第89話◆焦燥
文字数 2,840文字
「うらあああっ!!」
竜の巨躯を、尻尾の根元近くを抱えて持ち上げ、グラディルはバックドロップ(それも、頭から地面に激突するように、ジャンプで加速と高度を稼いだもの)を叩き込む。
起き上がろうと足掻く時間を利用して自分の息と態勢を整えると、起き上がりかけた所を狙って体当たりをかまし、再度ひっくり返して、今度はジャイアントスイングを敢行した。
「…………何をやっとるんだ、あやつは……!!」
国王が戦場を白い目で見つめつつ、ぼやく。
「失神――脳震盪を狙っていると思われますが?」
ダウンから回復したクリスファルトの指摘に、国王は顔を曇らせた。
(あれがラファルドを攫った当人なのだから、間違いなく、”轡”の在り処を知っていよう。だが、あれは――そんな情けを掛けていいものでは――。ディム……、何故だ? 何故、今更『殺さずに仕留めろ』と言う?)
国王の胸中には焦りが在った。
「陛下?」
顔色を窺うようなクリスファルトの問いかけに、あながち嘘ではない方の本音を覗かせた。
「……あいつが壊す家屋の棟数の方が甚大になっていっている気がしてな……!」
「……ああ、先程のジャイアントスイングも、豪快でしたねえ……」
クリスファルトが国王に同情してしまうのは、被害額が嵩み過ぎれば、クリスファルトにも無い知恵を絞るという苦行が降りかかって来るからだった。
被害の補償は国庫から。しかし、予算は有限である。
「決着を急がせますか?」
護衛兼(主に国王の)監視である騎士の一人が伺いを立てた。
国王は意識して感情を抑える。
「……避難は?」
「粗方終了、とのことで御座います」
「クリス?」
クリスファルトは頷いた。
「早いに越したことは在りませんが、急がない方がよろしいかと。失神を狙い続けるのは、〈息〉と〈竜語魔術〉を警戒すればこそ、でしょう。撃たれたら、終わり。そう、弁えているのでしょうね」
「…………」
騎士団の作戦――標的の拿捕の裏で急がれている市民の避難誘導、を強く意識していると言う。
国王の意思が奈辺に在るのか、騎士は待つしかなかった。
実際、グラディルは善戦していた。予想する以上に。
巨大な体躯ゆえに難しくなる、細かく、柔軟な機動。その欠点を存分に利用して、攪乱を意識させる立ち回りを実行していた。
それが功を奏しているから、白い竜は決定打――必殺技、を打てない。
(こんな状況でさえ無ければ、褒めてやれるものを――!)
国王の胸中はほろ苦かった。
尊敬と憧れ。
騎士団が日々、市民から集めようと頑張っているものだ。
けれど、騎士団は武力の寓意でもある。
忌まれ、恐れられることとも背中合わせだった。
市民の大半は騎士団の避難誘導に従ってくれる。
しかし、中には避難を嫌う市民もいる。騎士団を嫌い、信用しない市民もいる。
不可抗力として発生する迷子も出ているだろうし、緊急事態を逆手に取って、悪事を働こうという馬鹿も現れる。
騎士は国王の問いに、『粗方』と答えた。
つまり、何処かで、誰かが今も奔走している。作戦を完遂させる為に。
不用意に決着を急いで、死に物狂いの抵抗を許せば――万が一にでも、在ってはならない被害を産む可能性が在る、ということだ。
グラディルはそれを解っている。
標的の破壊を求めずに失神K.O.を狙うのは、騎士団を守る為でもあるのだ。
おまけに、グラディルの正確な狙いは失神ではない。〈仮死〉だ。
疲弊し尽くした対象に「仮初の死」を与える、呪術的な拘束。施術を担当するのはクリスファルトだ。
演出にさえ気を使えば、「倒した」という対外的な体面を維持しつつ被疑者を確保できる上、尋問のスケジュールは自由に組め、保管場所さえ用意できれば、維持費も軽い。
国家の建前と本音を苦も無く満たせる、泣けるくらいに有り難い選択だった。
それでも、国王の胸中から焦りが消えないのは――。
(クレム――初めての弟子であるお前が、俺に託した願い事。それを叶える為には、殺さねば。あの白い竜の正体が、バレる前に……!!)
「陛下」
クリスファルトの冷静な声が国王の耳朶を打つ。
「何だ?」
「あれを」
鱗魔人と化しているグラディルの胸元で、鱗と同じ色で判り辛かったが、光り輝く小さなお守りが揺れていた。
「……1個12モルの王都土産が、どうした?」
「独自の改造を施した、特製でしょう。恐らくは、術者と繋がっています。あの輝きが失われる、お守りが崩れ去るなどが無ければ――」
感情に乏しいクリスファルトの声が、今の国王には有難い。
「グラディルも無事、か……」
(何故、陛下が値段を御存知なのだ……?)
国王の日常に詳しくない一握りの騎士達が覚えた、素朴な疑問である。
「……む!?」
お守りの放つ輝きが眩しくなった気がして、国王は目を細めた。
「陛下、あれなるを御覧下さい!!」
クリスファルトは何時になく興奮していた。
その先には――戦闘中にも関わらず、異形化が緩やかに解けていくグラディルの姿がある。
(……成程。”特製”の二文字に嘘は無い、か――、?!)
「ま――、待て!!」
国王が叫んだのは、異形化の治療=戦闘能力の喪失ではないのか? と思い至ったからだ。
だが。
「陛下!! その奥です!!」
「――!?」
クリスファルトの顔からは感情が消えていた。
「……縮んでいる……!! 馬鹿な――!!」
「何っ?!」
クリスファルトの絶句に釣られて、国王も白い竜に視線を移す。
すぐには解からなかった。けれど――言葉通りだと理解できるのにも、大した時間はかからなかった。
「――――!!!」
突如として、白い竜が苦悶の咆哮を発する。
「っ!!?」
100mは離れているのに、耳を塞ぐことを強制される凄まじさだった。
だが、それが――萎んでいく。体躯のサイズと共に小さくなっていくのが誰にでも判った。
王都の中心である宮城を除けば、一番背の高い建造物と言える大城壁。その3分の2程の頭身(3階建ての家屋で大城壁の半分程度)だった体躯が縮んでいく。
数分もかけずに、全長が(平均的な)2階建て家屋と同等となった。
「……大分、縮んだな……」
「ああ、これなら――囲めるんじゃないか?」
騎士達が口々に呟き合う。
しかし、クリスファルトの耳には届いていなかった。
(…………血族の、〈力〉が届く――!! それは――、正体が人であるということ!!)
それは、恐るべき結論だった。
特有の異能こそ弟が抑え込んでいたが、あの竜は本物だった。
それが――その正体は人間だという。
ただの人間が、本物の竜の能力を手に入れたことになるではないか!!
急いで国王に進言しようとして、クリスファルトは何故か、追い詰められたような国王の顔に気が付いた。
(……成程。あれが親父と小父上の隠し事、ってわけか……! 詰めて、真相を白状させたい所だけど――間違えると……いや、間違えなくても厄介事だよな、これ……。さあて、どうしてくれようか)
妙なタイミングで、妙な正念場に突入してしまったクリスファルトである。
そして、正念場が待ち構えていたのはクリスファルト一人だけではなかった。
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