第83話◆心残り~出陣
文字数 4,749文字
宮城正門を背後にする大広場は、今、無数の人々でごった返していた。
衛兵、騎士、魔術師、僧官等、武装した官の数が一番多く、官服姿の役人、侍従などが少数ながらも次点、わずかながらも侍女の姿も混ざっている。
息せききって駆けまわっている者、睨みを利かせるように立ち尽くす者、事務作業や負傷者の手当てに追われる者……。
活気にも似た混沌が、空気にまで伝播して、場を支配していた。
「遅いですわよ!!」
「――――?!」
駆けて来たグラディルを待ち構えて叱咤するのは、グラディルが置き去りにして来たはずのセレナスである。
ドレス姿は戦闘服へと変わっており、不安と不満の混ざった顔の侍女頭ミラルダがセレナスの傍に控えていた。
「手前、」
まさか、出陣するつもりか?! とどやしたかったグラディルの先を、セレナスはしれっと行った。
「非常事態ですもの! 〈転送〉の利用許可が下りてましてよ。それに――、迎えに来た私を置いて、一人で部屋を出て行った仕えが居るはずなのですけれど? 貴方、御存知ではなくて?」
ちなみに、セレナスがグラディルの行方を掴めたのも、魔法師団の〈魔法探知〉を利用したからである。
「んなの、……?! (見られてる!? こんな時なのに、監査かよ!? ……うあ、ヤバ……!!)……それは……」
或るものは遠慮なく、また或るものは正体を巧に隠して。
幾つもの視線が、グラディルに突き刺さっていた。
それだけならまだマシだったが、なぜか、騎士団の紋章が妙にチラつくのだ。
人でごった返す場所としては、不自然なくらい鮮明に。
これはもう警告と解釈するしかない。自分の役目(仕事と立場)を忘れるな! という。
晩餐会に向けて、近衛と騎士団から散々に扱かれ、絞られたグラディルとラファルドである。
此処で人目を憚らない揉め事を起こして、学習能力0という判定を貰うわけには行かなかった。
心なしか、侍女頭にも、とても冷ややかな目で見られている気がする。
主人を引き止めるべきなのは解っているが、その主人を勝手にぶっちぎって来たのも自分、という状況に葛藤するグラディルに決着をつけたのはセレナスだった。
「ま、非常事態ですものね。すれ違ってしまったことは、不問としましょう。責めても仕方が在りませんから。……解ってますわね?」
「……うう……、出るのかよ?」
グラディルの精一杯の引き下がりなど、セレナスは歯牙にもかけなかった。
「雇用主にも、責務というものがありますの。ふんぞり返っているだけで務まるのは、世間知らずのお遊びでしてよ! ――伝令!?」
「――――、あたっ?!」
意外な物を見た目でセレナスを見つめたグラディルの足を、すれ違い様に誰かが蹴っていく。
犯人に噛みつこうと振り向いたが、既に人混みに紛れられた後で、そんなグラディルの頭をセレナスの呼びかけに応じて参集する近衛騎士の一人が背後から叩いた。
「なにす――」
「――――」
噛みつこうとしたグラディルを睨みで刺し貫く。
流石に、気を抜かずに役目を果せ! と言われているのがグラディルにも解った。
「おほん! 状況はどうなってまして?」
セレナスの咳払いを合図に緩んだ気配が消え、武装済みの騎士の一人が進み出た。
現在は5人の騎士(前衛:3人(近衛:2人)、神官:1人、術士:1人)と、グラディル、侍女頭で、第三王女と輪を作っている。
「は! 現状、対象は王都の大街路を真っすぐに突っ切っております! 大城壁までは――後、5分かかるかどうか――」
「押し切られ、目前――?!」
端的な感想を口にして、近衛騎士から、ギラりと睨まれたグラディルである。
セレナスがグラディルを殴った。
「それをさせない為に、私達も出ますのよ! 支度はよろしくて!?」
殴られたのは癪だが、殴った理由は解かる。だから、グラディルは割と素直に応じた。
「……よろしいも何も、いらねえよ。〈力〉を使えば、大抵の装備は壊れるからな」
機動力を生かす為ではなく、装備を無駄にしない為に使わない。
少しばかり意外だったが、何とも贅沢な話だと、セレナスは呆れた。
「……、そう。〈結界〉は?」
別の騎士が頷いた。
「問題無く機能しています」
「敵の増援等は?」
途端に、近衛騎士の顔が硬くなった。
「……それが……、魔族共が絡んで来ておりまして……!」
晩餐会での狼藉といい、一体、何人の魔族が入り込んでいるのか。
そんな苛立ちが透けていた。
魔族の二文字に侍女頭の表情がはっきりと曇る。
そして、グラディルは懲りることなく、またもや感想を口にした。
「……ふーん……、存外に善戦してる、ってことか」
「善戦?」
セレナスがやや事務的に視線を向ける。
苛立っている騎士達の空気に気付いていないのか、グラディルは平然と話し出した。
「最短距離を行きたくなるくらいには鬱陶しい抵抗に遭ってるってことだろ。相手はドラゴン様だぜ? 最短距離は作ればいいだけだ。なぜ、それが出来ない? それと、増援が湧いて出てるってことは、一匹だけじゃ、まさかが在り得る、って判断したからだろうよ。んで、結界の機能ってのは?」
交換条件とでも言うように、グラディルは知りたい事を口にした。
敬語も何も無いグラディルの言動は周囲から顰蹙を買ったが、今度はセレナスが仕草で周囲を制止する。
それが今の自分への評価だと胸に留める為に。
『ふんぞり返っているだけで務まるのは、世間知らずのお遊びだけ』
それは自分への警句でもあった。
「敵対者と認定した者の魔法能力全般を、一定の範囲で制限できますわね」
「……ふうん。それだけ?」
セレナスの返事は、やや澄ましていた。
「見習いに教えられるのはね」
やっぱり、可愛くねえ! とグラディルが表情で語ったのは一瞬で。
「……、あっそ」
興味を失くしたようにそっぽを向いた。
騎士や衛士の片っ端から突き刺すような視線を貰いながらも、グラディルが態度を変えないのは胆力が在るからか、神経が太過ぎるからか、誰のことも信用していないからなのか。
「…………」
セレナスはため息を一つついただけで、咎めることもしなかった。
そして、さっさと次の質問に移る。
「人質の現状は?」
途端に、グラディルの表情が硬くなった。
腹を立てたことは別としても、自身が意地を張らなければ起きなかったかもしれない現状である。
「…………」
ため息をついた騎士とは別の騎士が応答した。
「正気でおられるようです。被害を広げないよう、差配を飛ばされているようでして――」
「でしたら、さっさと逃げだして下さるべきでしょうに……!」
侍女頭の口から、悪気の無い愚痴が零れた。
「ばあや……!」
セレナスが窘めるのは、非日常な現場での実務方である騎士達の顰蹙を買わない為だ。
それを承知していないセレナスの侍女頭ではないのだが。
「非常時だとは、弁えております! ですが、御出陣だけは、何卒、思い留まり頂けませんか?」
落ち着いた口調とは裏腹に、侍女頭は大の男でも気圧される気迫で主人に迫った。
しかし、セレナスは真っすぐにその目を見つめ返す。
「ミラルダ、有難う。けれど、それは出来ない相談ですわね」
「殿下! どうしても、で御座いますか?!」
ミラルダの声は悲鳴じみていたが、何処か、主人の返答を予感していたような節があった。
セレナスは一度だけ、言い聞かせるように目を閉じる。
「曲りなりでも、主は私。私が主なのです。指を銜えることはしませんわ」
指を銜えるとは、ラファルドの処遇を現場に一任するという意思表示。
どんな結末を迎えようとも、文句はつけない、ことになる。
「……ですが、ですが……!」
命を落とすかもしれない窮地に飛び込んで欲しくはないが、人間的な成長を目の当たりに出来て嬉しくもある。
侍女頭の複雑な葛藤を、グラディルも見て取っていた。
セレナスは殊更元気づけるように微笑んだ。
「今夜の騒動では、王都の敷地から外には出ない。そう、約束します」
「…………殿下……」
侍女頭は渋々と一歩退いた。
セレナスは切り替えるように、別の話題を近衛騎士に振った。
「クリスファルト様は?」
出発前に顔を通しておこうと考えたセレナスである。
場合によっては、ラファルドが攫われたことを詫びなければならない。
しかし。
「陛下に伴われまして、最前線に」
てっきり、城の奥で報告を待つようなタイプだと考えていたが、実戦の場での補佐も可能らしい。
セレナスは自分の中の人物像に、修正を掛けておく。
謝りに行くときは、存外に痛い目を見てしまう可能性が出てきてしまった。
そして、グラディルや侍女頭に引き止められた自分以上に、城の奥でふんぞり返っていなければならないはずの国王が、とっくに戦場に立っているという。
(自分を棚に上げて)頭が痛い気がしたが、間違っても戦場に立てない人物に会って来たばかりだ。
もしかしたら、彼の心情を思いやってのことかも、と割り切ることにした。
どのみち、公国最強の武人、などというものは切り札だ。
最悪に至る道程が現実としてちらつき始めるまでは、出番など無い。
「……そうですか。では、宮城は?」
宮城に詰めて、現場の情報を詳細に追いつつ、事態が(公国にとって)潤滑に動くように指示を飛ばす(今回の)後詰ともいえる立場の人々のことを指していた。
前線にとっては縁の下の力持ちであり、見方を変えれば、もう一つの戦場と呼ぶことが出来る。
「騎士団長、宰相閣下を初めとした文武の重鎮方が揃っておられます!」
騎士の返答に、セレナスは頷いた。
「ならば、一晩程度、びくともしませんわね!」
自分が不在でも問題無い時間を見積もったつもりのセレナスだったが。
「殿下!!」
夜遊びまでは容認しません!! ――ラファルドを救出したら、即刻帰還ですよ!! という、侍女頭の釘にぶつかってしまった。
セレナスは聞こえなかった振りをして、力強く微笑んだ。
「必ず、戻ります! ――解ってますわね?」
侍女頭の心情を汲んで、セレナスの急所を突こうと、密かに背後を取っていたグラディルを、セレナスは見透かしていると一瞥する。
そして、交換条件は今尚健在、という釘でもあった。
「ちっ……! ばあやさんにゃあ悪いが、出張中のおっさん達にはいいカンフルだよな。ま、皆が付いてる! ってことで」
「――――」
グラディルの、妙に愛嬌のある笑みに、ミラルダは「頼りになるのか、ならないのか、解からなくて困ります」と、諦めたため息で返す。
「んじゃ、先に行ってくれ」
「……グラディル?」
セレナスも、現場までの同行役兼護衛の騎士達も、揃って怪訝な表情をグラディルに向けた。
応答先に選んだのは主人であるセレナスだ。
「初っ端から、全開で行く!」
グラディルは目を閉じて、ラファルドと二人で作り上げて来た、自分の中のスイッチを入れる。
すると、あっという間に竜の鱗が全身に生え揃い、指は鋭い爪へと変化した。
「魔法は、酷く利かなくなるから。現場で颯爽と――は、まだちょっとな」
言葉はまだ聞き取れるものの、別人に思われかねないほどくぐもった響きだ。
初めて見る変身であることが、余計にセレナスの不安を煽った。
「――――、……大丈夫、ですのね?」
セレナスがきつめに問うと。
返って来たのは辛うじて、笑顔だと解かる顔だった。
「おう! 手前こそ、お付きのおっさん達をハラハラさせる真似は慎みやがれよ! 腐っても、公国の王女なんだからな! ……偽者説、在るけど」
ぼそりと呟かれた最後の一言が、セレナスには一番癪だ。
本物だろうと、偽者だろうと、セレナス=アストアクルはこの世に一人しかいない。
そして、それは自分だ。
「――余計なお世話!! でしてよっ!!」
かなり頭に血が上ったセレナスの一撃を、グラディルは易々といなして、笑った。
「そんじゃ、お先ぃっ!」
微かな土煙を残して、グラディルの姿が消えた。
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