第85話◆介入
文字数 5,175文字
宙に浮かぶ外套の男は冷たく世界を睥睨していた。
「とんだ茶番よな……。せめて、我らの役に立つといい……!」
漆黒の帳が、作戦区画を押し包むように降りた。
「――?!」
ぐしゃり。
建物も、人も、道路も、植木も。あらゆるものが一斉に押し潰される。
悲鳴すら無いほど一瞬で、粉々にされた上に真っ平に伸された。
「……さて。何時まで、何処まで、逃げ隠れが出来るものやら――」
フードを被り、仮面をつけた男が呟く。
目にこそ感情が無いが、声には何処か寂しさに似た何かが漂っていた。
そこに。
「ほう? 生憎と、待ち侘びていたのはこちらも同じでな?」
好戦的な、若さを残す男の声が届く。
「――!?」
弾かれたように顔を上げた瞬間を、銀色の光弾で狙い撃たれた。
光弾は過たず頭部に命中し、その正体――初老の魔族を、狙撃者――魔王ゼルガティスの前に曝け出す。
「…………成程? ジェナイディン。牙を剥くのが貴様とはな……!!」
魔王の声には明確に苦い物が在った。
(……なぜだ? フォルセナルドはともかく、サティスといい、ジェナイ、貴様といい。――なぜ、俺に牙を剥く――!?)
晩餐会場でフォルセナルドが言い放ったように、ゼルガティスは信奉されない魔王だ。
一つは「王」の血統を継がない魔王であること。
一つは正確な氏素性が不明瞭であること。
一つは”王位継承”の際、先代魔王を殺したと囁かれていること。
反発される主な理由は上記三つだが、一方で、ゼルガティスを高く評価し、親身にとまではいかなくとも、サティスのように、心を開いてくれた魔族も存在していた。
ジェナイディンは高位魔族の一人として、親魔王ゼルガティス勢力を取りまとめ、執事のような立場で動いてくれていた人物だった。
内においても、外においても気詰まりがちなゼルガティスに、花嫁探しを口実に”もっと外を見て来い”と嗾けた犯人でもある。
それが――、なぜ?
「誰の許しを得て、こんな勝手な真似をしでかす?!」
「……ぃ、おお、これはこれは! とんだ粗相をお目に掛けましたかな? 陛下。しかし。なぜ、許可が必要なのです? 人と魔は相容れぬもの。私以外の許しを得る必要など、何処に?」
悪意と狂気が滲む台詞をゼルガティスは冷たく見据えていた。
「……そうか。だが、王命はただ一つ。――退け!!」
「――――!! ……、ぉぐっ、……!!」
雷に撃たれたように硬直、痙攣し、しかし、鬼の形相で踏み止まる。
「聞こえなかった(抗う、)か?」
冷厳に迫ると、束の間、ジェナイディンは苦悶に喘ぎ。
「…………っ、ふぅ、ふぅ、……、――――ふ、ふ、ふふ。その程度か……、その程度で――!!」
全身を激しく震わせ、不可視の何かを力任せに振り払う仕草を見せた。
「――――?! (……涙?)」
在り得ない物を見る目で、ゼルガティスは昨日までの配下を見る。
魔王の威光が、高位とはいえ、一介の魔族に覆された瞬間だった。
「思い知れ! ゼルガティス!! 貴様如きは最早、我らの王にあらず――!!」
黒い光の柱が、茫然と宙に佇む魔王を襲った。
「……助かった……?」
空中で火蓋を切って落とされた戦闘。その真下で、更地同然だった残骸の下から、人間達が続々と出て来る。
雨後の筍も真っ青な状況だ。
「……、助けられた――でしょうね」
まとわりつく塵埃を叩き落としつつ、クリスファルトが近衛騎士の呟きに応じた。
(出現に気付いてから帳が下りるまで、一分も掛かっていない。予め解っていなければ、対処のしようが無いレベルだ。おまけに、初見になる術――か)
認めたくはないが、自身だけでも守りきれたなら、上出来! という状況だ。
それが、土塗れでも、無傷な人間達で溢れかえっている。
自分でもラファルドでもない、外から作戦状況を俯瞰していた術者が介入してくれなければ在り得ない現状だった。
「……だな」
「陛下!!? 御無事で――?!」
声の正体を察した人間達が喜色に包まれる。
そして。
「――っ、だあああっ!!!」
豪快に瓦礫を撥ね退けて、国王ガルナードが姿を現した。
自身の出現の巻き添えを喰らった数人を助け起こし、自分にまとわりつく土砂を払う。
「余程の状況にならない限りは、魔族が絡んで来ても静観を願う。そう頼んでおいた甲斐が在った――ということだな」
歓声も束の間、続々出て来る人間――騎士団員、衛士達、の人員整理が始まる。
クリスファルトが国王の身体チェック(怪我や異常が無いかどうか)を始めた上空で、黒い魔術光が炸裂した。
「しかし、”仲間割れ”とは――」
ちらりと上空を一瞥し、傍迷惑だと不満を零す。
公国の英雄は微笑で応じた。
「一枚岩ではない――魔王陛下自身の言だったか? 『真実で御座いましたな』宰相の奴なら、他人事めかせて感心したろうよ。歳を食ってるだけあって、可愛気に欠けるからな」
「……宰相殿を拗ねさせる減らず口が叩けるなら、大丈夫で御座いますね!」
チェック完了(心身共に健常)の合図に、クリスファルトは国王の肩を叩いた。
「そんなことより、竜と他の魔族だ!! ”轡”を取り戻さないことには――」
国王の言葉で、騎士達が一気に活気づいた。
そして。
「――――!!」
人間達の大集団から数m離れた場所で、瓦礫の噴火が発生した。
その中から、咆哮を轟かせながら白い竜が出て来る。
「!! ――、……あ!? 人質が――居ない?!」
「何だと!?」
騎士の一人が叫んだように、竜の両腕は空っぽだった。
そして、人間の注目が集まるのを嫌がるように、白く光る、不可思議な形状の図面のようなものが現われる。
「陛下!!! 皆の者――!!」
クリスファルトの絶叫が合図だったように、図面から眩い光の砲弾が嵐のように撃ち出された。
(…………誰? ……誰? ……誰が――誰が…………)
深い水の底に横たわるように動かない身体で、誰かの声を聞く。
その声は遠くから響くようであり、耳の傍で囁かれているようであった。
『――おお! 我が君よ!! 口惜しきは、口惜しきは我が身の不甲斐なさ、力の無さ……!!』
耳に届くもの、それは――恨み。そして、嘆き。
そして、声を聞く者は一人ではなかった。
水中のように光が揺らめく、しかし、暗い空間には、壁に寄り掛かるように身体を投げ出している屈強な男が居た。
「諦めろ。それは”運命だ”。どれほど焦がれようと、届くことは無い」
ぼろを纏う、半裸の男らしき人影が何かを、誰かを、何処かを見つめていた。
黄金に輝く目には感情が無く、顔はあらゆる嘆きと怒りと絶望とが擦り切れた名残のような気配を漂わせている。
『……るものか、なるのものか、なるものか! このまま、我が君の御心に曇りを残したまま、食い千切られてなるものか!! 我が誓い、無惨にも踏みにじられてなるものか!!!』
(……今、……のは……?)
大事な何かが聞こえた気がして、途切れ途切れの意識で耳を傾ける。
「小僧、お前も眠れ。聴いたことろで間に合わぬ。届かぬまま終わると『決められた』嘆きよ。耳を汚すな」
男は遠くを見ているようでもあった。
(……今、のは……ねが、い…………?)
『なるものか! なるものか!! なるものか!!! このままの終焉など――!! 必ずや、我が君に報いねば!! たとえ、それが――我が君の手にかかる結末、であろうとも……!!』
(……これ、は………これは、………こ……れ……は……)
明確にはならない意識。さりとて眠るには気がかりで、声に耳を傾ける。
ぼろを纏った男がいつの間にか傍に立っていて、踏みにじられてなお途絶えることを知らない憎悪を滾らせたような顔で見下ろしていた。
「眠れ。さもなくば、去れ! この嘆きは……、この絶望は――、この、願いは!!」
聞こえる声の正体に気付いた。
(ああ……これ、は……、い……の、り……!)
「叶えられては、」
[否!!!]
強靱な言葉と共に「世界」が揺れた。
揺れの治まりと共に、「世界」の明るさが増す。
真夜中が夜明けを迎えたように。
「貴様?! ――――、なにゆえ、此処に!!」
男の声には絶句と共に、忌々しさが宿っていた。
[汝、――――よ。足掻くが良い。懸ける願いが在るのならば。誇るべき誓いが在るのならば! 何に置いても代え難い祈りを宿すならば!! 聞き届ける者ならば、これに]
「誰か」が、死体のように横たわる――を指し示す。
しかし、それが見えることも、それに気づくことも無かった。
「馬鹿な!! 此処は耐えねば。忸怩たる汚辱を被ってでも、耐えねば――!!」
咎める声で、やる方無い憎悪を叩きつける顔で、男は迫る。
声は何処までも落ち着いていた。
[あれが欲を欠かねば、な。貴殿の言う通り、万難を排してでも耐えるべき刻だろう。だが、あれは手を放した。抑えねばならぬ手を開いたのだ]
――は、声に願いを掛ける。祈りを重ね合わせる。
(……い……の……り……、どう……か――、とど……き、ま……す――――よ……う……)
「――――」
泣き腫らした目と顔で、男は水の底に佇むように眠る――を睨んだ。
[ならば、全うせねばならぬ。全うされねばならぬ。貴様、――――よ。もう一人の――よ。我ら共に願いを聞くもの……祈りを聴くもの……!]
「助かることは無いぞ? 願う者は消える。祈りの源は――、朽ちる」
男は不本意だと言わんばかりだった。
だが。
『解っている……! あれは――、あれは、我が手には負えぬもの。幾万、幾億粒縒り集まろうとも太刀打ちなど叶うまい……。だが!! それは理由ではない! 理由にはならない!! 踏みにじられることを甘受するなど、甘受させられるなど! ……それを、押し付けられて、異議すら唱えられぬ理不尽を、呑まされねばならぬ理由になど!! ならぬ!!!』
男は打ちのめされたように、我に返る。
忘れていたものを噛みしめるように、忘れていたことを悔いるように、唇を噛んだ。
「…………仕方ない。許そう。我らは共に、祈りを聴く者。だが――! だからこそ、許さぬ!! 呪いなど吐き散らしてみろ――その魂、生まれたことを幾度悔いても飽き足らぬほど責め抜いて、詫びとさせるぞ!!」
そして、男は元の位置に戻り、もう、何の関心も無いとばかりに目を閉じた。
『……ああ、我が君よ……! 惜しむらくは、我が命。我が命はもう――! ……いや。まだだ!』
[そうだ……! 足掻き、願い、祈れ……!! 生在るならば、生在る限り……!!]
「世界」の明るさが増していく。夜が明けていくように。
『まだだ!! 我が誓い、偽りなどではないと証立てねば――! それこそ、それこそ――!!』
ただじっと、ただそっと。声を聴いた。
(……だ……い……じょう、ぶ……あ……せら……ない……で。……と……ど……く、から――)
「世界」が暗くなる。意識が闇へと呑まれていく。
『我が一矢……! 必ずや、報いて見せる……! 我が君に悪意為す敵――我が怨敵の姿――! 曝け出して御覧に入れましょう!! ……ああ、どうか、我が君よ……! 我が終なる奉公を……どうか、お許しくださいますよう……! ……ああ、我が君、ぜ………る』
そして、声は聞こえなくなった。
「……まさか、な。叛くからには相応の覚悟が在るとばかり……。本気で、この程度か……?」
魔王ゼルガティスは、ジェナイディンの一撃を躱さなかった。
その身で以て、受け止めたのである。
しかし、結果は――無傷だった。
(……捨て駒だ。これも、捨て駒だ。刃は、届かねば意味が無い。刃を向けるからには傷を負わせられねば意味が無いのだ。つまり……、ジェナイを差し向けてくることこそが俺への――。誰だ……? 誰が俺に、悪意の弓を弾いている――!?)
「………ぐっ!!」
ジェナイディンは魔力で黒い剣を作り出し、遮二無二斬りかかる。
けれど、どれだけ揮おうとも魔王ゼルガティスにはかすり傷一つ、つくことが無いのだった。
顔面を狙って、大上段に振りかぶった瞬間。
ゼルガティスの指先に銀色の光が瞬いた。
「ぐぁっ――!」
光弾が掠っただけで、ジェナイディンは吹き飛ばされる。
だが、宙には踏み止まった。
ジェナイディンが体勢を立て直そうとする一瞬で、ゼルガティスは間合いを詰める。
「最後だ。黒幕は、誰だ?」
そして、傲然と見下ろした。
「――――!」
魔王の眼光に当てられたのか、ジェナイディンは眩暈に呑まれたようにぐらつき。
「……世迷言を……! 此は我らが総意!!」
またしても魔王の威光を覆し、魔力の剣で魔王の左胸を狙った。
異様なまでにギラつく目で、魔王ゼルガティスに迫らんとする。
「……そうか(一思いに殺せ、と――?)」
呟きに宿る感情は褪せていた。
ゼルガティスの掌に銀色の光弾が生まれ。
「餞に、くれてや、――?!」
掌の光弾が忽然と掻き消される。
そして。
魔王の驚愕を待ち構えていたようにジェナイディンは嗤い、純然たる悪意を曝け出した。
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