第122話◆落着(1)
文字数 3,155文字
「……ルド!! ラファルド!! ――おいっ!! ラファルド!?」
悪気無く、しかし激しく揺さぶる鱗だらけの腕。それに、そっと添えられた手があった。
「…………聞こえてるから……! っ、頭が――がんがんする……!!」
起き上がろうとしたラファルドは、頭痛に負けて、すぐさまグラディルの腕を寝床にした。
「……びっくりさせやがって……!」
すかさず、セレナスが鱗人間状態のグラディルの頭を殴り、踝に蹴りを入れる。
「だから言いましたでしょう!? ラファルドは無事です! って!!」
じろり、とセレナスを睨んだ直後。
「……起き抜けに、喧嘩は……勘弁してもらえませんかね…………」
グラディルは即座にセレナスの存在をかっ飛ばした。
一応、ラファルドは二人を窘めたつもりである。
「何処か悪いのか!?」
「……〈力〉の、使い過ぎで……頭が……がんがんする……!」
流石にセレナスには窘めが伝わったらしく、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。
しかし、グラディルとセレナスの関係には成長も変化も無さそうで、頭痛が一個余分に追加された気がしたラファルドである。
「でしたらば、こちらを」
「……?」
差し出された手に乗せられていた小瓶を見つめ、ぼんやりした頭のまま手に取る。
誰の手と声だったのか、この時のラファルドにはピンと来ていなかった。
素直に受け取って小瓶の封を破ると、胸が空く爽やかな匂いが鼻孔から潜り込んだ。
「――――、……ふう」
一息に干すと、数分で頭痛が治まり、まともな感覚と思考力が戻って来る。
「ありがとう、落ち着いた。でも、こんなのよく手に入ったね――」
つい砕けた口調になったのは、ラファルドの油断である。封紙の印章は、見慣れた、館の物だった。セルゲート家の家人でなければ、まず持ち出せない。
「御父君からの言伝です。『当主代行の裁可が降りた』と」
「――えっ!?」
ラファルドは目を丸くして、声の主を凝視した。
正体は解っている。デイムガルダと似通った年恰好の男はセルゲート家が公的な場で使う「家紋」を縫い取った上着を羽織っている。
驚いたのは、先代当主の傍に張り付いているように言いつけたはずなに、この場に同道していたからだ。
ラファルドは館に三行半を突き付けて、家出した。
その時、家人を館に置いてきたのは、普段の日常を自分の力で過ごしてみることを考えたからであり、元々、ディムガルダに仕えていた武士、という経歴を持っているからだ。
ディムガルダが異能を喪失した際に、事情が在って、ラファルドが身柄を引き受けた。
異能を過剰に重視したがる館が差配する人材任せでは少なからず不安で、少しでも気心が知れた人物が傍に居た方が父も気が楽なはずだった。
そして、自分の都合で館を出た人間への迂闊な情けは、当主代行――次期当主、への風当たりをきつくする。この援助は厄介事を背負いこんでくれたも同然だった。
「異議がお有りでしたら、代行殿からの伝言もお付け致しますが?」
澄ました口調は、ラファルドはラファルドで、水臭いだの意地っ張りだの言われがちなことを承知していればこそ。
ラファルドは家人の予想通り、そそくさと逃げた。
「……それはいいや。有難く貰っておくから」
ラファルドにだって、誰が次期当主なのかは判ってる。下手に言伝を聞いてしまうと、館から「示しが付きません!」と、彼が苦情を貰うことになる予感が在った。それよりは、後日、直接会う機会を作って甘えられた方が、直に礼を言える分だけ、マシだろう。有難い援助だったのは確かなのだから。
「ええと」
薄情者、と視線で咎めて来る家人を気力で無視しつつ、状況を把握する為に聞くべきことを考えたラファルドの目の前に、差し出された手があった。
「立てまして?」
「! ――あ。……はい」
ラファルドは大人しく、セレナス――主君、の手を取る。
立ち上がって、改めて周囲を見回せば、聖堂は今、驚くほど多くの騎士団員と衛士で埋め尽くされていた。
ラファルドはまだ知らなかったが、決闘の決着から既に、30分が経過している。
昏倒したままのラファルドを看護しつつ、中継基地に事態終結の一報を入れたセレナスに、騎士カルナスは勅命を受けた公国の精鋭部隊(百人規模)が乗り込んで来たという報告を寄越したのだった。
現在、聖堂でごった返している騎士団員、近衛の八割以上はその後続部隊の人員である。
後続部隊は「勝手口」と「玄関」、二つの入り口から制圧戦を展開。多少でも手こずったのは「玄関」の開錠だけで、遺跡の制圧にかかった時間は先遣部隊の半分という有様だった。
しかも、”最下層”をも完全踏破して、地底聖堂への通路を開通させている。
「救助の礼は、とりあえず、後で。ラファルド、余力はどれほど?」
他人行儀と言ってもいい事務的口調に、何を求められているのかをラファルドは察する。
無事勝利しただけでなく、確保にも成功した、ということなのだろう。
「……数分で構いませんので、時間を頂ければ、特に問題はありません」
「解りました。その数分で――」
状況の擦り合せを、と考えたセレナスに。
「殿下!!」
硬く緊張した叫び声が届いた。
「何です!?」
「咎人が――、意識を取り戻しました!!」
「!!」
聖堂が喧噪が一瞬で沈黙に塗り替えられた。
セレナスに率いられて、ラファルドとグラディルはセルディムの元に向かう。
仰向けに転がされているセルディムを、無数の槍の穂先が取り囲んでいた。
一目でセルディムの現状を察することが出来るのは、良いことのなのか、悪いことなのか。
「殿下――、その」
ラファルドは言い出すことに、多少、覚悟が必要だった。
グラディルは家族や仲間というものを強く意識する人間だ。
敵味方に別れた決闘も、決着してしまえば――甥っ子と叔父に戻れる。
決闘中の二人のことは、ラファルドは知らない。
しかし、覚えている限りでは、決定的に決裂していたようには見えなかった。
ならば、現状は愉快であるはずがない。ただでさえ、セルディムは――
「もう、助からない。そういうことですわね?」
「――!!」
殊更に事務的なセレナスの言動に、グラディルがぴくりと反応した。
その表情は硬い。
ラファルドもセレナスも、出来ることなら、触れずに済ませたかった。
「はい」
セレナスは王女。
国王の名代として、現場に居る全ての人員の命に責任を持たねばならない。
そして、ラファルドは神祇として頷かなければならなかった。
躊躇えば――セルディム=マグス=ファナムは問答無用で止めを刺される。公国を脅かした重罪人だ。
「……、……、……、――、……」
誰かの気配を感じたのか、セルディムの口が動き出した。けれど、表情は何処か欠落している。
その目は――もう、何処も、誰も、映していないらしい。
「殿下」
「解りました」
ラファルドの献言に肯いたセレナスが仕草で命令すると、一人残らず槍を納め、道を開けてくれた。
「……ぐ、……ぐら、で――ぃ、る……か……?」
掠れた声は、呼んでいるのか確かめているのか、判断がつかない。
体中が虫食いのように炭化しているセルディムの傍に、グラディルは移動した。
その肩に当てられたラファルドの手が柔らかな輝きに包まれると、グラディルの姿は人間へと戻っていく。
「――――、……?!」
多少でも、疑似的でも、二人きりがいいだろうとグラディルから距離を取ろうとしたラファルドを引き止めたのは、セレナスだった。
「見届けるのも、役目でしてよ? 立っているのが辛ければ、肩を貸しますが?」
事務的な態度とは裏腹に、ラファルドは確かな気遣いを感じる。
「……ありがとう、御座います」
とはいえ、流石に、王女で主君の肩を気安く煩わせるわけには行かなかった。
「殿下」
近くに居た近衛騎士の一人が、素早く、かつ、的確に気を利かせてくれて、ほっとしたラファルドである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)