第117話◆blood revolt(2)
文字数 4,195文字
それから数分。二人の間には沈黙だけが在った。
「……ん? どうだ?? 想像もしない大物がもう一人の自分という事実に感極まって、声も無いか? そうなんだな??」
竜人の青年がグラディルの顔を覗き込む。
しかし。
「驚いて損した。家帰ったら、ぐっすり寝るか」
「――――ああっ?! 手前、嘘だとでも思ってんじゃねえだろうな!?」
つれない態度にキレたら、グラディルの逆ギレが待っていた。
「八神竜将はともかく、イーデンナグノ=ファラガンオルドってのは何だ!? 伝説の竜祖はイーデガン=ファラグノルドじゃねえか!! 適当ふかしてんじゃねえぞ!!」
八神竜将は、神をも超える力を持つという八体の竜に与えられた称号。人間よりも、エルフやドワーフ等の、精霊との混血とされる亜人達の間で伝承される民話だ。人間にとっては10代前半までの男の子達の間で人気の御伽噺の一つに過ぎない。
イーデガン=ファラグノルドはこの世界の記録に残る最古の竜であり、〈混沌〉より発生したという出自に敬意を表されて、〈竜祖〉の称号を贈られた。
伝承においては光と炎を操って戦うことを好む、とされることから〈光炎神竜〉の二つ名を持ち、二つ名のほうが有名である。
ただ、古い記録以外には痕跡が残されていない為、冒険者の間では存在が疑われる”伝説の”一体だった。
「……真名と仮名って、違ってるのが相場なんですけど?」
白い眼で、「知らねえのか?」と聞き返されたことがグラディルの逆ギレを加速させる。
「ああっ!? 知らねーわけねえ――、…………マジ?」
「手前相手に、嘘をほざいてどうする!! 言ったろ!? 〈盟約〉に則った名乗りだ、と!!」
〈盟約〉がどういう意味を持つものなのかは、知っている。
幼い頃から教え込まれてきたし、解らないことを聞けば噛み砕いて解説してくれる専門家がグラディルの幼馴染で悪友だった。
「…………じゃあ、マジなんだ……。マジで、マジなのか……」
多少は期待した。
〈竜の血〉という〈力〉の精髄ではあっても、人間にとっては異物でしかないものを取り込んだ血統の末裔である。
自慢に出来るような、結構格好良くて、結構有名な存在が関わっていてくれたらなあ……! などとは思っていた。
しかし、現実は違った。
大物は大物でも、存在そのものが眉唾認定の、伝説の中の伝説。
凄いのは凄いのだろうけれど……凄過ぎて、逆に現実味を実感できない。
世界を一周するつもりで旅に出て、地球を一周して帰って来た。
けれど、「な? 地球は丸かっただろ?」と言われたところで、素直に頷けるだろうか?
丸いからこそ一周して帰って来れるのだとしても、地球の丸味を実感できる機会はまず無い。
それこそ、宇宙に飛び出せるほど上空に飛んで、地球という惑星そのものを見下ろせるぐらいにならないと。
そして、人はそれを旅と呼ぶだろうか? それ――10分程度で終わる世界一周を。
この時のグラディルはそんな心境だった。
しかし、竜人の青年はかんらと威張る。
「おうよ! 今からでも、いいんだぞ!? 感涙に咽ぶのは、今からでも遅くないっ!!」
だが、茫然としていたからこそ、グラディルは素直過ぎる心情を吐露してしまった。
「……もっと、かっけえ名乗りが良かったなあ……! なんか、言い辛いし」
その正体は竜祖だという竜人の青年は時間を止められたように固まってしまう。
「――――」
「……ぷっ! だ、駄目だ――、ははっ、あはははははっ!!」
唐突な笑い声が世界に響いた。
青年は瞬間的に表情を険しくしたが、糾弾したのはグラディルだった。
「誰だ!!? 手前!!!」
気に入らないのは無遠慮に割り込まれていること。
竜人の青年は言った。
『盟約に則った名乗り』だと。
神聖なる儀式に、不作法な慮外者は要らない。
加えて、武人としては不意を打たれたことになるのも自己嫌悪の種だった。
おまけに、笑い声の主の姿は何処にも無く、正体さえも解らないと来る。
「……ご、御免、御免。竜の『君』が名乗る前に言ってたでしょ? 立ち合いが、居る、って。それ、が……僕、な、んだ……ぷぷっ……けども! だ、駄目だ――止まらないよぉ!!」
それから数分、遠慮の無い、しかし快活な笑い声が響き渡った。
「……あー笑った!」
「そうかよ。だったら、とっとと姿を見せやがれ!!」
すっかり拗ねているグラディルである。
「――お、おい!! あれは――」
伝説の竜祖であるはずの青年が慌てて耳打ちしようとしたが、返事の方が早かった。
「それは失敬。瞬きしてくれれば、もう見えると思うんだけど?」
言葉通りにすれば、竜人の青年から数mほど奥に、公国でなら珍しくない服装の少年が居た。
暗色系の半袖長ズボンで、初夏までなら快適に過ごせそうである。
少年は無造作な足取りで近づいて来て、手を差し出した。
「やあ、初めまして。名乗りは、立ち合いの作法上、省略させてもらうね」
しかし。
「誰だ、手前!?」
グラディルは握手を拒み、硬い声で問い掛けたのである。
「………、そこまで不機嫌な理由を、聞いてもいい?」
「あんたからはにおいがする。俺が、最低は一発は殴っておきたい奴の」
「――――」
止めそびれた竜人の青年は、何とも言えない複雑な顔で二人を見遣っていた。
少年は心底驚いた顔で、目を瞬かせる。
「ははあ……! 鼻が利くのか、勘がいいのか……。生憎だけど、答えないよ。それが、この場での作法だから。でも、どうしても、僕に用が在る、というなら、名乗るよ? 代わりに、咎めるけれどね。不作法が好ましくないのは、僕も同じだから」
「……………」
謎の少年とグラディルの視線が真っ向から衝突する。
「それを踏まえてもらった上で、もう一度聞こうか。どうしても、答えなければ駄目かい?」
グラディルは探る目を向け続けたが、少年は謎めく笑みを返すだけだ。
ただ、その笑みは何処か作り物を思わせる。腹の底にはまた別の感情が在ると伝えるかのように。
もし、風に吹かれた少年の姿が、僅かでもぶれなかったら――。
グラディルの判断は違っていた。
何もかもを見透かす言動を悪気無くする悪友が、どんな人物なのかを思い出さなかったから。
「……いや、いい(そういうこと、かよ……!)。俺の不作法は詫びる」
グラディルは潔く頭を下げた。
「おい、もういいだろ?」
竜人の青年が庇うように割り込んで来る。
しかし。
「お黙り。立ち合いを務めた以上、権利を行使して文句を言われる筋合いはありません! そして、折角の好機を逃す僕でもありません。というわけで、会話続行です! ……どうして、殴っておきたいの? 一発じゃ済みそうにない感じだけど」
「……うー……」
引き下がりたくないが、引き下がるべきだと考えている葛藤が解る、竜人の青年の唸り声。
放置すると、何か妙な事になりそうな予感がして、グラディルはさっさと顔を上げた。
二人の位置関係に変化は無いので、当然、正面から向かい合う形になる。
少年の顔には相変わらずの笑みが在ったが、今はもう、作り物には見えない。
けれど、不思議なほど謎めいていることに変わりはなく、グラディルの返事を待っているように見えて、その答えをもう知っているようにも見えた。
「腹が立つからさ(貸し逃げをやらかす気、満々のはずだしな)」
「……へえ」
少年の笑顔に穏やかな好奇心が紛れ込んだ。
「じゃあ、此処で殴っておく? 流石に、痛いのは勘弁だから、一発を限度にさせて貰うけど」
グラディルは目を丸くした。
グラディルの予感通りの正体だったら、間違ってもそんなことは言い出さない。
往生際が悪いと断言するのに困らないくらい徹底的に逃げるはずだった。
もし、あんな殊勝な態度が在るとしたら――余程の負い目が有る時だけ、だろう。
「……遠慮させてもらう。似てるだけの他人を殴るのは趣味でも主義でもねえから」
「あら、まあ……!」
少年の笑みから謎めきが消えて、くすぐられる質感に変わった。
びっくりして目を丸くしたのは、竜人の青年である。
「……ええっ?? ――もしかして、解ってねえのか?!」
悲鳴じみた声を上げる青年を軽く殴り、グラディルはその腕を掴んで引っ張った。
「戻るぞ! 心象風景じゃない、現実の世界に」
「……うん、正解。君の判断が正しい。少しつれない気はするけれどね」
ちらりと、少年を一瞥すると、
「悪いな」
グラディルは背を向けた。
出口が何処に在るのかは知らない。けれど、少年から遠ざかればいいことは解っていた。
少年の居る場所、立つ場所こそが世界の中心なのだから。
「いいよ。外の待ち人の方が、よっぽど焦れていると思うし。それに比べれば……ね。――あ。でも、聞いておきたいかも」
グラディルは振り向いた。
「?」
少年から、初めて笑みが消える。
「いいの? 彼が求めるのは結末――終わりでさえあれば、中身を問うことは無い。そういう代物なんだけど。このまま進めば、当然、付き合わされることになるよ?」
「……、逃げない。逃げられないが正しいとしても、俺は自分の手足で、力で、意志で、向き合いたい。だから、俺は、逃げない。俺の事を信じてくれる友人も居るし、掴みたいと願う未来が在る。その為にも、確かめるべきを確かめないと。それが命を賭けたやり取りだとしても、な。……まあ、危険な真似は、せずに済めば一番なんだろうけど」
「怖くは無いの?」
「怖いさ。でも――恐怖に呑まれる、それは、俺がやるべきことじゃない。俺がやりたい事じゃない! 俺が望む未来の為に――俺は、今! 闘う!!」
「それは……、一人で、ということ?」
「そこは……その時次第じゃねえかな。一人じゃないことが頼もしい時もあるし、一人で立ち向かうしかねえ時もある」
少年の表情に寂しさが忍び寄った。
「……征くんだね、君は……」
「ああ!」
「君自身である為に……!」
「そんな、格好いいもんじゃないけどな」
「じゃあ、僕は祈ろう。君が最期まで勇敢で在り続けることが出来るように。とても遠い場所からになるけれど、君が僕のことを忘れずに居てくれる限り、僕の祈りが届くことを願ってる」
そして、出口を示すようにグラディルの背後を指さす。
「有難う」
お辞儀をするグラディルに、少年は首を振った。
「どうか、気を付けて」
少年は眩しい物を見つめる目で、背を向けたグラディルに別れの言葉を手向ける。
遠ざかり、掠れるように消えていくグラディルの後姿を、何時までも見つめ続けていた。
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