第62話◆魔人
文字数 4,685文字
「……な! 何ですの――!?」
セレナスは驚きで目を見開く。
グラディルは足元に気を取られた直後、一瞬で串刺しにされた。
細く長く伸びた、無数の黒い棘で。
今、眼前には、赤い血を滴らせる真っ黒で奇怪な形のオブジェが在った。
棘という棘が生え尽した立像には、最早、地肌一つ覗く余地さえ無い。
「……くっ、くっ、くっ……は、はは、はーっはっはっ……!! 見たか――!!」
「…………」
怪物の、興奮と喜悦が混ざった満足に、人間は誰も言葉が無い。
「ラファルド!!?」
セレナスの叱責は悲鳴の裏返しだった。
けれど。
「お静かに」
無感情な返事で突き返す。
「!! ――――!?」
まなじりを釣り上げた王女を、国王がその肩を掴んで諫めた。
(何か、方策が在るということですのね!? ……そうでなかったら、承知しませんから――!!)
文句を噛み殺すのがやっと、という風情で引き下がったのである。
「!!?」
蜂の巣になった肉塊が崩れ落ちて、人間に悲鳴を上げさせる。
荷物を放り出した棘は宙を泳ぐように伸び、或る一点に収束し始めた。
絡み合って球体を作り、直径2mにまで成長すると、棘の輪郭と物体としての立体感を失い、影のように扁平な円形となった。
(……残骸が、無くなっている……! ということは――黒い棘のようなものが本質……? だとしたら、怪物の姿も、最初の人間然とした格好も偽装? ……変態であることを考えれば、結論――完成形を待った方がいいかな? ……始まった!)
見えざる手が粘土か何かのように、宙に浮かぶ、不透明な影をこね回していく。
そして、一定の輪郭が造成されていることに、ラファルドは気が付いた。
(人型……! 元は魔族だから――魔人、かもね……)
背中に刺さる主人のきつい眼差しは意識して払い除けていた。
輪郭が完成すると、影は膨らむ風船のように立体感を取り戻していく。
筋肉質の体躯、肩と肘、膝から生える角、額にも目を思わせる切れ込みを持つ、禿頭の男の顔。
眠っているように思えた顔がにたり、と笑うと異様に発達した犬歯が剥き出しになる。
手足の指先は人の物とは似つかない、円錐状に尖った物だった。
そして、立体的な影絵は黒ずんだ赤という色彩を得た物体となり、鼓動のような痙攣を初めて、異形の命となった。
2mにも満たない身長が床を踏みしめると。
「ふう……。いい目覚めだ……!」
「…………っ!!」
赤黒い魔の瞳の一瞥を避けるように、貴族たちが悲鳴を押し殺して視線を逸らす。
人に酷似した魔の面立ちに釘付けになっていた衛兵の一人が愕然と叫んだ。
「!? あいつは――?!」
「(……ちっ)!!」
肘の角がするりと伸びて影に潜り、何故か、衛兵の影から顔を出して、腹を穿つ。
「――ぐっ!!」
苦痛に表情を歪めた次の瞬間。全身が土くれとなって崩れ去る。
しかし、土は不可視の力で魔人からは遠ざかるように運ばれ、そこで元通り、衛兵の姿を取り戻した。
おまけに、負傷は無かったように消えている。
「……!?」
衛兵は目を白黒させていたが、近くの仲間に小突かれて、警戒態勢を取り戻した。
「貴様か……!」
角を元のサイズに戻した魔人は邪魔をした犯人をラファルドだと決めつけて来る。
(……魔人に変態して、嗅覚が上がりましたかね? まあ、何回か邪魔もしてますし、そこは良しと――)
「癇に障る――と、」
魔人の乾いて掠れた声。咎める口調を邪魔するように、口が笑った。
「……美味そうだ……! お前から、美味そうな匂いが――!!」
赤い眼球の黒い瞳が真ん丸に見開かれ、口腔からまろび出た異様に長い舌の先端が二又に割れる。
ラファルドは心底迷惑そうに糾弾した。
「空きっ腹の、理性飛びかけですか……! 卵の産み捨てじゃないでしょうに……!」
「………食う、……食う、くう……くウ、クウクウクウクウ…………」
魔人の両手が宙を抉り、飛び掛かりの前兆のように全身を撓ませると。
「……ぁ、あ。――――っ、ぁあああああ――!!」
圧し掛かる空間を押し広げるように腕を伸ばして、絶叫した。
「!?」
窓ガラスが残らず粉々になって崩壊し、広間の天井にまで亀裂が走る。
しかし、ラファルドは無傷(かつ、無表情)であり、崩落を始めた装飾の一部も、半球状の天蓋に隔てられて脇に逸れ、人間に悪さをした物は一つも無かった。
「……おい」
国王が冷や冷やした顔で苦情を入れに来た。
好きにさせ過ぎだ、ということなのだろう。
けれど、ラファルドは魔神を見つめたまま振り返りもしない。
「お静かに。変態の途中ですから、手出しはしたくないんですよね。暴走されると、後始末が大変ですし」
ちなみに、戦場はラファルドの結界に包まれている。被害の偽装も、音量の調整もラファルドの意のままである。
「全力を発揮される前に、叩いておきたいが――」
最強の英雄は最強の戦士でもある。何処となく獰猛な気配を漂わせていた。
「父曰く、『魔族の変態は疑似的な進化。下手に危険に曝すと、想定外の事態を招く』――とか?」
「むう……!」
セレル=アストリア公国から魔族を追放したのは公王ガルナードの偉業だが、一人で成し得た物ではない。
影ながらの助力を惜しまなかったのが、公国最強の神祇(当時)だったラファルド達兄弟の父、ディムガルダである。
その言とあっては、国王といえど無下には出来ない。想定外の事態は、起こさないに越したことがないのだ。
「……では、公国の沽券は如何しまして? 誰も彼もが作戦に理解を示してくれるわけではないでしょう?」
父親の後を付いて来ていたセレナスは、不機嫌を隠し切れていなかった。
今夜から始まる晩餐会は罠であるからこそ、晩餐会として真実でなければならない。
真実味を持たせる為に、罠であることは必要最低限度にしか通知されていないのだ。
公国が求心力を失わない為にも、体裁を考慮することには一定の重みがあった。
ラファルドは少しだけ考える素振りを見せる。
対応の違いに国王がむっとした表情を作ったが、ラファルドとしては、玄人と素人の間に在る格差を考慮しただけに過ぎなかった。
「そうですね……、それでも、お勧めは出来ませんね。陛下が目障りな脅威であることは、向こうも織り込んでいるはず。必ずしも能力が高いと言えない変態したてで、確実な効果を上げられる可能性が高い、即効の戦術は――」
セレナスが不愉快を表情に紛れ込ませた。
「自爆、でしょう?」
ラファルドは肯く。
国王は諦めたようにため息をついた。
「それは、最悪の可能性、と御承知下さい。臆病の誹りを受けようとも、考慮する義務からは逃げられません」
感情をちらとも見せない横顔を前にしているのに、殴りつけてやりたい衝動を抱えていたのに、感情が穏やかになっていく自分。
「……解りました。続きを」
「魔人の肉体は高密度の魔力の結晶。自爆を止め損なえば――現状のレベルで、被害がどんなに軽微に収まったとしても、王都は一から造り直しですね。陛下。御存念は如何程にあらせられますか?」
台詞の最後は、何処か悪戯めいていた。
「無いっ。覚悟も無ければ、予算も無いっ! すっからかんだ!!」
開き直った英雄に、ラファルドはため息を贈る。
「……、それと。これは恐らく、魔王陛下の言に拠るところの『抜け殻』」
「では、あれは――、魂を奪われ、魔に組み込まれたという――、”人”……?」
愕然とするセレナスに、ラファルドは肯きを返した。
「顔を見知っている誰かが居るのも、当然ですね」
国王のため息が一際深くなる。
「……気のせいか? 面倒臭い後始末の山が……今から見えている気がするんだが……」
元人間だという魔人の正体は勿論、どういう経緯で人間を辞めたのか、人間だった頃の周辺関係……等々、国家を使って、微に入り細を穿つほど綿密に探り出し、解き明かさなければならないことが山ほど在る。
当然、そこには人も時間も金も湯水のように注ぎ込まねばならず、その為に必要な手続きは更に煩雑で――。
ただでさえ政務に忙殺される国王の日常は段違いに騒々しくなるだろう。
今から卒倒して、そのまま魂を飛ばしてしまいたくなるくらいには。
「御賢察、真に以て明確で御座います」
ラファルドはちらとも国王の方を見ない。
どんなに誠実に聞こえても、その実、ちっとも気持ちが籠っていないのは明白だった。
「少しは労われ! 目上だぞ!! 余は!!」
「……お父様……!」
娘はまだ憐れんでくれたが。
「それはまた後日、ということで。さて……、人を堕として作った魔人――書物に在る通りであれば、マシでしょうか……?」
悪びれないどころか、薄情なくらいの速さで実務に戻ってしまった少年に恨みがましい視線を一瞬だけ向けて。
国王も意識を切り替えた。
「それはさて、だな」
全力だろう咆哮を続ける魔人の身体が、ゆらりと宙に持ち上がる。
「…………。……ねえ。やっぱり、今すぐ、速攻で片してしまうべきではないのかしら?」
セレナスは魔神の股座から垂れ下がっているものを不快気に睨んでいた。
怪物に変貌して以降、魔族はずっと裸だった。
なので、否が応でも見えてしまうのである。
ラファルドの反応は冷静だった。
「尻尾ですよ? あれ」
セレナスの目が丸くなる。
「――え? そうなのですか?」
「魔人というだけであれば、魔神戦争の概録に記述があります。そこからの類推ですが、頭身と同一の全長になるかと」
宙に持ち上がっていた魔人の身体――腰部、が異音と共に痙攣を起こすと、垂れ下がっているだけだった尻尾が、鞭を思わせるしなやかな動きを手に入れた。
「……成程。確かに」
「陛下っ!! 御一同――、何と悠長な――!!」
荒い足音と真っ青な顔で、異邦の大使サーマリウスが割り込んできた。
応答はラファルドである。
「問題は在りません。”檻”の中、であることが一点。変態とは、形態や構造――生命そのものとしての在り方の変化です。それには多大なる消耗が付き物ですから。捕縛にしろ、掃討にしろ、ガス欠を狙うのが一番確実で、一番穏当な戦術。それがもう一点。尚質疑が在る、ということであれば承りますが?」
「――――。流石はセルゲート家……。そう、申し上げるしか――」
サーマリウスの口調は苦かった。
そして、ラファルドは、国王と主人の双方から、「初めから、そう言え!!」と、無言の顰蹙を買っていた。
ちなみに、予めの作戦の立案にラファルドは関わっていないが、作戦本部に常駐している兄クリスファルトに最前線の情報を流しているのはラファルドである。
咆哮が止まり、三つの目に闇色の光が点る。
「見物、御苦労」
ふわりと降り立つと。
「さあ――、食事の時間だっ!!!」
全身から魔の力を帯びた光を放ち、広間を一瞬で魔の色で塗り潰した。
「……くっ、くっ、く……、……ぐっ、……ぜえ、ぜえ……。――くぅっ。見、た――か、これ、――で、やっと――食える、食、事に――」
埃が視界を封じる程騒々しく舞い踊る広間で、何が見えているのか。
魔人は疲れと飢えに苛まれながらも、狂喜を剥き出しにした。
だが。
「それはそれは、ご愁傷様でしたね」
「?! きさ、ま――!?」
可愛げの無い澄まし声に魔人が目を剥けば、細身の衛兵――ラファルド、が姿を現す。
そして、粉塵の嵐の中、人差し指で宙を薙げば、渦巻く風が広間を掃き清め、被害が無いという現実が明らかになる。
「おイタも茶番劇も、肝心なのは引き際。此処にて終幕といきましょうか」
ラファルドが手にした槍で宙を斬ると、黒く輝く光の輪が魔人を拘束して、締め上げた。
「ちっ!?」
魔人は舌打ちする。
そして。
「はて、それは困った――」
傲岸でありながら、何気ない台詞が差し込まれた。
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