第98話◆焦燥(3)
文字数 4,426文字
「――ふうっ、ふうっ! っが、あ――ぐ、ぅ、ぅっ!! があああっ!!!」
「!!」
遮二無二振り回される鋭い爪をギリギリの間合いで躱しながら、ラファルドは必死に呼吸を整えていた。
(暴走の最中に意識が飛んでる、ってのは、よくある話だけど――これはちょっと、尋常じゃない!! どうして、鎮めるはずの治療で――!?)
辛うじて、人と判る輪郭を留めているものの、白い鱗で覆い尽くされたセルディム。
その力任せの暴れにラファルドは苦労していた。
(ここは――?)
目覚めた時、ラファルドは酷く天井の高い部屋で寝かされていた。
特製お守りを媒介にした交信で、しかし、普段よりも激しく消耗して、力尽きたラファルドはどうして、こんな場所に居るのか、さっぱりわからない。
「――ふん、目が醒めたか……。トラスが来るまで、眠っていてもらうはずだったが――」
「……セルディム……さん……!」
感心し兼ねる男を前にしては、ラファルドの表情も、感情も、自然に曇る。
「此処は?」
「……さて、な。組織の人間でも一握りしか立ち入れず、その一握りにしても、この室の秘密は解き明かせずにいた……」
「その秘密が、目当てですか?」
「言っただろう? 解き明かせなかった、と」
「なら、何故ここに逃げて来たんですか?」
「寝かされていたからだ。此処でずっと――な」
想像しない言葉に、ラファルドは目を丸くした。
「……!?」
「俺は失敗作だ。『組織』の手にも負えなくなった。だから、此処で寝かしつけられていたんだ。……なのに。どうして――、どうして、救けに来たりしたんだ……兄さん……!」
セルディムは誰のことも見ていない。
けれど、ラファルドにはそれが聞かせる為のものに思えた。
「兄弟だから、では?」
「救けに来たりしなければ――死なずに済んだものを。それでも、か?」
恨み言を突き付けるように、目がギラリと光った。
「!? (何、この感じ……声が低くなったから? まるで――)……死ぬ死なないは関係が無い話でしょう?」
「解っていたはずだ。セルディムとクレムディルは同質のものを宿した兄弟。セルディムに勘づけるものならば、クレムディルにも解る。セルディムの消息は――『組織』が用意した罠だと」
「!! (やっぱり、勘違いじゃない――!) ……それでも、向かったでしょうね。貴方の言葉を借りれば、「同質のもの」宿している。だからこそ、放置することは出来なかったはず――」
セルディムの目が丸くなった。
「……驚いた……。これは、驚いた――!! まさか、この期に及んで、この俺と話が出来る、だと!?」
「……何か、不思議なことでも?」
「誰も、理解できなかった。俺の言葉は、誰も――。セルディム自身ですら、怯えて縮こまり、目を逸らすだけよ!! なのに――お前は……お前は、おま……え、は……お……マ……え――ハ……、――待て。今、誰と話をしていた!?」
セルディムが真っ青な顔で詰め寄って来る。
ラファルドは隠す必要性を感じなかった。
「貴方の中の貴方と」
「――何っ?!」
「納得が行きました。貴方が、貴方が言う『組織』の中で失敗作にしかなれなかったのも、当然ですね」
セルディムの表情が目に見えて険悪になった。
「何だと――?!」
「貴方の中に居るのは、〈竜〉です。勇猛かつ誇り高いことを貴ぶ存在が、決して善意からではない好奇と悪意の環視に曝されて、手を伸ばされて、素直に従う訳が無い。そんな事にも、気づかれなかったんですね?」
「――――」
無言ではあったが、険悪さは一層深くなっている。
「『我ら、人身ながらも竜の信を得て血を得、この世の如何なる命よりも竜に近づくことを叶えし者』。それがファナムの血族の誇りだとか?」
「…………、……ふん!」
何を思い出したのか、険気を潜め、ラファルドと距離を取る。
「随分、妙な組織を信用したものですね?」
「……信用など、するものか! 俺が求めた先に、奴らが勝手に居座っていただけ、――ふんっ!!」
セルディムは逃げるようにそっぽを向く。
(この場所、ですか……)
ラファルドはそう思ったが。
「お互い様、ですか? 狐と狸の化かし合いを演じてしてやられた――と?」
と、口にした。
セルディムは神経を逆撫でされたようにラファルドを睨み。
「だ――、……まあ、そうなるのか……」
「?」
ラファルドは口調の変化を奇異に思った。
そして、セルディムはそれを見ていたように笑う。
「どちらだと、思う?」
「……、貴方も、セルディム=マグス=ファナム、でよろしいですか?」
途端につまらなそうに顔を顰めた。
「生意気な餓鬼だ。殺してみるのも一興かと思ったが――あれと話が出来るのは奇特だ」
(……、三人目……?)
セルディムの人格の変化を多重人格だと解釈した時に、今の前に居るのが三人目になるということだ。
そして、今までに無い異質さをラファルドは感じ取っていた。
最初の二人が奥行きのある影絵だとしたら、今目の前に居るのは扁平な切り絵。
その差異が棘となって、ラファルドの神経を引っ搔いた。
「貴方は、誰ですか?」
ラファルドは敢えて問う。
「……? 今、俺もセルディム=マグス=ファナムだと言ったのは小僧、貴様だろう」
「殺意を明確に言葉にされたのは、初めてですので」
「ふん。つまらないことに拘る――。……俺が、怖いのか?」
セルディムは比較的確かな足取りで近づいて来る。
ラファルドは無表情だった。
「それは、貴方でしょう? 何に怯えているですか?」
「生意気な糞餓鬼だ――。消しておくか。用が在るのは、グラディルだけだ」
右手を竜化させ、鋭利な爪となった腕を振り下ろす。
「――――」
しかし、血を吐いて倒れたのは、セルディムの方だった。
「がはっ!! ――ば、馬鹿……な……! ことなど在るものか」
吐血し、胸の傷を抑えながら膝立ちになり、セルディムの口調が変わる。
「この場で、君を殺せるものはいないのだから」
「……貴方は、さっきの――」
疲労の滲む顔でセルディムは笑い、何も言うなとばかりにラファルドの口を塞いだ。
そして。
「頼みが在る。我が言の葉を聴く者よ。我が願い、聞き届け給え」
(願い……?)
セルディムの口がラファルドの耳元に来た。
「我らを――救え。そして、叶うならば……!!」
(えっ!? それは――!!)
確認取りたくて聞き直そうとしたのに、セルディムはそのまま俯せに倒れてしまう。
慌てて揺さぶりを掛けたても既に昏倒していて、呻き声以外の応答は無かった。
「……しょうがない。――て、待って、待って! 今が好機でしょう!! 逃げ出す――!」
自然に介抱しようとした自分を抑えて、このまま立ち去ることを真剣に検討する。
しかし。
(……何でだろう……。いい感じがしない。まあ、現在地が何処なのか、知っているのはセルディム、さんだけってこともあるけど……。なんでかな? 今、目を離すのは――取り返しのつかないことになる予感がする……。どうして……? この人は、ラディの叔父さんだけど――)
ふと、閃くものが在った。
「そっか、普通に考えれば、救助隊が結成されていても――。だったら、此処で待ってみるのも……でも、何時だ? 手掛かりを残して来た覚えは無いし……」
迷うこと数分。
ラファルドは決断した。
「とりあえず、助けよう。情報を集める為にも、ね。万が一……本当に万が一だけど、救助隊が間に合うかも――知れない、し……。うん。万が一でも、それを信じる方が健全でいいでしょう! さて――!」
俯せ状態で昏倒しているセルディムを仰向けにひっくり返し。
そして、絶句した。
「……何、これ――?!!」
斑模様だった。人間の地肌の部分と竜化している鱗だらけの部分の。
一秒前まで人間の肌だった部分が、一瞬で竜の鱗を生やし、一秒前まで鱗をびっしりと生やしていた部分が、一瞬で人間の肌に戻る。
そんな現象が、酷い虫食いに遭った布切れのように、体中で発生していた。
(これはもう――暴走だ!! 不味い! 意識の無い状態でこれってことは……!!)
躊躇なく、ラファルドは〈鎮静〉を選んだ。
(身の内に〈竜〉が在るとしても、セルディムさん自身はまだ、人の内のはず……! まだ、神祇の〈神通〉が届くはず……!!)
不可視の力でセルディムの上半身を抱え起こし、背後から胸に手を回す。
いつも通りに念じ、詠唱を始めて――。
「…………」
セルディムの苦悶は薄れ、地肌の斑模様状態も収まっていく。
(……良し。此処までは順、……?!)
ラファルドは術を破棄して、目を見開いた。
「――ちょ! ちょっと、待って!! どうして、心臓の鼓動まで止まるのさ!!!」
(そんな馬鹿な!! 治療術で息の根が止まるなんて、〈不死怪物〉じゃあるまいに――)
速攻、心臓マッサージを開始する。
数十秒で鼓動は元に戻ったが――。
「――ふう、何とかこれで……、――!?」
鈍く光る爪が、ラファルドの眼前を通過した。
「……え!?」
「……ぅぅ、う、ぁあああ……、げほっ、が――、っ、っぐぅぁああ……!」
「ちょ、ちょっと――!」
で、現在に至る。
「わわっ!?」
拳の連撃に、蹴りのおまけがついて来た。
辛うじて、直撃は回避したが――いい加減、正気を取り戻している可能性を疑いたくなる。
反射的で、本能的な行動とは思えないほど、無駄が無くなっている気がした。
多分、狩人と狩の獲物に別れるまではあと数分。
助けたのに、襲われるとは理不尽な。
そう思ったのも束の間、ラファルドの脳裏に閃いたものがあった。
(……まさか、僕の施術で死にかけたから――?! 助かったけど、逆上された……!? とか!! なんて目に、俺を遭わせてくれやがるんだ!!? みたいな感じで?!)
予感を裏付けるように、セルディムはラファルドを襲う。
その全身はどんどん竜化が進行し、白くギラつく濁った眼でラファルドを睨んでいる――ように思えた。
妙に広い広間みたいな場所だから、延々と逃げ回ることが出来ているけれど。
セルディムの状態が非常に不味いのも間違いない。
(……不味い!! 意識の無い状態でこれ以上の竜化は――!!)
ラファルドは覚悟を決めるしかなくなった。
鍵と根拠は、「この場で、君を殺せるものはいないのだから」という、セルディムの台詞。
先程のセルディムはラファルドを殺そうとして、逆に傷ついた。
今度は、セルディムを大人しくさせる為に、それを利用する。
果たして。
「……、良かった――! 上手く行ってくれて!!」
顔面を粉砕する勢いで繰り出された鉄拳が見事に跳ね返されて、セルディムが大きく吹き飛ぶ。
ラファルドは素早く駆け寄って。
(今度は、さっきよりも慎重に。被術者の容体を詳細に管理しつつ――)
再施術を試みる。
失敗はセルディムの負担になるし、もし、このままセルディムが息を引き取ってしまったとしたら――ラファルドはグラディルに合わせる顔が無い。
(絶対に! 人間で、小康状態に持ち込む!!)
ラファルドは何時に無い程真摯な面持ちで印を切り、術を発動させた。
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