第107話◆幽体離脱
文字数 2,367文字
(ええと……、此処は何処で、僕は何を――してるんだっけ??)
気が付けば、ぼんやりと明るいだけの空間で、ラファルドは茫然と立ち尽くしていた。
右も左も、前も後ろも、何も無い空間。足元には煙が立ち込めていて、下だけは見通せない。
(確か……、ええっと、確か――誰かと、話をしてた……はず……? いや、よう、な……?)
思考が上手く働かない。記憶を上手に引っ張り出せない。
けれど、このままぼんやりしていては何もかもを忘れてしまいそうで、自分でもびっくりするくらい(後で思い返して)必死に探った。自分の記憶を。
「……ディル!!」
だから、だろう。聞き逃してしまった。
誰かが誰かの名前を叫んだのだが。
その声は、その音は、とても大事だった気がして顔を上げた。
だが、何も無い景色しか周囲には広がっていない。
「…………気のせい……?」
そう結論付けて、再度記憶の探索に埋没しようとしたラファルド。
それを引き止めるかのように、瞬いた光が在った。
地上から眺める夜空の星のように微かな、一粒の光。
それは、何故か胸元で煌めいていた。
何の気無しに、瞬く光が宿る物を引っ張り出して――。
「何だっけ……、これ……、――!?」
我に返った。
『……ディル!!』
脳(のう)裏で反芻される誰かの叫び声。
今度はそれがスイッチのように、記憶の中から誰かを引っ張り出した。
「ラディ!?」
名前を思い出した途端、グラディルの姿がラファルドの数m前に現れる。
「良かった、無事で――、……?!」
すぐに可笑しなことに気が付いた。
駆け寄っても、ラファルドとグラディルの距離が縮まらない。
手を伸ばしても届かないし、グラディルの視線の先に回り込んでも気づかれることが無かった。
(……何、これ……!? 映像か幻だとでも――)
「グラディル!!」
誰かが、聞き間違えようの無いほど明確に名前を叫んだ。
今度は解かる。その誰かの正体が。
「殿下?!」
声がしたと思われる方向を振り向く。
しかし、姿は何処にも見当たらなかった。
がっかりして、元の方向に顔を戻した時には――グラディルの姿も消えている。
「……うーん……、やっぱり、妙な場所みたいだね、此処。さっきまで二人きりだった聖堂みたいな場所とは――」
するりと口をついた言葉を自覚すれば、後は芋蔓式だった。記憶はあっという間に蘇ったのである。
「そうだ! 僕は……、暴走したがるセルディムさんを、身を以て宥める破目になって――。……それで、気がついたら此処、か……。妙な状況になってる、ってことだよね。……!?」
唐突に、世界が不透明な白と透き通る赤味を帯びた金の奔流で埋め尽くされる。
一瞬で呑み込まれてしまったものの、多少押される感覚があるだけで、それ以上は何も無いと解ると気持ちは一気に落ち着いた。
「あー……、びっくりする――!! でも、解る……! 不透明なのは、セルディムさんだ。変身した時も、白だったし……。で、透明なのがラディ」
溢れかえった水が引くように、色彩の奔流は穏やかに消えていった。
「そっか……、始まったんだね、決戦。とりあえずは、ミッションクリア――! ……かな? だよね?? あれ? てことは――此処、彼岸?? 死後の世界――とかじゃ、ないよね!!?」
ミッションとは〈竜の血〉が決定的に暴走しているセルディムを人間に留めたままグラディルと引き合わせることで、自分で勝手に設定したものだ。
ラファルドは泡を食って、辺りを見回す。
自分に何かがあったから、こんな意味不明な場所に飛ばされてしまったのだろうから。
「……よし。良し、良し! 何処まで行っても殺風景な、足元に煙が漂っているだけの世界!! 三途の川縁は、世界中の花が季節に関係なく咲き乱れる幻想的なくらい美しい場所で、何時でも春のような天気だって言うしね!」
「――――」
一人で納得しているラファルドに驚いている誰かが居ることに、この時は気づかなかった。
「……そう言えば、セルディムさんが言ってたっけ。此処では僕に危害を加えられるものは無い――的な? こと。……うっ。セルディムさんの保証かあ…………まあ、いいか。この際だし、美味しく貰っておこう!」
「…………!!」
笑い転げているかのように小躍りする真っ赤な鬼火が点っていることにも、気づかなかった。
笑い声は全くと言っていいほど響かず、聞こえず、鬼火に在るのは毒々しいぐらい鮮やかな色彩だけで、明るさも暗さも皆無だったからである。
「と、なると――、……なんだ、振り出しに戻っただけじゃん! 結局、今居る此処が何処なのかってことが判らないんだし!」
少し拗ねた顔で、ラファルドは腕を組む。
そこへ。
「……!?」
毛糸のような質感の白い糸で雁字搦めに縛られた騎士団員の姿が現われた。
「――はあっ!? 何、これ……!!」
最初は一人だったが、数秒驚いている内に、次から次へとその数を増やしていく。
そのどれもが”糸”に悪戦苦闘していて、誰もが必死に助けを求めていた。
(糸から妙な〈力〉を感じるし……多分、救助に来てくれた人、ってことだろう。うん。とりあえずでも助けておこっか!)
手に〈神通〉のグローブを履かせて、絡みついている白い糸を断ち切っていく。
「よし。これで大丈――、あああっ!?」
無事解放された騎士団員はほっとした顔を残して、消えてしまった。
叫んでしまったのは、少しぐらいは話が出来るかと思っていたからである。
「……なんて、薄情な……!」
拗ねかけたラファルドを白と赤味を帯びた金の奔流が再び呑み込む。
「戦闘が続いている、ってことだよね。だったら、僕は――このミノムシモドキを駆除しますか! 多分、覆い尽くされるまでが制限時間のはずだから」
気合を入れる為にグローブをした両手で頬を叩くと。
「よし! 頑張るぞ!!」
白い糸に絡まれて藻掻く騎士団員を片っ端から助けて回った。
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