第86話◆悪運
文字数 3,126文字
「くくく(捨て駒とはいえ、こうまで役に立たぬとはな)……。負け戦を、負け戦と気づかずに仕掛けに来た、とでも思ったか?」
豹変したジェナイディンの刃が、通った。
「――――。……おま、えは……?」
左胸を貫通している。人間ならば、致命傷だ。
「罠とは、巡らせるものよ。貴様は予めから王の器でもなければ、玉でもなかった。それだけのこと」
「…………そう、か……! 貴様が、貴様が――!!」
ジェナイディンの眼球が裏返るように変質して真っ赤に染まり、爛、と黄金の瞳孔を輝かせる。
「勝算も持たずして仕組んだ”王殺し”ではないわ! 消え去るがいい。過大評価の時間は、此処までだ!!」
「黒幕!!」
ゼルガティスは振りかざした掌に剣を呼び出し、突き下ろす。
「――――」
だが、魔王の剣は不可視の壁を突破できなかった。
男はにんまりと笑い、狂喜を滲ませ始める。
「堕ちるがいい、ゼルガティス。貴様が掴むのは玉座などではない。一握の塵よ」
「貴様……! 貴様、貴様っ!! 貴様ぁああああっ!!!」
一旦突き刺した剣を引き抜き、再度、魔王の腹を剣で貫き直す。
「――?!」
吹き出る血を浴びながら、不可視の力で軽々と持ち上げると。
「さらばだ。王だった男よ」
地面めがけて、剣を振り下ろした。
激突と共に、盛大な土煙が上がる。
「――(おのれ)――!!」
魔王ゼルガティスは衝撃に打ちのめされながら、臍を噛んだ。
まさか、「もしもの時は頼れ」と、先代魔王から口伝で授かった相手、とは。
初対面から友好的とは言い兼ねた存在だった。だから、味方だとは考えてなどいなかった。
けれど、こうまで露骨に敵に回られようとも思わなかった。
経験が浅いと言われればそれまでだが、見事なまでに失策だ。
(とりあえずだとしても)敵だとは考えていなかったのだから。
致命傷とまではいかないまでも、浅手とも言い兼ねる負傷に、重ねて、ゼルガティスは臍を噛む。
(傷の治りが、嫌に遅い……! あの一撃、〈呪〉を練り込んでいたな……!? これは――〈封〉に、〈消〉、……まさか、〈退〉か?! 法術と魔術を縒り合わせるとは、手間のかかる真似を!! ……一撃で消し飛ばすなら、〈恩寵〉だが――)
状況を把握する為に思考を巡らせたことで、ゼルガティスは後手に回った。
近づいてくる、鈍い振動に気付き損ねていたのである。
「……、……!?」
思考を邪魔されて、ようやく何者かの接近に気付いた。
だが、身体を起こそうとしても、酷い眩暈に、動くことさえままならない。
「……ぐっ(織り込まれた〈呪〉は厄介でも、叩きつけ程度で魔王が――)!!」
「――――!!」
騒音同然の咆哮が、ゼルガティスの思考を破壊した。
「…………まさか――!!」
敵の台詞が脳裏を過る。
『罠とは、巡らせるものよ』
フォルセナルド、ジェナイディン(恐らくはサティスも)という人選も悪意に満ちた罠なら、宙空で待ち構えていたことも罠。勿論、叩き落された先で待ち構えているものも、――罠。
宙空のジェナイディンの笑みが鮮やかな悪意を開かせ、目の端から涙が零れる。
「曲りなりといえど、竜は竜。喰われたならば、二度と戻らんぞ」
「……舐めて、くれる……!!」
魔王が忌まれるのは魔力においてのみではない。身体能力においても、暴力的なまでに圧倒的な技量を持つから――だが。
「?!(〈縛〉に、これは、〈惑〉か!?)」
身体の自由と感覚の自由まで奪う念の入れ様に、舌を巻く破目になろうとは思わなかった。
巨大な影がゼルガティスの全身を呑み込む。
ぞぶり。
ぞろりと生え揃った牙が、魔王の肉体に食い込んだ。
「――!! ……っ、がっ――!!」
灼熱の激痛が悲鳴さえも噛み砕いていく。
(…………この、程度……! この程度で――――!!)
体中の細胞で、牙の浸食を抑え込むように抗った。
けれど、噛み千切ろうとする力が齎す激痛は簡単に意志を凌駕し、蹂躙してしまう。
「ぁ、ああああああっ!!!」
だが。
「――む!?」
上空で見下ろすジェナイディンが眉を顰めた。
ゼルガティスの傷口から黒い輝きが溢れ出て、全身を包もうとしている。
(……ふん! 恩寵を残していたか……。まあ、腐っても鯛、だろうよ。だがな?)
ジェナイディンは酷薄に笑った。
「――ぐっ、ぅ、ぁ、っ、つ、ぁ、あ、あああ――!!」
喰われていく。ゼルガティスの命を護り、支え、力を取り戻させるはずの恩寵の輝きさえも、牙に引きずり込まれるように呑み込まれ――。
「はっははは!! そう、竜とは全てを喰らう者!! 全てを食い殺す者のことよ!! 神すら逃れられぬ顎に、魔王如きが抗えるものか――!!!」
ジェナイディンは狂ったように嗤いのめした。
魔力の恩寵が齎す、底力とも言うべき力はまだ途絶えてはいない。
けれど、それが途切れる時が最期。
どうにか抜け出そうと、ゼルガティスは全力で足掻いた。
(……顔面を破壊する! それしか――)
噛み千切ろうと力を込めて来る竜の顔を、殺さんばかりに睨みつける。
視界の焦点はまるで定まらないが、そんなことは、そんなものは、瑣事だ。
食い殺されたくなかったら、殺せ。それ以上でも、それ以下でもない。
だが。
「全く……。殿方というのは世話が焼けるもの、ですのね?」
呆れるような、しかし、何処か悪戯めいた少女の声が魔王の耳朶をくすぐった。
「……?!」
慌てて(首が動く範囲で)振り返ったが、声の主は既にそこにはおらず。
白い竜の首筋に、可憐な面立ちの少女――公国の第三王女、セレナスが出現する。
「破っ!!」
掌底で竜の首を打つと、一瞬で拡散した衝撃が空気に波紋を描いた。
「――――!!」
苦悶の咆哮と共に魔王ゼルガティスは空中に放り出される。
「!! ――」
空中でのたうつ魔王を、宙のジェナイディンは忌々し気に睨んだ。
だが。
「隙有りっ!!」
一瞬で、宙を舞っていた魔王の巨躯がジェナイディンの視界から消えた。
「?! なっ――!!」
竜の首筋を蹴って、ゼルガティスを追うように宙に飛んでいたセレナスが、こともあろうに、魔王の体躯を隠れ蓑兼足場にして、ジェナイディンめがけて特攻を仕掛けたのである。
結果、地面に(急加速付きで)蹴り落とされたゼルガティスは結構な衝撃を喰らって、文字通り、悶絶させられる破目になった。
「――――!!!」
言語能力が機能していたなら、もっとマシなやり方を考えてくれ!!! と、苦情を突き付けたかったに違いない。
しかし。
竜の顎からは首尾よく逃れられた。恩寵による回復も始まっている。けれど、鈍い。
〈呪〉の効果も、完全には排除できていなかった。
窮地を脱したとは言わせない、とばかりに、揺れを伴う鈍い足音が近づいてくる。
(糞っ! せめて――感覚が、感覚がもう少し、まともなら――!!)
混乱したまま、まともに戻らない視界と感覚を無理矢理に引きずって、ゼルガティスは立ち上がろうと足掻く。
「っ、!!!」
癒えない傷が齎す激痛が神経を焼き焦がし、ゼルガティスの抵抗を硬直させた。
ゼルガティスを再度覆い尽そうとする影。
覚悟をするべき時が来た、と本能が訴え始めていた。
(……駄目だ! 駄目だ!! 駄目だ!!! こんな所で、こんな所で――!!!)
「っ、せいっ!!!」
空気をつんざく気合。
「!?」
視界は未だに眩暈に足を取られ、定まらない。けれど。それでも、耳が辛うじて、何かが空を切る異音を拾い上げた。
そして。
「――――!!」
竜の苦悶と共に影が晴れ、一拍の間を置いて、巨大な質量が落下した盛大な衝撃が炸裂する。
(……援軍――――!! だから、か――)
セレナスがわざわざ蹴り落としてくれた理由を、今更ながらに納得させられる。
軽快な足音で近づいてくる誰かを認識すると、苦笑が表情を歪めていくのをはっきりと自覚させられた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)