第56話◆悪運
文字数 3,168文字
反射的に自分の腹を探りたい衝動に駆られたが、それをやったらアウト。
勿論、犯人はラファルドではなかった。
周囲の視線を、既に集めてしまっていたのだから。
(――ラディ!?)
無表情の中を、一筋の汗が滴り落ちた。
(ふ、不可抗力だ!! だって、昼過ぎてからこの方、何っにも食ってないんだぞ! 今だって、何時もなら鼾をかいているはずの時間で――、殺生だ!!)
そんなことを言われても! と叫びたかった。しかし、とっくに手遅れなのである。
「――――」
事実を裏付けるように、主君――セレナスは白い目で一瞥をくれた。
(……はうっ!!)
つまり、任務(衛兵であること)に瑕疵が発生した判定である。
当然、失敗には罰――熱い灸が待っているわけだが。
それは多分、訓練という名の折檻。それも、一週間がかりのフルコースである。
扮装させるだけではちっとも兵士に見えなかったラファルドは、事前の訓練でも近衛騎士団にみっちり扱かれた。
教官役の騎士を鬼! と罵りたかったし、訓練そのものを悪魔!! と絶叫で断定したかったし、もうすんだ過去として忘却の彼方に封印しておきたかった。
だが、食らってしまった。減点を。
それは、教導官を務めてくれた近衛騎士達の仕込みが悪かった――ということになる結論。
教導官達は当然のように今夜の会場に紛れていて、ラファルド達を見守っている。
つまり。
過ぎ去った過去よりも、遥かにスケールアップした災害が還って来る――。……連帯責任として。
(……冗談じゃない……! 僕は、絶対に!!! 巻き込まれないからね!!)
悲壮な顔で、(余人には聞こえない声で、)断言する。
しかし、諸悪の根源は悟り切ったように穏やかだった。
(諦めろ。一蓮托生。それが、こういう時の相場……ま、運命って奴だな)
(……却下だ……、そんな、ど畜生な運命――、……いや、どうせ逃げられないなら、今までの憂さとか、恨み辛みとか、一切合切の怨念を籠めて復讐すべき――!?)
振り切れた方向に突っ走った挙句、おどろおどろしい方向へ反転したラファルドの声に、今度はグラディルが慌てた。
(ちょ、ちょっと待てって!! それ、お前がやったら洒落になんないだろ――?!)
(……本気だよ? 僕は。訓練が辛い物だってことは承知してたけど――あんなに情けない私情に塗れた代物だったなんて事は、今でも承服してない――根に持ってるから)
ラファルドの脳裏には、生贄を前に舌なめずりする悪鬼羅刹の形相が再現されていた。
第三王女セレナスは、気取りの無い人柄と清楚可憐を文字にした容姿とで人気を博している。
それが、一般における評価であることは、ラファルドも承知していた。
騎士団内部においては人気がさらに加速し、偶像となっている。
とは、グラディルから聞きかじっていた。
脱走を結構な頻度で繰り返す残念な気性が知られてなお、人気にはあまり陰りが無いとも。
おまけに、王女の近侍に取り立てられるとは、元々、騎士にとって相当な名誉である。
だから、風当たりが多少乱暴であっても仕方がない、とは呑み込んでいたはずだった。
だが、まさか。
公と私の境い目を見失わせるほどのやっかみに化けていようとは。
事前説明では峰打ちだったのに、本気の一撃をすり替わっていた、とか。
一言でも口を開くと、殺意という名の罵詈雑言を浴びせられる、とか。
15分は保証されている訓練の合間の休憩を15秒にしたがる、とか。
第三王女の(割と)私的な情報を聞き出したがり、職業意識から拒否すると逆切れするとか。
止めは、訓練用更衣室前で聞いてしまった騎士達の雑談だった。
簡潔に要約すれば、
「美味いことやりやがって……! 絶対に許さねえ――!!」
である。
面と向かって言われたわけではない。
羨ましいというのなら、熨斗ををつけて、この役割を進呈したいと思う。
けれど、次の瞬間。
ラファルドはキレた。
不吉な騒音を聞きつけたグラディル(訓練に使った装備を片づけていた為、合流が遅れた)が駆け付けた時には――
更衣室が全損壊し、空から、雨粒のように落ちて来たとしか思えない状態で積み重なっていた先輩騎士達が一人残らず(関節を外された状態で)、悪夢のただ中に居るようにうなされているという状況が出来上がっていた。
(……まあ、脱帽する破目にもなったんだっけ……)
心に傷を負っても不思議はない状況を経験したにもかかわらず、訓練は中断にすらならず、教導官は最終日まで、一人も欠けなかった。
ただし、日常においては気配を察されるだけで、瞬間移動のように距離を取られ、すれ違い様には、「もやし」だの、「陰険小僧」だの、「悪党神祇」だの、雑言を貰うようになってしまったが。
そして、訓練の間中、グラディルが張り付くようになった。
事故が二度と起こらないように――という配慮らしい。
誰かの差し金かと邪推もしたが……グラディルの自発的な行動のようだった。
実際、グラディルは訓練を楽しんでいた。
騎士達の私的な憤懣が頻繁に入り混じる苦行を。
(王族の仕えという意味で)先輩騎士達から飛ぶ罵声も、無茶振りと紙一重の扱きも、何もかもが楽しくて仕方がない。
そんな風情だった。
「楽しくて良かったね」と突っ込めば、悪口雑言と変わらない文句が飛び出すのに。
憧れがあるのだと思う。
そして、教導官達はその憧れを体現している。
だから、楽しいのだろう。
だが。
裏を返せば、そこに自分の居場所は無い――そう考えているからでもある。
何故、憧れる場所に居場所が無い、などということになるのか。
それは――柵のせいだ。
グラディルは公国が「勇者」の承認を与えた男の血を引く男子である。
それは、グラディルに勇者を目指すことを求め、強制する糸だ。
それが苦痛にならないのは、勇者になることをグラディル自身が求め、焦がれているから。
そして、柵はラファルドにもまとわりついている。
一番解り易い形で。
勿論、それは「神祇」であるということ。
希少な能力を強力に秘め、強大に揮うことが出来るという事実。
それは、それが、保証する。
市井の民達の羨望の的になるような特権の、国家による貸与を。
”選ぶ”ことを許されない、レールの上を歩くような人生を。
神祇という名の異能。
それが在ればこそ拓かれる「未来」があり、それが在ればこそ閉ざされる”未来”がある。
その存在の善悪、是非は――解らない。判らない。わかりようがない。
良いと決めればよくなり、悪いと決めれば悪くなる。そういうものだから。
もし、一生を懸けてでも解ることが出来たなら――上出来ではないだろうか。
そして。
今、この場においては、迷うまでもなく解かることが一つだけあった。
拷問か鍛練か判別のできない苦行はもう勘弁!!! という、心からの悲鳴である。
(……ふ、ふふ、ふふふ……! それこそ、ラディじゃないけれど、ぶっ飛ばしちゃえばいいんだよね! そう、全部――、……?)
(解かった! 解ったよ!! 俺が悪かった! 土下座でも何でもしてやるから!! 早まった真似だけは、絶対にすん……、――??)
ラファルドが気を取られた方向に、グラディルも注意を向ければ。
会場の出入り口付近で、一際華やかで賑やかな空気を纏う、一群の人だかりが生まれていた。
それは、その存在に気付いた人々を巻き込んで成長し、歓声が轟へと羽化する。
「…………」
運がよろしいことね、と、セレナスがため息で語ると、広間の空気の変化に大使が気づいた。
「おや……? 本日お見えになるという、特別なお客様、ですかな?」
「……まあ」
セレナスは優雅に苦笑する。
「敏い耳をお持ちですこと。けれど、その御期待には添えません。あれは――」
「……!?」
「――!!」
広間のあちこらこちらで生まれたざわめきが一瞬で全体に広がり、息を呑む驚きが波紋となって空気を奔った。
「我が国の主――陛下の出来ですから」
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