害を無自覚に産んでいたのである。
ちなみに、冒険者が金銀財宝の手がかりとして好む古文書の一分類である古地図に用いられるのは、作成当時の言語。最新を要求される軍用地図では真っ先に排除されてしまう代物だ。
それが、何故市井で通じるのか? と言えば、一つは口伝。
血統であったり、立場によって伝えられると決まっている、口頭による伝承。
それは時代による変遷を受けないものではないが、原則として伝えると決められた時点の言語様式を守る。その様式を理解する為に必要な技術なり、知識なりも様々な形で継承されていくことになり、それが言語、常識としての寿命を延長させる結果を産む。
もう一つは型落ち。
最新の様式、最先端の情報は組織を担う者が機密として占有する、その傾向が産んだ反動として、市井には「新しくはあっても最新ではない物」が頒布されることになる。だが、常に最新のアップデートを受けられるのはほんの一握り。市井に広まる”一般”規格は必ずしも、「最先端」と同一のタイミングでアップデートされることは無い。不特定多数の人々が利用することになる為、最新であることよりも汎用性――扱いやすさ、が重要視されることが少なくないのだ。
その為に、「最先端」との”型ずれ”が進行し、「最先端」では時代遅れであるはずの言語、常識が現役として幅を利かせ続けていることも珍しくなくなる。
その”型ずれ”が世代、時代というスケールで発生したらどうなるのか――。
「それで!?」
術士系の男性が話の先を促してきた。
多少でも興奮気味なのは、遺跡の二文字に反応しているから、らしい。
グラディルは思い出しつつ、言葉を選んだ。
「小遣い稼ぎのバイトで、〈冒険者〉が出入りする酒場を使ってたんですけど。食事を運ぶ時に、古い地図を盗み見た程度なので――」
大した情報ではないはずだが、術師の男は考え込み始めた。
〈冒険者〉が興味を持つ遺跡。そこが男にとって問題であるようだ。
「まさか……、いや、可能性が無い話じゃない――。年代を特定できる手掛かりとかは?」
グラディルは申しわけなさそうに首を振った。
「……すみません。そこまでは――」
そこへ、サマトが新しい地図――市井で市販されている物、を持ってきて、配り始める。
そして。
「――在ります! 在りますわ、遺跡が!!」
その地図を目にした途端、セレナスが興奮と共に叫んだ。
「は?」
びっくりして目を丸くするグラディルを無視して、セレナスは手にした地図を卓に広げ、陸地の変動で干上がったとされる渓谷の跡地――ゼルガティスがセルディムを見失った地点にほど近い場所、を指さした。
グラディルが睨んでいた場所からはやや東南になるその地点は、王都からは無理の無い旅程で臨む旅人で一日。装備を整えた騎士団や〈冒険者〉なら、四半日を掛けるかどうか距離だ。
「相当に古い遺跡だそうで、恐らくは古代人に関わる物だと考えて――」
今度は、興奮するセレナスに、グラディルが突っ込みを入れた。
「……おい! よく、そんなことまで調べられたな!?」
普通は〈冒険者〉か考古学者、特定の時代を専門にする民俗学者ぐらいしか興味を持たない事柄である。
というか、サマトを除く騎士達は皆、目を丸くして王女を凝視していたのだった。
「決まってますわ! 遠征予定地ですもの!! ただ、下調べが全然間に合ってなくて――」
「と、いうことは……魔物の出没は確定なのですね、殿下」
さりげない、しかし、引きつった顔のサマトの合いの手。
「ええ、その通りよ――、――!!」
言い切ってから我に返って、セレナスは己の失態を自覚した。
白百合姫と評判を取る第三王女の悪評の根源は――警護の騎士を振り切って、宮城を脱走してしまうことに在る。
グラディルがぼそりと突っ込んだ。
「改名しちまえよ。偽者だって、嘆かれたんだしさ」
「……だ、黙らっしゃい!! 貴方にそんなことを抜かされる筋合いなど、無くてよ!!」
セレナスの顔が赤かったのは、羞恥の為だけではない。
「…………」
どうしようもない諦めが、会議室中に満ちていた。
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