第70話◆横槍(1)
文字数 3,740文字
仮面の魔族は剣と短剣を駆使して間合いを細かく変えながら、グラディルに隙を作ろうと企む。
そこに織り交ぜられるのが火力と制御に優れる魔術と、即時性に特化した魔力。
白兵戦の間隙を縫うように、続々と生み出される炎、氷、雷、風、土などの属性攻撃が断続的にグラディルを襲う。
避けようと動けば、闇の力を凝縮した無詠唱の魔力弾が動きの先を読むように撃たれている。
直線、曲線、折れ線が乱雑に混ざった軌道が一層攻撃を読みづらくし、強引にでもグラディルの動きを止め、硬直を作り出そうとしていた。
一方のグラディルは赤手空拳を徹底していた。
異常で、異様な身体能力とタフネスを前面に押し出し、仮面の魔族が繰り出す攻撃の全てを片っ端から殴りと蹴りで粉砕していく。
その手数だけでもう、人間の尋常な戦闘能力の範疇を超過していた。
「……嘘! お猿に、こんな技量が在りますなんて――!!」
ある程度の技量が有るのはセレナスも解っていた。
脱走した時の騒動の件も在るし、ブラックコングを掃討する時、増援も横槍も一切無かった。
仮面の魔族を抑え込めていたのは明白だった。
けれど、そこにはラファルドの援護が在ったものと考えて、疑わなかった。
それが――。
今、眼前に在るのは息を呑むほどの驚愕に相応しい奇景だ。
グラディルは格闘戦で、剣術、体術、魔法を駆使する仮面の魔族を制圧しかけていた。
仮面の魔族の戦術は、予め一対多を想定していたと理解できるものだ。
たった一人で、徒党を組んで襲い掛かって来る人間達を弄び、打ち破ることを現実にする為の切り札として練り上げられていた。
それが――。
攻撃を片っ端から殴り倒していくという、身も蓋もない、戦術と呼べるかどうかも解り兼ねる戦法によって切り拓かれようとしていた。
一点に集中させたい斬撃と魔術と魔力による射撃の焦点がどんどんと押し広げられていく。
(追いついていない……! 殴り倒す為だけに駆使されている機動力が、綿密に状況を読み、展開を練り上げていく為の予測と分析を上回っているのね――!!)
押し広げられていく弾幕の合間から、光り輝くグラディルの雄姿(残像)が見え出した。
潰される。
セレナスは明確に予感した。
(これ以上攻撃の密度が薄れ、分散が酷くなれば――あの機動力で切り込めるだけの隙が出来る……!!)
それは、武芸を日夜研鑽し、戦場という場数をある程度踏んだ者達には共通の見解だった。
「――、ちっ!!」
そして、それは仮面の魔族も呑み込めていたらしい。
戦術を放棄し、魔族お得意の、魔術の弾幕で強引に押し切る戦法に切り替えた。
だが。
待ってましたとばかりに、グラディルは機動力のアクセルを踏んだ。
「……おおおおおっ!!?」
観客と化した誰もが、歓声を発したことに気づかなかった。
眩い虹の光輝が、全ての攻撃を破壊し、戦場を狭めていくように押し寄せる。
「ちっ! ……(これ以上は)……!!」
攻撃を捌き切れる内に状況を打開する手を打とうと、仮面の魔族は片手で印を結ぼうとした。
「甘えよ!」
見咎めていたように、グラディルは呟き。
『ラディ、忘れないで!』
仮面の魔族の眼前に迫っていたグラディルが残像となって消えた。
「?! ――がはっ!!」
背後からの肩当てを喰らって、仮面の魔族は吹っ飛ぶ。
しかし、その吹き飛びの延長線上にはラファルドが待ち構えていた。
「さて、灸といきましょう!」
言葉よりも冷たく、ラファルドの目が光った。
「……がっぅ!!」
吹き飛ぶ魔族を受け止めたのは、氷の剣山。
まるで、柔らかな毛布のように仮面の魔族を押し包むと。
「――っ、!!! ぁ、ぁ――ああああああっ!!!」
剣山ごと魔族の姿が消え、断続的な衝突音が大広間中に響き渡った。
「反省の二文字は、期待しません。懲りる。その文字が辞書に在ったなら、上出来でしょうしね」
「おーおー、しっかり、きっかり、キレてやがんなー……!」
追撃をラファルドに任せたグラディルの声は感嘆していても、表情は何処か不満げだ。
獲物を横取りされたと考えているのが、傍目にも解る。
「決着は、一思いにつけてしまうものでしょうに……!」
魔族の少女をラファルドから預かって来たセレナスが、国王の傍に陣取ったグラディルに合流する。
拷問同然の状況に眉を顰めているのは誰にでも解った。
「許しを請わせたい、そういうことだな」
監督役の衛士の足元で昏々と眠り続ける騎士を、国王は無表情に一瞥した。
終わらない責め苦に退屈し始めた人間が出始めた頃。
「――、!?」
不意に、グラディルは弾かれたように周囲を見回す。
「警戒!!」
援軍と続けるはずだった。
けれど、氷の針むしろが爆発し、氷片と化すのを止めることは出来なかった。
「――(干渉された?! 誰だ)――!?」
硬直するラファルドの表情を、薄く青い光が照らし出す。
「……?」
テラスに通じる窓が次々と開かれて、幻想的な青が広間を染め上げていった。
直後。
「ひぁっ!? ――」
悲鳴が上がり、不自然に途切れる。
「――なっ!?」
グラディルは目撃した。
青い光に照らされた人間が、氷の像へと変貌してしまうのを。
「おいっ?!」
ラファルドに駆け寄ろうとして、グラディル自身も照らされてしまう。
「あ」
氷の彫像が、また一体出来上がった。
「……ぜえ、ぜえ……! よくも……、やってくれた……!!」
氷の針むしろの残骸から起き出すと。
憤怒と憎悪が滾る眼で、ラファルドの氷像を睨みつけた。
激しく損傷した仮面の欠片が零れ落ちる。
「くれてやる……! 無慈悲にして無惨な結末をな!!」
屈辱だった。
術勝負で後れを取っていることも、当てにしたくなかった横槍で救われたことも。
本来ならば、自分の中に貯め込んでしまうものだが……。
「このまま蒸発させるだけで、立証不可能な怪奇事件としては十分だろうが――、――許さん!! 貴様らは――この国は――、絶対に! 許さん!!!」
その時。
氷の像にひび割れが奔り、儚い音と共に砕け散る。
「――――っ、――が、ぁ……あ――!」
氷の残骸から這い出て来たのは――ラファルドだった。
だが、体勢を立て直す余力までは無いらしい。
「!!」
術を破ったラファルドに、仮面の魔族は目を見張り。そして、皮肉な笑みを浮かべた。
「流石は神祇……、なのだろうな。術に屈していた方が、楽な死に様だったものを……!」
「……つける薬の無い、類ですね……」
術を破った反動で消耗している癖に、口が減らない。
怒りを通り越した酷薄な激情を宿した目で、生意気にも程がある若造を睨みつけた。
「いいだろう。貴様は使い潰してやる!! 意識を人間に留めたまま、道具としてな!!」
「止めておけ」
「ゼルガティス!! ――む!?」
聞き覚えのある、ずっと待ち侘びていた声の登場に、内心の凶暴な歓喜を押し殺して振り返ったが――姿は無かった。
小細工を弄されているとは、すぐに解った。
だから、一々、誰かを探す素振りは見せない。
ただ、出方は考える必要が在った。
魔王の居場所を掴むまでは、居場所を掴めていないと見透かされたくない。
束の間の沈黙ではあったが、先手は魔王が取った。
「此処で、何をしている?」
しかし、感情の無い下問を仮面の魔族は踏みにじった。
「それは、貴様だろう!! こんな場所で何をしていた!?」
「……やれやれ、とんだ御挨拶だな……。仮にも、王なんだが?」
声には何処か捻くれた気配が在った。
だが、そんなものは知ったことではない。
仮面の魔族にとって、ゼルガティスは許されざる魔王位の簒奪者なのだから。
「ふん! 俺は貴様を王と認めた覚えはない。そもそも、我らが国に貴様を信奉する派閥など幾つあったと思う!?」
「……たく。力を示せと迫って来たのはどちらだったか……。先代との約定など踏みにじって、魔王の伝統を踏襲した方がまだマシだったか? それともいっそ、学習能力の無さを褒めてやるべきかな? 流石は人族に舐められるだけはある、と」
声には非友好的な呆れの色が濃かった。
ゼルガティスにとってはとっくに終わった話であり、それを執念深く根に持たれ、傍迷惑な形でぶちまけられては友好的になれる感情も気力も湧かない。
皮肉の一つや二つを吐き出したところで、意趣返しに過ぎないのだが――仮面の魔族は覿面に激昂した。
ちなみに、魔王の伝統とは、力で以て魔族を蹂躙、制圧し、己に従うかどうかの踏み絵を踏ませるやり方である。
「貴様あああっ!!」
声の出所めがけて、黒い光弾を撃ち込んだ。
しかし。
「……何だ。俺の居所一つ、掴めていないのか! ……その程度で良く、歯向かう気になれたものだな? フォルセナルド」
ゼルガティスの本気の呆れが、フォルセナルドの屈辱を深めた。
「……ぎりっ! 俺は……認めない!! 貴様を、王などと――!!」
「一端なのは血筋だけ――か。それだけで、何が出来る?」
ゼルガティスの声からは感情が褪せていた。
王であることへの否定。それは明確に反逆である。
だが。
「決まっている!! きさ、――っ、がぁ、ぁ、あ――!! ……、っがぁあつ!!」
悲鳴を掻き消すように、フォルセナルドの口腔から血が噴出し。
ようやく、自分の胸を貫く腕――鱗に包まれた、鈍く輝く五本の指――が突き出ていることに気が付いた。
「言ったろ? 寝言は寝てからだ、ってな!!」
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