第80話◆迷い家~道標(1)
文字数 5,494文字
「……どうして、そんなことが言えるんですか!? ファルは……一番上のお兄さんを――!」
気色ばんだグラディルを、ディムガルダは冷静に迎え撃った。
「あいつが、そう言ったのかい? 私のせいで、いなくなった、と?」
グラディルの感情は一層波立つ。
「言いません!! 言うわけないじゃないですか!! 天地が逆様になったって、あいつは――!!」
「……だったら、なぜ?」
「……です。親父の、せいです!! 公国から公認を貰っていたのに、間に合わなかった!! 行方を眩ませたまま、そのまま――!!」
「違う!!!」
痛みに満ちたグラディルの言葉を、ディムガルダは激しく断ち切った。
「――――!?」
「……それは、違うんだよ。クレムは、逃げなかった。立ち向かうべきに立ち向かって、……消息を絶った」
諭すようなディムガルダに、グラディルは探るような目を向ける。
「…………、それは?」
「クレムの弟――君の、叔父、殿については、知っているかな?」
「知っているも何も、少し前に――」
ディムガルダは驚きで目を見開いた。
「会ったのかい!?」
「……え、ええ。近況を報告し合ったぐらいで、別れましたけど……」
戸惑いを隠さなくてもいいグラディルに対し。
「そうか……(戻って来ていたとは――。ガルの奴に差しておかないとな)」
ディムガルダは苦く思う胸中を隠し切る必要が在った。
「……、あの?」
「クレムは、ずっと弟御の消息を追っていた。クレムよりも強い〈力〉を持ち、クレムよりも〈力〉を深刻に受け止めていたそうだ。喧嘩別れして10年になると、私は聞いた」
「父は……なぜ、ディム小父さんに? まさか――」
グラディルの声は何かを予感して、何処か上ずっていた。
「ああ、自分のことを治せたのだから、弟のことも――、……!!」
話を最後まで聞かずに席を立ったグラディルに、ディムガルダは手近に在った椅子を投げつける。
グラディルはさっと躱したが、流石に、抗議しないわけには行かなかった。
「――小父さん?! 俺相手じゃなかったら、今のは、流石に!!」
洒落にならない、と言いたかったが。
ディムガルダは不満をはっきりと示した。
「人様の話を最後まで聞かずに、逃げ出そうとするからだ。言葉で君を引き止めることが出来た、と言うのなら、詫びよう」
自身の短慮を明確に指摘されては、グラディルもばつが悪い。
しかし、反撃を諦める真似もしなかった。
「……常識、を棚上げにしていいんですかね?」
引き止め方が非常識だと、遠回しに刺せば、ディムガルダはかんらと笑う。
「はっは、それは失敬。しかし、ラディ君。君も大分、失敬だね? 有体に言って、セルゲート家を、クレムディルのことを舐め過ぎだ。今、君がこの部屋から逃げ出せば、クレムはセルゲート家が持つ異能の意味を何も知らなかった、ことになるのだが? それは承知の上かい?」
自身の言動が父クレムディルまで辱めている、と言われては、グラディルも戸惑わないわけには行かない。
「…………、それは。しかし――」
「クレムが勇者になることを、勇者であることを、真摯に追い求めるようになったのは、私が異能を喪失したことを、クレムなりに真剣に受け止め、考えた結果だと私は思っているよ。ガルには『お前、どうやってクレムの奴を洗脳したんだ!?』とか何とか、抜かされたけどね」
「――え。……それは、まさか……!」
いくら何でも、それは不味い!! という地雷を踏み抜いた師匠。
そんな絵面が、嫌に明瞭に、脳裏に浮かんでしまったグラディルである。
ディムガルダの笑顔は、今までになく、清々しかった。
「はっはっは。容赦しなかったとも。久し振りの喧嘩をしたさ。――ん? ひょっとして、初耳かな? 何なら、今までの星の数を教えてもいいが?」
星の数――勝敗のことである。言うまでもなく。
それも、公国最強の武人と自他共に認める人物が対戦相手だ。
グラディルは即答した。
「いえ! 止めておきます! 知りたくありません!! 師匠を見てれば、大体の所は察しがつきますので!!」
神祇だから、武芸者の内には数えられなかった。
それが口実なのか、現実なのかは――語らぬ方が幸せ、なのだろう。
確実に言えるのは、国王ガルナード=アストアルが本能的に居住まいを正すほど畏敬する人物がディムガルダ=セルゲートである、ということ。
そして、二人は公私共に親密な友人である。
加えて、グラディルが知りたがらなかったのは、知ったが最後、ラファルドがもう一人増えると確信したからだ。
「そうかい? ……まあ、あまり楽しい思い出話でもないか。ま、それはさておくとして。常識の話、ならば、聞く耳を持とうとしないラディ君相手じゃなければ、頑丈な椅子を投げつけるなんて乱暴な真似、しないよ。私もね」
「…………」
話を蒸し返されて、グラディルはむっとした。
「さらに言わせて貰えば、私の二の舞、三の舞を私以外の誰かに踏ませる気は無いし、セルゲート家は異能を培い、異能と向き合い続けて来た家でもある。神通に負担を掛けずに、〈力〉と向き合う手段だって、幾つも持っているとも。その適用を考えるのも、いけなかったのかな?」
聞かされた話の真贋が判らず、グラディルはかえって戸惑った。
「…………」
グラディルが反応しないことを、まだ意固地になっていると解釈したディムガルダである。
「……うーむ……。これはもう、ヴァルの奴に打ち明けて――」
グラディルはラファルドをファルと呼ぶが、ラファルドの家族はラファルド=ルヴァル=セルゲートのルヴァルを呼び名に使う。
互いが使う呼称を互いに承知しているので、齟齬は起きないのだった。
「すいませんでした!! 勝手に席を立とうとしたことは、俺が悪かったです!!」
あまりに効果覿面な切り札に、ディムガルダは目を丸くした。
「持ち出しておいてなんだけれど……、本当に、不思議な関係だよね。ルヴァルの奴、本当に友達をやれているのかね?」
妙な方向に、グラディルが躾けられている。そんな可能性を透かし見て、ディムガルダは不安になる。
何処か愛嬌を感じさせる風情に、グラディルは苦笑させられた。
「本気で怒らせたこと、何度もありますから。怖さは身に染みてます。俺が本気で喧嘩できるのも、ファルだけですし。仲直りをするのも、出来たのも、俺はファルが初めてです」
孤独と独り善がりで雁字搦めになった檻を破壊するには、細やかな機微を後回しにする傲岸不遜な、理詰めの暴君が丁度良かったらしい。
グラディルとラファルド。
どちらの苦労も透かし見えた気がして、ディムガルダはほろ苦さを味わった。
「そうだったか……。済まなかったね。私もラディ君に甘えてしまった。椅子を投げるのはやり過ぎだ」
「俺も悪かったですし、小父さんに失礼でした。椅子云々は流石に……、ですけれど」
「うむ。以後、気を付けよう」
ディムガルダに頭を下げられて、グラディルは席に座り直した。
仕切り直しである。
「……クレムは弟御の面倒も頼みたいと考えていたが、肝心の弟御の消息がようとして知れなかった。公国が捜索隊を組んだこともある」
「えっ!?」
初めて聞かされる話に、グラディルは目を丸くした。
公国が動いてくれたことが在ったとは、母からも聞いたことが無い。
「それでも、消息は掴めなかった。それが――。魔神戦争開戦の一月ほど前だ。一報が入ったんだ。『よく似た人影を見た』という程度だったがね。クレムは探しに行かないわけにはいかなかった」
きな臭い。「一報」が如何に胡散臭い話なのか、軍人見習いであるグラディルにも解かった。
「……なぜ、ですか?」
それでも、父が叔父を探しに行かなければならないと考えていた理由を、グラディルは知らなかった。知りたかった。
「クレムは私に頼みに来た。『俺の〈力〉は、どう足掻いても手に負えない。二度と使えなくなっても構わないから、抑える手段を教えて欲しい』とな。そして、『何時か……、俺は、何時か自分の大切なものを、自分で壊すことになる――。そんな運命、冗談じゃない!! それこそ、糞ったれだ!!!』と。あれだけ大柄な男が、行き場の無い子供のように泣きじゃくる……。思わず、息を呑んだくらいには、強烈だったなあ……」
グラディルから、表情が消える。
「じゃあ――」
「自身よりも強い〈力〉を持つ弟御はもっと大変なことになる、か、なっていると考えたんだ」
「…………俺も。俺も、諦めた方がいいんでしょうか?」
グラディルの声は落ち着いていた。
ディムガルダは何処か懐かし気な笑みを浮かべる。
「クレムは開き直ったぞ? 『〈力〉を抑え込んでくれて、有難くないとは言わない。だが、異能を枯らしてくれと頼んだ覚えもない! いい迷惑だ――!!』とね」
明かされる、いくら何でも、それは不味い!! 第二弾。
グラディルの悲痛な心情は、がくり、と情けない方向に舵を切った。
「………最低だ、親父。いくら何でもそれは……庇えないよ。俺も」
ディムガルダは朗らかに笑った。
「はっは。庇ってもらう必要はないよ。いい思い出だからね。だから、二人のことは、二人で決めなさい」
「…………」
何とも言えない顔で見つめて来るグラディルに、ディムガルダは穏やかな笑顔を返す。
「この話には続きも在ってね」
「……?」
「その翌日、謝りに来たんだ。言い放った時の傲慢で尊大な態度のクレムからは想像も出来ないほど――、そう、今のラディ君みたいに、萎れた顔と態度で、な」
「ちょ、ちょっと待ってください!! 謝りに来たんですか?! あの親父が――!?」
信じられないものを見たように絶句するグラディルに、ディムガルダは「そんなに可笑しなことを言ったかな?」と、首を傾げた。
「……そんなに、珍しいことなのかい?」
「見たこと、在りません。親父が誰かに頭を下げた所なんて……。母さんだって、無いはずです。夫婦喧嘩だって、折れるのは何時も母さんでしたし」
「ほう……。ふむ。私は、ガルの奴に土下座させられるクレムを何度か見たことが有るから。さては、ガルの根回しだったのか? みすぼらしい、と言った方がいいくらい、草臥れた格好だったしなあ」
ディムガルダは小首を傾げる。
ふと、グラディルの脳裏に懐かしい思い出が浮かんだ。
「あ。小父さん、親父の顔はどんなでした?」
「顔かい? ……ああ、確か、やけにくっきりした拳の痕が頬に在ったなあ」
ディムガルダの返事に、グラディルは確信を籠めて頷いた。
「でしたら、母さんですね」
思い出の中の父は、玄関の前で仁王立ちしていた母に報告していた。
何かを問い詰められて、渋々白状した、という感じだったが。
だが、ディムガルダは驚きで目を丸くした。
「――えっ?!」
「?」
「いや、いくら何でも、あんなにくっきりした握り拳の痕は――」
「母曰く、父と喧嘩して覚えたそうです。『あれぐらい出来ないと、あの人には何にも伝わらないの!! 頑丈さと無神経さって、どうして比例する関係にあるのかしらね!?』なんて。結婚する前からずっとそうだった、と」
おまけ。
ガルナードの拳は破壊力が有り過ぎて洒落にならないから、全力で回避するしかなく、奥方の拳は喰らっても程度が知れてるから、敢えて喰らっていたというのが裏話。
備考。
クレムディルの打撲傷で一番治りが遅いのは、奥方による鉄拳制裁である。
「――はあ。よくできた奥殿だと羨ましく思うくらいだったが……そんな昔から傑物だったとはなあ……。いやはや、いやはや!」
感服しきりなディムガルダに、グラディルはくすぐられるように笑った。
「母さんはいつも小父さんに感謝してます。『あの人が「人並み」になれたのは、全てディム小父さんのおかげよ!!』って。俺には、あれでも人並み以上に凶暴な気がしてたんですけど」
今度はディムガルダが慌てる。
「いや、それは言い過ぎだと思うが? 躾に苦労してたのは、ガルだし。私は、それこそ、ガルの尻馬に乗っているだけ、が殆どだと――」
グラディルは首を振った。
「いいえ、小父さんのおかげです。師匠は――、その、親父の生まれと育ちを上等にしただけ――みたいなところ、在りましたから。物理的に押し切ることは出来ても、精神的な部分をケアするとかは……無理でしょう?」
「それは……、まあ、在った、かな。でも、それでも、全ては言い過ぎだと」
ディムガルダとしては、自説に意固地なクレムディルを、要点を簡潔に提示するのがガルナード(主に物理的)で、その不足を補うのが自分(主に精神的)という二人三脚をして、解き解したつもりだ。自分だけが評価されるのは、筋が違うと思うのである。
「いいえ。親父は……師匠を、師と呼びながらも、何処か、戦友的に考えている部分が在りました。けど、小父さんのことは、一人の人間として、尊敬していたんです。覚えてますよね? 親父が、俺に輪を掛けた”貴族嫌い”だったこと。坊主が憎けりゃ、袈裟まで憎い! を地で行く人間が――『公国の良心と謳われる”貴族”』の家に遊びに行くことを咎めなかったんです。普通の父親みたく、『迷惑を掛ける真似は、するなよ』と、言うだけで」
「――――」
何も言えなくなったディムガルダを前に、グラディルは席を立った。
「『有難う御座います』母からの伝言です。俺からも、この場を借りて、重ねて――!」
そして、一礼をする。
「…………」
ディムガルダはため息以外に返せるものが無かった。
だが。
「『大切な物を自分で選んで、自分で決めて、何が悪いと!?』」
「?!」
突然の喧嘩調子――それも、妙に幼い口調に、グラディルはびっくりして顔を上げる。
ディムガルダの穏やかな笑顔が在った。
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