第63話◆忌まれる謂れ
文字数 2,521文字
「!? ――(来たか!?)」
見上げる宙空に、濁りを感じさせる、黒い光の球が出現する。
直径数mほどの大きさが、瞬き一つの間で数センチの小球に分解され、視認不可能な速度で牙を剥いた。
金属同士が衝突する硬質な音と黒い光が氾濫する。
「……ふん。少しはやるか」
冷然と見下ろす人影が、天井のシャンデリアとほぼ同じ高さに浮いていた。
「全く……! どいつもこいつも(仮面! ようやくのお出まし、ですのね?)! 躾のしの字から、教育しなければならないなんて!!」
不可視の結界に守られているセレナスが上空の不届き者に憤懣をぶちまける。
原色を基底に使った艶やかな色彩の法衣は初見だが、尖った耳と死者の色と言われる、褪せた青の地肌は魔族と一目で断定するに足る特徴だ。
そして、先日の騒動で捕縛した、首魁と思しき小悪党から搾り取った情報に在った通りの仮面――口元から上を隠す物、をつけていた。
「ほう――?」
王女が冷たく睥睨された直後、白味を帯びた金色に輝く、無数の光の槍が仮面の魔族を襲う。
〈魔法槍〉を結界で完封し、報復にかまいたちの旋風で広間を浚った。
しかし、こちらも白い、半透明の結界を突破することはできず、人間の軽蔑と嫌悪を買っただけに終わる。
「貴様っ! 何奴!!」
騎士の一人が、鋭い威嚇を飛ばした。
「ふん……!」
仮面の奥から、不吉な心象を免れない輝きが生まれる。
「?!」
威嚇した騎士の身体が、射抜かれたように硬直した。
「――――、……ぅ、……ぅぅ! ――ぁ、ぁ」
押し広げられるように目が見開かれて、全身の痙攣が始まり。
(何が……?)
「――あ」
騎士の表情が硬直すると、ラファルドの背中を悪寒が駆け抜けた。
(――まさか!?)
「――――」
ぽかんと開かれた口が真ん丸になり、惚けた騎士の股座から湯煙が立ち上り始める。
殴打のような痙攣と、骨が折れるような鈍い音。
納まると、騎士の喉がぼこん! と膨れ上がった。
「――ひっ!!」
目撃していた環視の人々に、思わず口元を抑える仕草が広がる。
事、此処に至って、何が起きているのかを誰もが直感し始めていた。
生き物のように脈動する喉の膨張。それは、蠢きにも、抗いにも見えた。
「ごぼばぁあ――」
溜まっていた物を吐瀉するように、上空に解放されると。
鈍く光る、柔らかな感触を想像させる半透明の球体は、吐き出した騎士に見守られながら、魔族の男の口元まで浮き上がっていった。
仮面をわずかに押し上げ、男は球を一呑みにする。
「あ、あ、ああああーっ!!!」
惚けていた騎士が、突然、奇声とも悲鳴ともつかない叫びを発する。
ごくり、と呑み下されてから一拍。
「……あ、あ、ぁ、ぁあひぃぁああああ――!!」
叫びを彩っていた恐怖が狂喜に塗り替わった。
そして、操り糸を絶たれた人形のように、その場に崩れ落ちる。
「……おい?」
居心地の悪い沈黙に負けて、近くに居た同僚が声を掛ける。
「――――」
騎士が奇妙なくらい無機質な顔で立ち上がると、同僚は目を背けて距離を取った。
騎士の顔が歪んだ笑みを作る。
身体は事に及ぶ直前のように出来上がっていた。
「名乗れ。俺が主だ」
傲然を形にした命令に、騎士は歓喜に満ちた顔で、目の端に涙を滲ませた。
「……ああ! 我が君よ――!!」
「なりませんっ!!!」
結末を予感するセレナスの悲痛な叫びも、引き止める力は持たなかった。
「我が名は――」
騎士は口にした。
真名と呼ばれる、他人に、みだりに教えてはならない物と信じられている、本当の名前を。
「――っ!!」
恐怖を噛み殺す、微かで確かな悲鳴が波紋のように湧き上がる。
「受け取った――。我が旗下として、相応しき力と姿を与える。人の殻を脱ぎ捨てるがいい」
魔族の握り拳から零れる、一滴の輝く雫。
それは、過たず、騎士の口腔に消えた。
次の瞬間、騎士の装備が内側からの圧力に耐え兼ねて、弾け飛ぶ。
筋骨逞しい裸身、膝と肘には骨が変質したらしい突起、背中には翼を生やした三つ目の魔人が誕生した。
肌は赤黒く変色し、赤い眼球に黒い闇が乗っただけの瞳、上下の犬歯が二対の牙へと生え変わり、手足の指先が円錐状に変型している。
「――あ、ぁああっ、ぅうう――!」
全身を震わせながら尻尾を生やすと――飛び上がって結界を突き破り、宙で待っていた主の足下に跪いた。
「我が配下への粗相の罰として、この男は頂く」
「!?!」
人間の怒気と悲鳴とが交錯する。
ラファルドは厳しい顔で仮面の魔族を睨んでいた。
「誰が、そんな真似を許すと――」
「ふん。どうして、中々、血の巡りが悪いものだ」
拘束されていた魔人を指一つを曲げる仕草で宙に引き上げ、黒い光の輪に手を掛けると、力任せに引き千切る。
「下らん」
吐き捨てた主人に、解放された魔人が険しい顔を向けた。
「御方様!!」
「? ――!!」
歪んだ空間に、噛み砕かれるように裂かれていく自身の腕があった。
「ちぃっ――!!」
果断にも、仮面の魔族は肩ごと、自分の腕を魔力の刃で斬り落とす。
「っ!!!」
苦痛に表情を歪ませた瞬間を狙って、ラファルドは再度光の槍を仕掛けた。
「貴様っ!? 舐めた真――」
「動くな!!」
自身を庇おうとした魔人を怒鳴り声で突き飛ばし、仮面の魔族はむざむざ直撃を食らった。
眩い光が、広間を埋め尽くすように炸裂する。
光が止むのとほぼ同時に、仮面の魔族と元騎士が相次いで床に墜ちた。
「糞っ!!」
魔人の片割れが宙から駆け下り、主を守る為に立ちはだかった。
「……(まさか……、捨て駒だと、ばかり――)好きになど、させるはずが無いでしょう?」
胸中の動揺を押し隠して、ラファルドは冷たく言い放つ。
ラファルドが新たな光の槍を作り出すと、仮面の魔族は起き上がって、魔人を下がらせた。
「……侮ったな、確かに。そこは詫びよう」
震える身体を意志で抑え付け、ラファルドを見据える目を、ギラリ、と輝かせた。
魔族を覆い隠すように、宙空に、黒い4本の剣が現われる。
「だが!!」
光の槍と黒い剣が正面から激突した。
「教えてやろう。その程度の小細工で逆上せ上がるのは、万年早い!! とな」
目に凶気を宿らせると、仮面の魔族は一瞬で失った腕を復元させる。
そして。
「鏡を見てからほざけってんだ! 糞野郎!!」
背後から、配下共々殴り倒された。
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