第54話◆蕾も花のうち(2)
文字数 3,992文字
フィンジェを初めとした初夏を告げる花々に囲まれた中庭で、人払いが成るなり、ゼルガティスが自ら切り出した。
「――で? 世間話は口実だろう?」
セレナスはくすり、と微笑んだ。
「まるっきりの嘘、でもないのですが……。四季を愛でる。些末なことでしたでしょうか?」
訊いてみたいことはあったが、どう訊けばいいのか考えずにも居られない。
間を持たせる為、乱れた気持ちを落ち着かせる為、敢えて景色が綺麗な中庭を選んだのである。
せっかちではなかったが、気が長いとも言えない。
政治が絡まなければ、ゼルガティスは実直な気性なのかもしれなかった。
「些末とまでは言わないが……さりとて、気が休まるとも言えんな。話題は恋敵絡みなのだろう?」
「まあ……!」
”恋敵”の一言に、セレナスは目を丸くする。
先だって振られたばかりだというのに、中々に往生際が悪い。
「お戯れを」
セレナスが微笑むと、魔王はむっすりと不機嫌になった。
「そう、思うか?」
王女の清楚な微笑に、複雑という趣が加わった。
「始まってもいない舞台に乗ることが出来る役者はおりませんもの。あれは敵、これは味方と役を割り振った所で、詮無きことで御座いましょう?」
「……ふむ。では、魔王と姫君の間に在る世間話とは何かな? 劇作家なら、間諜顔負けの聞き耳を発揮しそうな話題だとは思うが」
セレナスは胸中でため息をついた。
「つむじ風とは騒がしきもの、そう弁えているつもりではありましたが、魔の国から吹いてくる風は早く早くと囃し、急き立てる物なのですね?」
ゼルガティスの表情が微妙になる。
「……ふむ。意中の異性――恋人と呼べる女人が相手なら、回りくどい駆け引きも楽しみの一つと思えようが……恋の歌劇はまだ幕を開けていないのだろう? ならば、男優でも女優でもないただの他人。算術の手習いは教師を相手にしてもらいたいものだな」
「まあ――!」
それからしばらく、王女と魔王の間には微妙な空気しかなかった。
どれだけの時間、風がそよいでいただろうか。
白い花をつけた枝をしならせるフィンジェにゼルガティスが手を伸ばす。
「『それが出来たら、どんなに楽か――』とは、どういう意味でしょう?」
その一枝に触れるか触れないかのタイミングで、セレナスが声を掛けた。
やっぱり、それか! と、ゼルガティスは表情で語り。
「……さあて、なあ……」
惚ける素振りを見せた。
セレナスはただ、待つ。
フィンジェの枝が魔王の手をくすぐるように揺れた。
「……セルゲート家は、大陸ガルドラでもそうと知れる家柄だが――その正体は謎、とされていてな。先日の騒動で初めて顔を見たわけだが」
「如何で御座いました?」
「珍しいな」
「まあ……?」
「ガルドラにも在る。神授の異能を司り、揮う家なら、な。だが……魔族まで人に包め、理解を示す家は……無いな。知る限り。羨ましいとも思わないが――どう育てれば、いっそ奇矯と形容しても構わない気性に育つのか、興が惹かれる気もする」
「奇矯……。それほど、珍しいものでしょうか?」
「珍しいとも。ガルドラの神祇共は、美しい題目を高々と掲げはするが、魔族はとんと蚊帳の外に捨て置くばかりでな。存在を忌々しく思うことは有れど、感謝のかの字も抱く気にはならん。魔王という立場が在ってのことだろうだが――見逃されるのも、敵意を煽られ、嗾けられないのも、初めてだったな。優秀な術者なのだろう?」
セレナスは当たり障りの無い応答を選んだ。
「そうだと、聞き及んでおります」
「――だろうな。けれど、若い。見かけ通りの歳だろう?」
「……魔族は、違うのですか?」
「一概には言えないが……見た目と実年齢がそぐわない連中は珍しくないな。そういうのに限って、煮ても焼いても食えそうにないのが多かったりするし」
「まあ……!」
セレナスの唇が微かに緩む。
そして、それを待っていたように、ゼルガティスの空気も硬さが抜け始めた。
「10代で稼業に携わる。優秀には違いないだろうが、少年だ。突然、見合い話などが降って湧いたら――狼狽しないはずがない。そこに幼さは在ったとしても、悪気などありはすまいよ」
「……そういうものなのでしょうか?」
「おや? ……殿下は違われるのかな?」
「私は――末席といえど、王族。自由になる色恋沙汰など、滅多な……、……違いませんわね。困りましたもの。終わった話とはいえ、魔王陛下が見合い相手と知らされた時は」
ゼルガティスの表情が微妙になる。
「……そういう、ものかな?」
「では、陛下でしたらば如何なさいます? 親なり、親代わりなりが突然、『お前に嫁を貰って来た。大事にしろよ』と、見たことも聞いたことも無い、言葉が通じるのかさえ分からない女性を連れて来られましたら?」
「それは――、…………うーむ……。困るな、確かに」
まだ不本意ではあるのだろうが、大分納得した表情だった。
「市井であれば、感情が納得するまで、意地を張ることも敵うのでしょうが……」
言葉が途切れたセレナスに、ゼルガティスはため息をつく。
「王族の婚姻とは政が付き纏うもの。国にとって重大であれば、個人の意思や感情で無下にするのも厳しくなる、のが当然――か。……難儀な物だな。ただ生まれついた、それだけだろうに。だが、難儀さで言えば、此処の草木もそう変わらんがな」
「……まあ、草木が、ですか?」
「そうだろう? 人も魔族も美しいから、いい匂いがするから、とか理由をつけて思い思いの場所に草木を持って来るが、当の草木はそんなことの為に枝葉を広げ、花を咲かせ、実を実らせるのではない。全て、自らの命……種を次代へと繋いでいくためだ。我々と同じように。そもそも、草木の美醜、香りの良不良など、ただの結果論に過ぎん。人や魔の物差しが、草木にとってどれほど重要だというのか?」
「…………」
「おまけに、此処には自由が無い」
「――――!?」
セレナスははっとしてゼルガティスを見つめる。
「どれだけたわわに実らせようとも、その果実たちは自由に新天地に転がり落ちていくことは出来ない。庭師が管理しているからな。……だが」
「?」
「野であれば、それは競争だ。獣たちのように解り易いものではないが、枝から落ち、地面についた所から始まる、れっきとした生存競争だ。無事芽吹いたとしても、成木になれる保証は何一つない。大雨に流されるやもしれず、乾燥に干からびるかもしれず、地割れに呑まれるやもしれず、病に蝕まれ朽ちるやもしれず」
「では、此処の草木たちは幸運、不運、悲運のいずれなのでしょう?」
ゼルガティスは悪戯めかせた笑みを浮かべた。
「それが困った所、だな。確かに、此処には自由が無い。言うなれば、檻ような場所かも知れないな。だが――乾けば水をやる。発育に備えて肥料は足す。万能ではないにしても、病に対する備えもある。良い花、良い実、良い株を作る為の剪定もしてくれる。或る意味、至れり尽くせりだ。気紛れに情愛を傾ける人や魔を悪しと看做さなければ、悪いとも言い切れない環境だろうよ。生き抜くための支えをくれるのだから」
セレナスに浮かんだのは、自嘲の気配が有る笑みだった。
「……有用と看做されている内は、ですけれど」
「おや?」
「庭師には庭師の苦労が御座いますわ。その一つが、生える先から引き抜かれていく雑草ですわね。ですが、陛下の御言葉をお借りすれば、”雑草”もまた勝手な人や魔の物差し。懸命に生きる草木の一つに変わりは在りません。そうでございましょう?」
ゼルガティスは風に揺られて頬を撫でて来るフィンジェの一枝を捕まえた。
「……なるほど。殿下はまだ蕾であられるか。花開く時を恐れる、硬い蕾。瑞々しくも初々しいことだ」
そして、枝を放す。
再び風に浚われる枝は、風に包まれているようにも見えた。
「……あの?」
忌憚なく率直であればこそ響く、どちらかと言えば羞恥まじりの照れがセレナスにあった。
歯が浮くような世辞であれば、むしろ、貰い慣れている。
色恋沙汰でないからこそ、褒め言葉として通じたのだ。
「ん? ……ほほう。国ではこれでも、口下手だの、がさつだの、異性受けが今一つな俺なのだがな。修辞に照れて頂けるとは喜ばしい。蕾を綻ばせる役目も承れればなお良し! なのだが……如何かな?」
「出来ない返事は、しないことにしておりますので」
悪い気はしなかったが、異邦の女性たちの評価は間違ってもいないとも思った。
「はっは。それは仕方がない話だ。花には開くべき時がある。それまでは蕾であればいい。それは恥じるべきことでは無い」
「ですが……、何時まで、蕾は蕾のままで居られるものなのでしょうか?」
ゼルガティスの顔に掛け値なしの苦笑が浮かんだ。
「蕾の内が花、でもあるまいに……。申し訳ないが、それは医者に正確な余命を質すようなものだぞ? 一日と宣告しても、数年経て未だ――ということもあれば、数か月のはずが数時間で終わることもある」
セレナスの顔が俯くのを、ゼルガティスは見ていた。
「焦らぬことだ」
「?」
「美しく開く花は、蕾の時から待つことを知っているものだ。咲き急ぐことは散り急ぐことと同じ。花開くことにだけ焦がれれば、虫も寄らぬ花になる。風雨に曝され耐えるだけの時間も、啄もうとする嘴から隠れ逃れる幸運も、何一つ無駄になることはない。限りがあるのなら、尚のことな」
「まあ……!」
「生憎、我らは草木ではないのだがな」
「……まあ!」
そして、話の切れ目を待っていたかのように割り込んだ咳払いがあった。
「何です?」
王女の背後に控えていた侍女頭が一礼した。
「殿下、……ゼルガティス陛下」
魔王の表情がわずかに明るくなる。
「おう」
「昼食の用意が整いまして御座います」
「……ふむ。ご一緒させて頂いて、よろしいかな?」
「こちらこそ、お願いいたしますわ。陛下には色々お尋ねしたいことが御座いますから!」
セレナスは華やかな王女の笑顔を振舞った。
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