第53話◆蕾も花のうち(1)
文字数 1,854文字
手を振って見送ると。
「……さっさとお逃げになればよろしいでしょうに……」
セレナスは何処か寂しげに呟いた。
出会い方があまり良くなかったのは、解っている。
あの時、あの場所でラファルドに諭されたように、自覚が足りなかった。
それでも、仕えという形であれ、世間知らずであるはずの娘に男を近づけた父の覚悟に応える為に、それなりに期待してみた。
折を見て話を振ったり、用事を申し付けたりして、セレナスなりの相互交流を図ってみたつもりだった。
けれど、ラファルドの弟が押しかけて来た昼食以降は、実務上の会話しかしていない。
目線もほとんど合わないし、好意を感じるにも程遠かった。
解っていないはずがないだろうに……。
市民出のグラディルはまだしも、ラファルドの家は風変わりな貴族として社会に認識されている。
異能を誇る、貴族とは言い難い家系だが、間違っても、市民階級に属しているとは言えない。
現公王を介して王家との付き合いも深く、貴族の家にも理解が在る。
だから、知らないはずがないのだ。
王族に異性が接近する。その意味を。
「殿下も、意外と無茶なことを言われるな? それが出来たら、どんなに楽か――、だと思うが」
思いもよらない合いの手が、背後から飛んで来る。
慌てて振り返れば。
「……ゼルガティス陛下……!」
数mほど奥で、何処か退屈そうな魔王が壁に寄り掛かっていた。
咄嗟に扇を開いて、逃げるように顔を隠す。
扉(正門)越しの会話が楽しそうに思えて、通用口を使って回り込んだのが失敗だったのか。
聞かせるはずのない呟きを聞かれてしまった。
「居られたなら、そうと一言下されば……!」
魔王は悪びれもせずに笑った。
「はっは。魔族も魔族で、王には贅沢をさせたがる。礼儀だ、作法だ、は二の次三の次。おかげ様で、すっかり礼儀知らずの世間知らずよ。おまけに、自由と退屈は背中合わせと来る。窮屈極まりないという民草の暮らしとやらにも興が向こうというもの。だからかな。つい、興味が湧いてしまう。楽し気な会話などが聞こえてくると、加われないまでも、聞き耳を立ててみたくなる。……おっと、殿下にはこんな難儀は無縁だったか?」
雄偉で精悍な体躯には不似合いに思えるほどのんびり伸びをすると、そのまま歩き去ろうとした。
(返事は無用……? それとも、魔族と口を利く人族はいない――と?)
胸中で身構えたセレナスだったが、すれ違い様、微かな汗の匂いに気付く。
そして、魔王の肩口から零れた小さな白い花を拾い上げた。
(あら……、フィンジェ?)
今の時期、公国の山野で咲き乱れる草木の一種である。良い香りがするくらいで、珍しい部類にも入らないこの花を、セレナスの母である第三王妃は好んでいた。誕生日が来ると綺麗に咲くから、という理由で。
そして、魔王ゼルガティスの寝泊まりする客間の一つから出られる中庭でも咲き誇っている。
肩に付く――中庭で剣を振る鍛練でもすれば、有り得ない話ではない。
改めて、遠くなっていく背中を見遣る。
(青空や草原が似合いそう……とは、意外かしら?)
ふと、聞くとは無しに聞いてしまった、という弁明の可能性に気が付いた。
「ゼルガティス陛下」
「ん?」
魔王は意外そうに足を止める。
「……、世間話ついでに、庭を眺めませんか?」
整ってはいても、悪気無く周囲を威圧する魔王の武骨な顔に愛嬌が加わった。
「おお! それは忝い申し出。是非! お受けいたそう」
実はエスコートをしたがっていた――そんな風に取れるほど積極的に歩み寄って来る。
「では、どうぞ私の後に」
背中を向けることでエスコートを断ると、切なげなため息が届いた。
そして。
何故、ゼルガティスが賓客にあるまじき行いをしてしまったのかと言えば。
「……ぐぐぅう……! ……セレン……、セレン……早まった真似は――!!」
ラファルドとグラディルが番兵をしていた扉が微かに開いていて。
その奥にはわなわなと震える国王の姿があり、その傍らで、クリスファルトと宰相がため息をついていた。
「……陛下、手練手管に引っ掛かったのではないのですから、もう少し冷静に――」
と、クリスファルトが諫めれば、
「存外、実直な気性の主、に見えますかなあ」
などと、意味深っぽい感想を宰相が呟く。
「……ぐ、ぐ、ぐ――虫除けは!? こんな時の為の虫除けは何処に行きおった?!」
「近衛にいたぶられる、訓練という名の阿鼻叫喚の真っ最中でしたかと。先程、溜飲を下げてあそばされましたと記憶しておりますが……?」
打ち合わせで給仕を担当した、第三王女付き侍女頭ミラルダが無表情に呟いた。
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