第82話◆迷い家~贈り出し
文字数 4,102文字
「殿下! 今の一報は、確かでしょうか!?」
「ですから! 図体ばかりのこのお猿を――、……あら……?」
我に返って話しかけて来た壮年の男性に、セレナスは目を瞬かせる。
男性は素早く反応した。
「これは、申し遅れました! ディムガルダ=セルゲートと申します」
「――まあ! ……ど、どうも、お恥ずかしいところを……!」
頬を赤らめながらも、セレナスはドレスの裾に隠して、足でグラディルを小突く。
グラディルは苦悶と憤懣が混ざった声で応じた。
「………だ、ったら! 鉄拳とか膝とか、繰り出すんじゃねえよ……!」
「お黙りなさいっ! ――あ。……ええと……、私はセレナス=アストアクル。ガルナード=アストアルが三女です。お名前と若干の話は、父から聞き及んでおりますわ。どうぞ、末永く、父を支えて下さいますよう」
セレナスの足を払いのけようとしたグラディルの手を(一瞬でも)踏んづけたとは思わせない優雅な一礼に、ディムガルダはまんまと騙される。
「丁寧な挨拶、恐縮です。ですが、今は」
「はい! ……ほら! 非常事態ですのよ!?」
立ち上がりかけていたグラディルは、頭を扇で叩かれた。
「……だったら、余計な体力と気力、使わすなってんだ。で? 攫われたってのは?!」
セレナスは再度扇で、グラディルの頭を一撃する。
敬語を使いなさいとは、口にしなかった。
「報告を受けただけですけれど、私の居室が在る区画に突然ドラゴンが出現して、その腕にラファルドが捕まっている、と」
「――はあっ!?」
簡潔過ぎて、あまり要領を得ない報告に、グラディルは目を丸くした。
しかし、突っ込み入れない。
『受けただけ』――セレナスとて、知りたい! が本音なのだ。
「宮城の防衛網を突破した為、現在、城下で大捕物の最中、ですわ」
混ぜっ返しを予測していたセレナスは、話しながらもグラディルを可笑しな物を食べたのか? という目で見てしまう。
しかし、グラディルの意識に、セレナスの存在は、とっくに蚊帳の外だった。
「……(外からの侵入には堅固でも、内からの騒乱には脆い――か。泣けるくらい、講義どおりだよな、おい)……」
「それで?」
真剣な表情のディムガルダがセレナスに話の続きを促す。
「騎士団と近衛が合同で作戦を展開していますが、お父様の見立てでは、大城壁を突破されるのも時間の問題だ、と――」
大城壁は王都の一番外側で、王都をぐるりと取り囲む石壁だ。
大城壁より外側は公国の領土であっても王都ではなく、基本、宮城内部(敷地込み)は近衛騎士団、宮城より外側は騎士団の管轄という区分で運営されている。
だが、この騒動は王の膝元で発生した非常事態。王の威厳(権威でも可)に関わる重大案件であり、詳細な情報を(国王が)リアルタイムに掌握するという意図の元、勅命で混成部隊が組織されたのである。
「よし! 小父さん、お転婆!」
セレナスへのとんでもない呼びかけは、いい気分を粉々にしてくれたことへの意趣返しだ。
「――なっ?! な――」
「俺は、先に行きます!!」
王女への仕打ちとして、あまりのとんでも無さに思考が停止しかけている主人を無視して宣言すると、グラディルはあっと言う間に部屋から飛び出した。
「――――、!! ま、待ちな……、んもう!!」
「殿下!!」
あっという間に見えなくなったグラディルの後姿に地団太を踏んだセレナスを、ディムガルダが引き止めた。
「……え? あ。はい!」
セレナスが不意を打たれたのは、事務的に報告して終わりだと考えていたからである。
ディムガルダ=セルゲートは、父の、国王の友人であって、セレナスには知己ですらなかった。
親しく話が出来る間柄とは、まだ、言えないのである。
「その竜は、叶う限り、殺さずに仕留められますよう!」
ディムガルダの助言に、セレナスは困惑した。
まるで、自分がこれから(周囲の反対を押し切ってでも)戦場に立つことを知っているかのようだ。
セレナスのお転婆の内実を父ガルナードが語っているかもしれない、という発想はまだ無かった。
そして、獲物を仕留めるとは、往々にして、獲物の息の根を止めることである。
「……そ、それは……?」
「もう、取り返しのつかない被害が出た後でしたか?」
気遣うように問いかけられ、セレナスは我に返った。
自分の前に居るのは、国王に仕える文武の官、その全てがやっかんで尚届かないと言わせしめた股肱の臣の中の臣。
事情を呑み込み、状況を把握する力に欠けるなど、在り得ない。
かつては幾度も国王たる父と打ち合わせを重ねたはずだった。
予定に無い物でさえも、厭うこと無く力になったからこそ、その助言が、立ち居振る舞いが父の目に適ったからこその、彼の評判――のはずである。
「――い、いえ!」
セレナスは自分の中の情報を全力で掻き集める。
人的な被害は、まだ、軽微な状況だが、騒動の発生地点は王宮の一角。建造物の損壊を初めとする物質的な被害は相当な金額が計上されていた。
加えて、騒動が発生したのは国威を賭けた晩餐の夜。国王の面子にも、国家の面子にも、酷く大きな傷がついてしまっている。
しかも、騒動の犯人たる竜は、公国の要人の子息を人質にしていた。
穏便に済ませられる状況は、とっくに終わってしまっていると言える。
「むしろ、公国の軍事力を誇示する為にも、過激に対処する可能性が高いかと――」
人質が無事に越したことはないが、賊が形振り構わず、強引な突破を目論んでいる、とは既に分析され済み。
現状、近衛と騎士団の合同部隊は賊を王都下に押し留め、降参に追い込むことを目指していた。
人質の生死は不問とする。
そんな条件が、状況が、提示されつつあるのだった。
だからこそ、自分にも黙って行方を晦ました挙句、呑気にお茶をしている(ように思えた)グラディルが腹立たしくて、感情に任せた突撃を敢行してしまったセレナスである。
「殺さずに仕留める、というのは、賊に足元を見られてしまうのではありませんか?」
ディムガルダの心底を図る意味も込めて、セレナスは一番端的な危険性を指摘した。
作戦方針は時として、空気で伝播することも在る。
賊が何処まで荒事慣れしているかにもよるが、見抜かれない保証は無い。
ディムガルダは冷静だった。
「被害が小さ過ぎます。本物ならば成体ならずとも、この宮殿規模の建造物を根こそぎ吹き飛ばすのは朝飯前」
「――――!!」
思わぬスケールの大きさに、セレナスは絶句する。
誰かによく似た反応の示し方に、ディムガルダは苦労して苦笑を押し殺した。
「と、お心得下さい」
「……では、あの竜は贋物――?」
ディムガルダは肯いた。
「人間の部隊が作戦を組んで、包囲可能な時点で、紛い物ですね。恐らくは、何がしかの手段による変化でしょう」
最強の代名詞にして、純粋にして横溢な〈力〉の象徴とされる竜。
ディムガルダが城下に逃走中の竜を贋物と断定したのには、もう一つ別の根拠が在った。
人と竜の生息可能領域は、決定的に異なっている。
野生の竜の殆どは、溶岩が吹き荒れる灼熱の渓谷、水流や氷雪に閉ざされた深淵、風鳴と気流が織り上げる迷宮、等、人間ではまともな呼吸一つままならない、魔境とでも呼ぶべき、一種の異世界の最奥に居を構える。竜が生きていく為に、人間は必要な存在ではないのだ。
だから、竜が人里に出現する時には応分の理由が在る。
例えば、約定を破った、巣穴に不法侵入して狼藉を働いた(お宝目当て)、等々。
そして、竜の不興を買った報復は洒落にならない。
精神感応と思われる〈伝声〉で自らの存在と、罰される人間の罪状を高らかに謳い上げ、魔力、もしくは〈吐息〉で以て、(時に超遠距離から)一瞬で対象を殲滅するからだ。大陸が丸ごと扁平な更地になるなど、ありきたり過ぎて笑い話にもならないほどだ。
だから、解かる。
公国の人間が竜に粗相を働いたというのなら、セルゲート家の血族の誰かが、公国に迫る滅亡として、事前にそれを予感することが出来る。
今回に限って言えば、そんな預言は誰も得ていなかった。
セレナスは感心しきり、という風情である。
「……犯人の正体は勿論のこと、その出自や背後関係に至るまで、丁寧に洗っていく必要が在るのですね……! でしたらば、犯人が存命しているに越したことは在りませんわ! それに、本物の竜でないのなら、現場も気苦労も大いに減らせます!!」
ディムガルダは笑わなかった。
「殿下。『殺さずに』と言っておいて難ですが、努々、油断は召されませぬように。変化による贋物といえど、竜は極めて危険です。〈息〉を吐けるなら、人的被害は一瞬で山となりますし、爪も尾も、武装ごと人体を破壊する威力を常識のように秘めているはずですから」
ディムガルダの助言に、セレナスは肯いた。
「心得ましたわ、ディムガルダ様。陛下にも、しかと奏上させて頂きます! ――では、私も急ぎますので」
簡潔ながらも、華やかな一礼を贈ると。
グラディルにも負けない健脚と加速度を披露した(※ドレス着用中)。
驚いたのも一瞬、ディムガルダは思わず身を乗り出して。
「万が一! 取り逃がしたなら、魔族の陛下を頼りなさい!!」
「……心得ましたわー! ディム小父様――!!……」
遠吠えのようにたなびいて、消えていく返事。
宮殿の通路を疾走して消えるというとんでもな王女に、ディムガルダは苦笑した。
「……色々大変そうだなあ、ヴァルの奴……! ――ぐっ」
不意に、痛みに襲われたように顔を顰め、崩れるように蹲る。
無意識に椅子の足を掴み、ディムガルダは耐えるように呼吸を落ち着けようとした。
「……これで、役目は――おわ、り……か――。ホルトの奴……、い……くら、しんた――く、とは言え……! む、ちゃを――ね、じこ――――ん………………」
体中を電気が駆け抜けると、映像だったとでも言うように、姿にラグが発生する。
そして、一際大きなノイズが発生すると、帳を下ろしたようにディムガルダの姿が消えた。
「…………あのう……、――あら?!」
第三王女の剣幕に恐れを為して、任意で避難を決め込んでいた部屋付きの侍女が恐る恐る戻って来て、様子を伺いに顔を出したが――人の気配は何処にも残されていなかった。
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