第59話◆面(おもて)
文字数 2,974文字
「ぎゃああああ――!!」
一瞬で途切れ、絶えた悲鳴、どろりと蟠る灼熱の泥土。
人間達は目を背け、耳を塞いだ。
「思い知ったか……! 人間共、俺に跪き、敬い、許しを請うなら今の内だぞ……!!」
「――なんてな」
その呟きは男の極めて近くから聞こえた。
「何っ?!」
溶岩に呑まれたのなら、残骸すら残るはずがない。
つまり――。
男の影からグラディルが飛び出し、手にした槍が男の胴を貫く。
「――!!」
そして、斜めに切り裂いた。
「一丁上がり! と」
「――と、思うか?」
半ば以上身体を裂かれた魔族の男は笑っていた。――血の一滴も滴らせずに。
「むっ!?」
「愚図めが……、思い知れっ!!」
直後、白く輝く無数の槍が宙空に出現する。
「皆様! 御避難を――!!」
警備の衛兵が声を張り上げた。
そして、光の槍が無差別に牙を剥く。
「きゃあああっ!!」
「うわあああっ!! ……!?」
しかし、魔法の槍は魔法の盾に阻まれて、一本も被害を産まなかった。
「……またか!」
魔族が舌を打つ間に、グラディルも間合いを取り直す。
「……まあいい。精々、後悔するがいいぞ!!」
「手前っ!?」
魔族の身体の輪郭が、泥で出来ていたかのように崩れ始める。
そして。
「な、何だ――?!」
「まさか、化け物っ!?」
警備の誘導に逆らうように足を止めた貴族たちから、次々と愕然の悲鳴が上がった。
肉体だった物が泥土の塊となり、加速度的に体積を増していく。
広間の何処からでも目撃できるようになるまでは一瞬だった。
「こいつぁ……」
『”変異”だね。……問題は、何に化けるのか、だけど……』
(だな)
回線で話しかけて来たラファルドに、グラディルも手短に応じる。
球形に落ちついた泥土の塊に無数の亀裂が入る。
筋骨の輪郭を描いていると判明した直後、球形は四肢を広げて人形に変型した。
なおも変異は止まらない。
肘、膝から牙のような棘が生え、額の中央がぱっくりと裂けて、禍々しい輝きを宿す空間が生まれる。
眠っている男性のように思えた顔が笑うと、鋭い牙をひけらかした。
そして、仕上げとばかりに、獣の柔毛が全身を覆った。
「――さて。蹂躙を始めるとしようか――!」
始まりの合図だとでも言うように、異形の怪物は――両目を開けた。
「面白え……! 上等だっ!!」
グラディルが槍を唸らせる。
「お待ちなさいっ!!」
「すっこんでろ! お転婆!!」
無断で戦闘に突入しようとしたから引き止めたのに、お転婆呼ばわりで突き返され、セレナスは柳眉を逆立てた。
「……お――? 何ですって!?」
「大人しく守られているのも、務めの内っ!! ……違うか?」
畳みかけられた言い分を、セレナスは論破できない。
「ぐっ……!!」
安全な場所まで下がるように、ラファルドがわざと衛兵の装備を当てて来る。
「なんて、生意気なんですの!? 山育ちのお猿のくせして――!!」
臍を噛む王女のすぐ傍で、グラディルの忠義に感動した国王が、うんうん、頷いていた。
きっ!! と睨みで衛兵二名を突き刺し、その視線を(予め、解っていたように)素知らぬ顔に戻っていた父親にスライドさせる。
「殿下」
ラファルドが落ち着いた声で釘を刺せば。
「!! ……仕方がありませんわね……。――などと、言うとでも!?」
ラファルドは素早く振り返って王女の行く手を塞ぎ、膝を折った。
「露払いは雑魚の務め――と、決まっておりますれば。どうぞ、優雅なお立ち回りを!」
敵の手の内を適う限り暴くのも、グラディルの役目。
それが、本来伝えたかった意図、である。
「……。ま、まあ……、そういうことでしたら……」
珍しいものを見た風情で、セレナスは(それでも)数歩下がった。
そして。
「……手前……!! 後で、覚えてろよ……!?」
怪物を見据えたまま怨念を向けて来るグラディルを、ラファルドは鼻で笑った。
「んー……忘れた方が時間を無駄にしないかな。返り討ちに遭ってる程度じゃ、噛ませ犬が精々だしね」
この時点で既に、グラディルには噴飯物なのに、ラファルドは更なる爆弾を放り込んだ。
「そもそも、気づいてないでしょ? 心配されちゃってるんだ、ってこと」
「――は?」
「えっ……、ち、ちょっ――」
泡を食ったセレナスは、しかし、周囲の視線や聞き耳を意識して、慌てて知らん顔を決め込む。
「……ほらね、気づいてない。言っておくけど、そんなんだと何回受験しても勇者の公認は勝ち取れないから。それと、僕はしないからね。そんな無駄なこと」
「――――は、あ?!」
誰が誰の心配をしているのか――その仮定が成立したグラディルは、思わず振り返ってしまったほど絶句していた。
「……、グラディル!!」
セレナスの叱咤が飛んだ直後、グラディルの全身を影が覆った。
「!? ――!!」
巨大な拳がグラディルに打ち下ろされる。
振り向きざまに槍を転がし、グラディルは腕を交差させた。
鈍い激突音の後、グラディルと怪物は真正面から睨み合う。
「……!!」
力勝負が始まる――衆目がそう思い込んだ刹那。
怪物の目が不気味にギラついた。
「!? ――うおっ、な、なん――――」
怪物の獣毛が風に煽られたように膨れ上がり、堰を切った洪水のように、グラディルめがけて襲い掛かる。
あっという間に絡みつかれて呑み込まれ、姿が見えなくなった。
慌てたのはセレナスである。
「んもうっ! 口ほどにも無い――!」
それを、ラファルドは厳しい口調で諫めた。
「なりませんっ!! 勇者を志す人間――それも、先代を超えようという玉が、あの程度で後れを取って、どうします!?」
「……あれが後れでなくて、何だと――!?」
主従でありながら、ラファルドとセレナスは真っ向から対立する。
「あれが後れではない、という理由は何だ?」
二人の間に割って入ったのは、国王だった。
「…………」
ラファルドと国王の視線が束の間交錯し、国王がセレナスに向けて視線を逸らす。
「――――」
ラファルドは諦めたようにため息をついた。
(何ですの……? 二人だけの秘密、だとでも……!? ……どちらにしろ、腹が立ちますわね!)
「御覧下さい」
不気味な獣毛の濁流は流れ込む穴を見つけたように渦巻き、蠢いて、全長数mの塊へと成長していた。
「この毛玉もどきが、何の証拠だと言うのです!?」
気が早い、という評価は胸中に呑み込む。
「手に負えていないんですよ」
「……えっ!? それは――」
「呑み込まれたら、終わり――ならば、次なる生贄を求めて暴れ出すか、呑み込んだ獲物の無惨な末路を誇示する、のが普通です」
セレナスも気が付いた。
基本、雑に作られた球体のような毛玉が、時折、棘を産むように突出した部分を作る。
しかし、それは数秒も持たずに、見方によっては、内部に引きずり込まれるように、消えてしまうのだ。
それが、不規則に、不連続に繰り返されていた。
「……!」
不愉快だと語る唸り声を発する怪物の視線は、毛玉に釘付けだ。
「そのどちらでもない、ということは――」
ラファルドが意味深に言葉を止めるのと、怪物が毛玉を叩き潰そうと拳を振り上げたのは同時で。
「……、ぐっ――!」
怪物の苦悶を聞き留めた衛兵の一人が、胸中で首を傾げた。
(何だ、今の……? 別人みたいに聞こえ――、 ……気のせいだな、きっと!)
拳が振り下ろされる直前、毛玉の不可解な挙動は時間を止められたようにピタリ、と止まり。
拳の直撃を弾くように爆発し、木っ端微塵になった。
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