第77話◆逢魔
文字数 4,321文字
「――はあっ、はあっ(おかしいな? 追い越したはずはないんだけど)――」
華やかで閑静な廊下の曲がり角で、ラファルドは周囲を見回してしまう。
長めの距離を、衛兵の装備付きで駆けて来たせいも在って、いつもよりも息が上がっていた。
(何処に行ってくれたんだか……! 夜だし、いつもよりは迷いやすいかも。……うー……、こんな時じゃなかったら、多少余計に時間を食うぐらいが互いに頭も冷えて丁度いいって思えるんだけどなあ……。放っておくと、絶対、殿下から突っ込まれるしね。『仕えとしての自覚が足りません!!』とか、なんとか。とに、一体何処に――?)
それから数分余計に探し回った時点がラファルドの忍耐の限界だった。
足を止めて、辺りに人気が無いことを確かめてから、〈探査〉を発動させる。
「――あれ? 無反応。……は、変だな」
確認の意味も込めて、再度発動させた。
「…………」
しかし、応答は無い。
(何で――? ペンダントを捨てた――だったら、ペンダントが落ちている地点に反応が出るし。……無反応……、家の誰かが近くに居る――ってこと? 例えば、クリス兄さんに迷子になっているところを拾われた、とか……。うん、在り得そう。星黎の間経由だと遠回りになるけど……探しに来なかったら来なかったで拗ねられそうだから、当たっておくか。――ん?)
ふと、見つめられている気配を感じて、夜の廊下を振り返る。
「…………気のせい、かな……?」
何処も彼処も怪しく見えて来る仄暗さにため息をついて、ラファルドは歩き出した。
「――えっ? 見てない!?」
「ああ」
星黎の間近くの廊下で出会ったクリスファルトの返答に、ラファルドは顔を曇らせた。
(……参った……! じゃあ、何処に――??)
珍しいくらい余裕の無い感じに、クリスファルトは弟をからかってみた。
「珍しいことも在るな。お前が見つけそびれるとはね」
「兄さんよりは上手だとしても、万能ではないですよ」
からかいに皮肉が返って来て、クリスファルトは憮然とする。
「……悪かったな、弟のお前よりも下手で」
「……止めて下さい! 今更、そんな拗ね方……。可愛くないですし、クラウだって、宥めるのに困るでしょう?」
からかいは嬉しくなかったが、流石に余裕が無さ過ぎだとラファルドは反省した。
だから、混ぜ返す為に、一歩下がって、無関心を装っていたクリスファルト専任の武士であるクラウヴィル=ファランドを巻き込んでみる。
”普段”を取り戻した弟に安堵する兄心は隠しつつ、大人気の無さを装って、クリスファルトは応戦した。
「……言っておくが、今のお前の方が、よっぽど! 可愛くないからな。な、クラウ」
今一つ表情が読めない、クラウヴィルの答えは。
「……入り用であれば、先代様に灸を用意して頂きますが……?」
「――げっ!?」
「ええっ?!」
兄にも、弟にも可愛くない(しかし、如何にも賢明なお付きらしい)ものだった。
誰に据えるのかを言明していないこと、喧嘩両成敗という習慣は此処でも一般的であること、がミソである。
先代当主ディムガルダ=セルゲートが隠遁したのは、異能を喪失したからであって、辣腕と評された手腕に陰りは無い。
勿論、その灸は的確かつ、熱く、可愛気に欠けると言われがちなラファルド達兄弟を震え上がらせることが出来る、極めて希少で貴重な人物なのである。
洒落にならないと直感したクリスファルトは、即座に、喧嘩を収束させる方向へ舵を切った。
「……とりあえず、〈力〉を使うのは程々にしておけよ。そのせいで喧嘩したんだろ? 自分を探すのに使った、なんて知られたら――」
現場を見ていなくても、或る程度の所は察せると解っているので、ラファルドは素直に頷くことが出来た。
「解ってます。父さんが出張して来てるはずも無いし、クリス兄さんがバラさなかったら、誰にもバレませんしね」
弟は意味深に兄を見遣る。
「(――チッ。ネタにしたら、報復します! か? ったく!)お前こそ、忘れるなよ? ラディ君を連れ戻しても、セレナス殿下の灸は降って来るってことを」
ディムガルダの灸が現実になったら洒落にならないので、素直な本音は隠したクリスファルトだった。
「……連帯責任なんて御免ですから、探しに来てるんですけど!」
解ってるならいい、と、クリスファルトはからかいを終わらせた。
「もう、戻ってるんじゃないか? ラディ君だって、殿下の灸は嫌なんだろう?」
兄の希望的観測を現実にしてくれるような職業意識が備わっていてくれたら、ラファルドも万倍は気が楽である。
そして、悲しいかな、絶対に何処かで油を売っているという勘が、ラファルドには働いていた。
「戻ってませんね。顔を見るのも――、という状況に入りかけてましたし。ラディは嫌な物はぶっちぎるタイプですよ?」
ラファルドに当たれる(愚痴れる)のも、ラファルドが居ればこそ。
おまけに、宮城は良くも悪くも、国王を初めとする一握りの王族を中心に世界が回りがちな場所だ。
間違っても、グラディルの噴飯は理解されない。
おまけに、解かってくれない!! と爆発されたら、洒落にならない。
嫌なら出てけ! の即日解雇はマシな方で、最悪は、周囲まで巻き込んで首が飛ぶ(物理的に)ことである。
そして、グラディルがぶっちぎるとしたら、セレナスではなく、セレナスに仕えるという仕事の方だ。
そんなことになるくらいなら、感情的に荒れてはいても、文句(罵詈雑言込み)の嵐を迎撃(忍耐)するほうが、ラファルドにはマシだった。
「まさか……お前まで戻らないとは言わないよな?」
戻らない、とは、グラディル探しを口実に、ラファルドもアルバイトをぶっちぎるのではないか? という疑惑である。
そして、それは流石に、見損なわれ過ぎだった。
「兄さん……!」
ラファルドの額に浮かんだ青筋に、クリスファルトは慌てた。
政治や人間関係の場数なら、弟に負けるはずはないが、神祇の能力は別である。
年々衰えていることは知っているが、それでもなお、クリスファルトはラファルドと勝負が出来ない。
国王の勘気を臣下が恐れる、ような意味とは別の次元で、ラファルドの勘気は洒落にならないのである。
「ね、念の為だ、念の! 宰相殿に先を越されたせいで、俺は今から御機嫌伺いなんだぞ。手土産の一つや二つ、あるに越したことが無いだろうが!!」
手土産=先方(この場合は国王)が興味を持ちそうな話のネタ、である。
しかし。
「火傷しますよ、小父上を甘く見積もっていると。父さんとは親友ですけれど、優しさと甘さを混同したがらない人柄でもありますし。後、人を勝手に土産物にしないで下さいね」
「……む!」
往なされたことは面白くないが、国王の人と形については、ラファルドの見識が一番精確であることをクリスファルトは知っている。
敢えて反論はしなかった。
そして。
ラファルドの様子がおかしい。
その目は兄のクリスファルトに向けられているのに、クリスファルトのことを見ていない。
表情が溶けるように消えていき、目の前に居るという現実感が失われていく。
(……うわあ……。こんな時に、来るか――!)
子供の頃は、クリスファルト自身も散々にやらかして周囲に迷惑がられたという、神憑り。
何時来るのか、何時なるのか、自分自身にも解らない怪現象である。
これが在るから、セルゲートの血統は時に畏れられ、時に忌まれる。
館が人を外に出したがらない理由だった。
「出し抜かれたと解っているなら、落雷は無いはずです。僕に必要なのは、何処にも居なかったという確証ですから。……探し出せなかった、は癪だなあ……!」
何を言っているのか、解っているのかと突っ込みたくなるが、神憑っている時にあれこれ口を挟むのは、クリスファルトの経験上、よろしくない。
神憑りとは、「神」という不純物と無意識に、無自覚に混ざり合った状態、と考えることが出来ると、クリスファルトは考えていた。
原則として、神と人は異種であり、混ざり合うなどは在り得ない。
けれど、発生する。
その仕組みは誰にも解らない。
有史以来、解き明かした者はいない。
解き明かそうと挑む者も、いない。
一説によれば、「神」の怒りの触れる行為だから――、だとか。
おまけに、混ざり合う不純物の正体は、必ずしも、神憑る当人の嗜好と合致しない。
運が良ければ、「水」に混ざるのは「砂糖」だったり、「食紅」だったりで済む。
運が悪ければ、「油」だったり、「ニトログリセリン」だったり、「マグネシウム」だ。
しかし、それは絶妙なバランスで配合される不純物である。
上手く調和している間は、希少な宝石の如く美しく煌めき、宝石を宝石たらしめる鮮やかな色彩のような恩恵をもたらすのだ。
だが。
互いが互いを自覚しあうと、大概にして配合のバランスは崩壊する。
その時に起こるのは――災害だ。
宮城中の窓ガラスが一斉に粉々になる程度は可愛い方で。
記憶が飛ぶ、人格と神格が入れ替わる、周囲の生命を強制的に供物にする等々、碌な事がない。
素知らぬ振りをすることにして、クラウヴィルにも目配せで同意を要求した。返答の確認はしない。
「……解かった。お前はもう少し、遅れる、でいいんだな?」
他人を見るように冷たい目のクリスファルトには気づくことなく、ラファルドは素直に頭を下げた。
「お願いします」
ラファルドが顔を上げると、クリスファルトには終わったことが解かった。
兄の顔を取り戻せることに、心からの安堵を覚える。
「なるべく早く、な。口添えはしておくが……、利くのは、小父上にだけ、だぞ?」
藪を突いて蛇を出すのも難なので、クリスファルトは神憑りを棚上げにした。
ラファルドには自覚が無く、会話は問題無く成立している。
クラウヴィルも主人の意向を弁えているのか、素知らぬ顔だった。
「……よ、よろしくお願いします……!」
クリスファルトの釘差しに、セレナスの鉄拳制裁を思い出してしまったラファルドである。
そうして、神祇の兄弟は別れた。
なのに。
「……結局、空振り、か――」
普段の待機場所である男子更衣室(空っぽ)で、ラファルドはため息をついた。
クリスファルトと別れてから10分は余分に足を延ばして、成果は無しである。
腕力絡みの腹いせは好きになれないが、ぶすくれた顔と拗ねた声が在って欲しかった。
自棄糞気味に部屋の真ん中にあるソファに身体を預け、数拍天井を眺めて、ため息をつく。
「……っとに、あの強情っ張りめ……!! とりあえず、戻ろう。これ以上の御役目放棄は、絶対、変で妙な灸が追加されるから。……そこまでは庇わないからな!」
聞く者などいない。だからこその愚痴だった。
だが。
「それは、悪いことをしたな」
在るはずの無い台詞が、背後から届いた。
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