第125話◆新たなる日常(1)
文字数 3,097文字
「――や、やられた――!」
王女の私室の入り口で、茫然と呟く騎士が一人。
扉越しに声を掛けても、扉をノックしても、一向に返事が無いことを怪訝に思い(用件は昼御飯会場の案内)、上官の了解を得た上で扉に狼藉を働いた。
その結果が――正装を纏い、肖像画もかくやという美しさで佇んでいるはずの第三王女は、何処も居ない、というものだったのである。
部屋の周囲には近衛、騎士団合同で選抜した精鋭部隊が厳重な監視網を構築し、塵一つ見落とさない覚悟と気迫で任務に就いていたはずだった。
なのに、部屋は何時の間にやら蛻の殻――。
「……で、出あえ、出あえ――!! 皆の者、してやられたぞー!!」
「何だと?! …………うわっ!! またか――!」
犯行現場を確認した精悍な騎士達が、真っ青な表情で一目散に散った。
先頃発生した市場での騒動を皮切りに、活躍が著しい第三王女セレナスだったが、その一方で顰蹙も盛大に買っていた。
王女という肩書に理想(幻想ともいう)を重ねるのは、(実の父も含めて)珍しい話ではなく。
王女にあるまじきお転婆ぶりが少なくない人々の眉を顰めさせていたのである。
市場の騒動はセレナスの脱走が無ければ(その時点では)発生しなかった可能性が在る(どんなに低くても、0でなければ”在る”)し、(魔王を囮に使った)公式晩餐会(発案者が当の第三王女である)では、影武者も立てずに戦場に立ち、大暴れ……もとい、大活躍をした。その直後に、王都に竜が現れて、城下は大騒動になり、その現場では一兵卒に紛れて(魔王と(魔王が相棒だった事実は無かったことにされている))大奮戦。誘拐されたセルゲート家の子息奪還においては、自ら作戦の立案に関わり、指揮官として最前線で采配を揮うという始末だ。
やかまし方としては、苦言を並べて立てている最中に呼吸困難で失神せざるを得ない。
加えて、父親は(何食わぬ顔で)便乗した。
国外からの賓客が滞在中、という事実を口実に、セレナスに毎日を”王女らしく”過ごすように勅命を下したのである(但し、威厳を籠めて命令しただけで、お転婆については何も言及しなかった)。
セレナスは毎日が祭事の如く、日々美しく煌びやかに着飾り、清楚な微笑みを手当たり次第に振りまいて回ることを強制されたのだった。
しかし、活発に、能動的であることを好むのがセレナスの気性。見世物同然の飾り立てられた日々は退屈かつ窮屈で。
勅命を拝して二週間。曲りなりでも大人しく我慢していられたのは、最初の一日だけだった。
「ふっふっふっ……! どうですか!! 誰にも気づかれなかったでしょう?」
宮城の片隅、厩の影に隠れながら、セレナスが威張る。
ラファルドは呼吸を整えながら(人並みよりは身体を鍛えていても、超人的なタフネスに付いて行くには「並」程度の体力である)、胸中で突っ込んだ。
(それはそれで頭痛の種なんですけどねー)
脱走が簡単では警備も何もあったものではないし、この前の騒動から何を学んだのかと突っ込まれた時に切り返すのが苦しい。
本当は脱走を諫めたかったラファルドであるが……たまには見逃しても――お付き合いをしても、いいか、という気分だった。
今まで、イメージの中にしか存在しなかった「王女らしい毎日」とやらは想像以上に窮屈で、何かにつけて”王女らしさ”を押し付けられる息苦しさには、図らずも、同情を覚えてしまった。
セレナスはセレル=アストリア公国の第三王女に生まれ、第三王女として育ったが、朝、目を覚ましてから、夜、眠りに落ちるまでの全ての時間を不特定多数がイメージする”理想の王女”で在り続ける義務は無い。
神祇、神祇、と立場と役割で雁字搦めにされ続け、”「普通」という感覚”からかけ離れていくばかりだった自分(達)と、何が違うというのか。
加えて、主が道を誤ろうとする時に諫めるのも仕えの役目なら、(極力)主の意志に添うのも仕えの役目。
口煩いだけで煙たがられるようになり、肝心な時に役に立たないのでは雇われる意味が無い。
ちょっと不安があるとしたら、売り言葉に買い言葉で、うっかりセレナスの暴走を煽ってしまいがちなグラディルが無言、無愛想、無感動を決め込んでいることか。
揃って、鉄火――というか、拳によるコミュニケーションを躊躇しないタイプな上、揉め出すと派手な騒ぎになるので、多少は不穏でも静かなのはマシな方の反応だろう(と、思うことにした)。
とりあえず、体力回復に充てる時間を一秒でも余分に稼ぐために、ラファルドは合いの手を入れた。
「……し、しかし……。よく、御存知でしたね、あんな抜け道――」
”抜け道”なのだから、余人に知られていないのは当然だが、セレナスの私室から厩の影まで、見事なまでに誰とも遭遇せず、周囲から見咎められることも無かった。
惜しむらく(?)は走りっぱなしで、(特に)階段の上り下りがとんでもなくきつかったことか。
現状、このまま気絶したいくらい息が上がっているラファルドである。
(ほ、欲しい……! もっと、体力が……!! ラディのスタミナを1%でも分けて貰えたら――って、あれ? 王女殿下の御付きって、そんなに体力が要る仕事だったっけ……??)
そんなラファルドを、グラディルは馬鹿抜かせとばかりに拳骨で小突いた。
「城に付き物の秘密の通路を悪用しただけに決まってんだろうが!! ……まさか、暖炉にあんな仕掛けがあるとは思わなかったけどよ」
城に付き物の秘密の通路は、本来、非常用。それを気晴らしの脱走に利用しようというのは、確かに悪用の範疇だろう。
若干全身が煤けているグラディルが、雇い主に白い眼を向ける。
(……そういえば――)
女性ゆえに線が細くなるセレナスでさえ、振り返るのに苦労する幅の通路が結構在ったことをラファルドは思い出した。
三人の中では一番体格に優れるグラディルでは当然のように壁と衣服が擦れ合い、何時、通行差し止め! となるか、冷や冷やの連続だったはず。
「悪用ではありません。活用、したのです。その辺り、はき違えないように! それと。一応? 無駄に筋肉を張り付けた貴方の図体でも、ギリギリ、耐えられる通路を選んで差し上げましたわ。感激のあまり這いつくばって下さっても、結構でしてよ?」
「……ほっほう……! そいつぁ、有難ぇこって!!」
待ってましたと言わんばかりの挑発に、待ってましたと言わんばかりの青筋。
(……やっぱり、こうなるよねえ……)
お鉢(=宥め透かし役)が回って来たラファルドは心の中で涙した。
「……ああ、それから。秘密の通路の所在が公になったらば――処刑、ですから。くれぐれも、心に留め置いて下さいませね?」
「……解ってるよ!」
グラディルは不貞ながら、視線でラファルドに『本気?』と尋ねて来る。
肯きで『本当!』と返すと。
厩を見下ろせる窓の一つ(高さから類推すると三階か)に、緊迫した騎士の顔が現れた。
「――あ。発見!! 姫様が、厩におわされたぞ――!! 裏切り者共も一緒だぞ!!!」
「……はあっ?! 何さ、裏切者って――!!」
「……たく。とっとと逃げるぞ、馬鹿!」
ラファルドは心外だと憤るが、グラディルからすれば『まだ気づいてなかったのかよ、この呑気者!』である。
そもそも、王女の脱走を阻止したい騎士団と、(本日は)共犯者である自分達とは相容れられる立場には無い。
三十六計逃げるに如かず、とばかりに相棒の首根っこをひったくった。
「わあああっ?!」
何故、見つかるや否や一目散に逃げた雇い主の後をグラディルが追うのかと言えば、王女本人には加減した灸しか据えられない分、容赦の無いしわ寄せが自分達に迫るからである。
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