第115話◆神威
文字数 2,586文字
「!? ――」
グラディルを粉砕するはずだったセルディムの拳は石床を砕いて終わった。
聖堂が突然激しく揺れ始めたからだ。
眩暈と揺れの相乗効果で狙いが狂ったのである。
「……ちっ!」
セルディムの舌打ちを咎めるように、揺れが一際激しくなる。
遠く離れた聖堂の壁際から、「地震か!?」「崩落するんじゃ?!」などという悲鳴が聞こえて来た。
「ふん、有象無象めが……! 無知のまま乗り込んで来るとはな。聖堂が揺れ蠢く理由など、一つしかあるまいに……! だが――」
セルディムは予感していた。聖堂が開いた、と。
根拠の一つは、騎士団員の悲鳴に気を取られた一瞬で、グラディルの姿が消えて無くなったこと。
もう一つは、あの、ラファルドとかいう神祇の少年。
彼は、セレル=アストリア公国で最も有名な血族、セルゲート家の一員だという。
「『聖堂』を開ける鍵が神に仕える血族だった――それは、納得もしよう。だが……だが!! 何故、何故――今になって、開く?! 組織がどれだけ躍起になったと思っている!! 御座――異なる界と界を繋ぐ、境界――次元の〈門〉が! 何故、今!!」
激怒、憎悪、絶望、狂騒、切望……様々な感情が混沌を織りなした叫びは何処にも、誰にも届かずに消えた。
誰もが崩壊を予感した程激しく聖堂が揺れる。
そして、停電を起こしたかのように聖堂内が暗くなった。
「…………」
真っ暗になったと思えたのは束の間、慣れが来ると共に視界が奪われてはいないことを呑み込む。
揺れは嘘のように治まったが……喋ろうという者は一人もいなかった。
次に起こる事は何なのか? 聖堂内の誰もが待ち受けていたのである。
その期待に応えた――わけではないだろうが、壁際の宙空に光る文字が現れた。
「……これは……? 一定の間隔を以て並んでいるようですが……」
一文字、また一文字と数を増やしていく光る文字に、騎士団の魔術師は頭脳を全力で回転させていく。
次々に現れる文字を追いかけていたら、いつの間にか、光る文字のドームが出来上がっていた。
「――お、おい! 動いた!! 動き出したぞ!! あの文字――」
「右、左、右、左……回転方向は二つしかなくて、一段置きに同方向……上段に移る程、回転が緩やか、か……」
狼狽する同僚(前衛担当の騎士)を横目に、魔術師は考察を続ける。
「――あ! 模様が――模様が追加されていきます!!」
「……一体、何が、起きていますの……?!」
何処か興奮する気配の在るサマトを横目に、セレナスは不安な面持ちで呟いた。
光る文字の回転が動力源だとでも言うように、光る線が行間を埋めるように描かれていく。
単純な横線も在れば、優美な曲線もあり、簡素な構図の枠線から植物や動物を意匠化したと解かる複雑精緻な図案さえも、軽々と描き出していった。
「…………っ!!」
セルディムは歯軋りを響かせる。
解っていた。これは自分の為に開かれた「門」ではない、と。
それが口惜しく、呪わしく、屈辱的だった。
では、誰が誰の為に開いた「門」なのか?
決まっている。答えは一つしかない。
自分以外には、一人しかいないのだから。
「またか……! またか!! またか!!! ……また! 俺を裏切るのか!?! ――どいつもこいつも! ……組織も!! 兄も!!! トラス! ……お前までも!! 俺を――!!!」
セルディムは脱兎の如く駆け出そうとして。
[粗忽者が……!]
と、誰かが眉を顰める声を聞いた。
「なっ――?!」
暗がりで、酷く視認が難しかったが、鎖だ。真っ黒な鎖がセルディムを絡め捕り、行動の自由を封じていた。
「ぐっ……! 舐めるな!!」
だが、人間から遥かにかけ離れたセルディムの膂力を以てしても、鎖はびくともしない。
[大人しくしていろ。待つべき刻が在るのなら、な]
「貴様ぁっ……!! 何奴?!」
しかし、窘めとも軽蔑とも取れた声はそれきり応えなかった。
光る線が作り上げる紋様は、完成されると一段眩く輝き、宙で回転する文字と呼応するように脈動のような明滅を始める。
それはまるで、心臓の鼓動ように断続的だった。
(……変ね。目の錯覚かしら? 下から上に――何か……〈力〉でしょうけれど、を、送り込んでいるように見えます……。上に在るのは――)
広がる葉を思わせる四つの文字が一番緩やかに回転していた。
(多分……これが聖なる儀式……だとすると――この先に待つのは……、?)
回転する四つの文字の明るさが増していく。
その明るさが聖堂の光源になれるほどにまで強まると、文字の中心に金色の光点が出現した。
「…………!?」
金色の光点から、帳を思わせるような量の光が降り注ぐ。
「――姫様!!」
サマトが指さす先を見ると――光の中に佇む人影が在った。
(……あれは……)
光の中に居るのなら、明確な輪郭や人相が見えてもいいはずなのに、見えない。
男性と思える外観しか解るものが無かった。
その人物はただ跪き、じっと祈り続けている――ように見えた。
ふと、男が誰かに呼びかけられたように顔を上げる。
セレナスからは丁度、横顔が見える角度だった。けれど、解らない。
何も解るものが無い。
(眩し過ぎる……そんな光量ではありませんのにね……。それに、このぼやけ方は――)
異界から伝来した技術の産物だとされるのがこの世界での映写機だが、それに古過ぎるフィルムを通して上映した時とそっくりだとセレナスは思った。
(この場には居ない、ということかしら? 四つの光点から降り注ぐ光が交わる部分で一番明確な像を結び、光の数が欠ける程、ただでさえぼやけた画が一層不鮮明になる……そんな感じですわね……そして、多分、これは……)
光の中に佇む人物がラファルドだと、セレナスは直感する。
そして、男は天を仰ぎ見た。
その口元が――動いた、気がする。何かを喋っているように思えた。
「――――?」
誰にも理解できなかったのは、声が無かったから。
読唇を行うには、不鮮明な動きでしかなかったから。
けれど。
字幕だと言わんばかりの文字が目の高さの宙空に現れた。
(これは――、……古地図の文字と同じ! なら――)
セレナスは躊躇なく、読解に挑戦する。
しかし、読めたのは所々だった。
(……光……、る? ……らい、を――)
それでも、それだけでも、脳裏に閃いた一文が在った。
「『光在る未来を』――!?」
宙空の文字が一際強く輝やいた直後、聖堂は真っ暗になって何も見えなくなった。
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