第76話◆迷い家
文字数 3,453文字
ずん、ずん、ずん、ずん…………。
むっつり顔のへの字口が、我が物顔で宮城の廊下を歩く。無礼講という通知が届いているからか、すれ違っても、誰からも咎められない。
もっとも、周囲の状況は少しも目に入っていないのだが。
(――糞っ! そんなに、俺は頼りないのか!!?)
グラディルは腹立ちが止まらなかった。
ラファルドの異能の減衰に気づけなかったことも、打ち明けて貰えなかったことにも、強く打ちのめされている。
(なんやかんや言っても、あいつは貴族だ!! 外面じゃあ、親父を勇者だ何だの持ち上げておいて、陰で散々に罵ってやがった連中――、――違う! あいつはそんな奴じゃないっ!! …………だったら……、だったら! 何で――)
きつく、握り込まれる拳。
(……俺が、役に立たないからか??)
ふと足を止めて、片手を目の前に持って来る。
目の前で人間の腕から鱗を生やし、骨が肥大化して隆起した異形のそれへと変化させた。
(この力。これが、もっと役に立てば――――)
軋むような異音と共に、鱗の一枚一枚が成長して大きくなり、指が鋭い爪へと変化していく。
(思いのまま、操れるようになれば――――、――駄目だ!! 駄目だ、駄目だ!!! ……忘れるな! 俺は、失敗してるんだ!! あいつが……、あいつが居なかったら――!!)
力を渇望する心が煽る誘惑を、理性の拘束で退ける。屈辱と恐怖に縋ってでも、思い留まらなければならなかった。
けれど、それは結局のところ、一番歯がゆい現実を突き付けて来る。
自分一人では何も出来ない、という。
(……解ってる……! 寄り掛かってばかりじゃ駄目だ、ってのは。……俺の意志で、俺一人の努力で、腕を元通りに戻せたなら――!)
異形化した腕をじっと見据える。
心を落ち着けるために深呼吸すると、そっと目を閉じた。
(戻れ……! ……戻れ、戻れ、戻れ! ……戻れ! 戻れ、戻れ、戻れ! 戻れ!! 人間の腕に、戻れ――――!!!)
念を解き放つように、カッと目を見開く。
異形化した輪郭が丸みを帯びたように歪み、毛羽立っていた鱗が撫でつけられたように倒れる。
(よしっ! 後は、このまま――、!?)
骨の芯が溶け出したような熱が奔る。
すると、元の人間の腕に戻るどころか、自身の胴回りと互角の太さにまで成長してしまった。
「……ぐぅっ……!!」
そんな腕は、人間には在り得ない。
(……くっそお……!! 解放するだけなら、まだ、簡単なのに――!! ……でも、腕が太くなる前のあの感覚。あれは――)
身に覚えが在った。
かつては、ずっと焦がれていたもの。〈力〉が桁違いに目覚め、解き放たれていく時と同じ。
(『〈力〉は、持ち主の意志の応じる』それが基本で、原則だって。……でも、今は腕を元に戻そうと――、!? まさか……、人から竜に近づく時以上の〈力〉が要る、ってのか!? それも、さっきの感じだと倍じゃ済まされねえ! 乗じゃなかったか!? 乗じゃ!!!)
10の2倍は20である。だが、10の2乗は100だ。桁が違う、と言うしかない。
グラディルは真っ青になった。
(……不味い!! ……、不味い、不味い、不味い!! 25%増し程度で意識が飛ぶすれすれになるってのに――倍どころじゃない質と量の〈力〉なんて、扱えるはずが――)
今までの苛立ちは、もう、何処にも無い。
今のグラディルを支配するのは、取り返しのつかない失敗をしでかした恐怖と後悔。
理性を辛うじて守っているのは、暴走だけはさせられないという、一抹の義務と責任だった。
(…………畜生……っ!! 畜生っ!! こんなだから、こんなだから――――!!)
「君?」
「!!!」
慌てて(腕を隠すように)振り向けば……貴族と一目で判る華やかな服装の、しかし、見知った顔の壮年の男がグラディルを心配そうに見つめていた。
「……ディム、小父さん……!」
「? ……え、あ――! ラディ君か!! ……いやあ、失敬! まさか、近衛の兵服とは思わなかった!」
かんらと笑うのは、ディムガルダ=セルゲート。
セルゲート家先代当主であり、ラファルド達兄弟の実父。グラディルの父クレムディルの為に家伝の異能を喪失した当人だ。
グラディルにとっては、人も気も、少々良過ぎる所が在るように見える小父さんだった。
「……ファルの奴から聞いてませんか?」
言い訳を捻り出す時間稼ぎに話題の先手を取り、無意識に異形化した腕に触れる。
すると、サイズだけは人間の物にスケールダウンしていた。
「はっは。クレム風に言えば、『あの野郎、ちっとも報せを寄越しやがらねえ!!』という所だな。大変でないはずがないのに、一人暮らしが楽しいらしい。ラディ君にも迷惑を掛けてると思うんだが――」
音沙汰が無くなってから何年も経つのに、未だクレムディルは親友であるらしい。
小父の心遣いがグラディルには有難かった。
「俺ほどじゃないですよ」
あながち謙遜ではなかったのだが、ディムガルダの目は本当に? と、問いかけて来る。
仕方が無いので、他言無用を押し付けられていたネタの幾つかを開帳することにした。
「……まあ、流石に、学生寮の水道の使い方知らなかったとか、電灯がついてる部屋で、壊れてるわけでもないのに、カンテラで夜を過ごしていたりとか知った時には、呆れましたね。速攻で、仕込ませて頂きました」
「……やはりなあ……!」
蛙の子は蛙だったか、と言いた気な実感に、グラディルは当然の突っ込みをした。
「小父さんも、覚えが在りそうですね?」
「まんま、同じだよ。ガルの奴には、『野営が問題無く出来て、特別でもない文明の利器を使った生活が出来ない……。普通、逆じゃないのか?』と、呆れ――、……ラディ君?」
言わなくても解ってるね? と笑顔で釘を刺してくるが、微妙に抜けた感じだけはどうにもならない。
はっきり言って、笑い飛ばしたかったグラディルである。
「内緒にしておきますよ」
「うむ。よろしく頼もう。……あいつにだけは言われたくないがね。まあ、同じなのだろうな。ずっと、狭い箱庭で生きて来た人間、という意味では。しかし……、思う以上に似合っているな、その兵服」
感心して、遠慮なく見て回ってくれるディムガルダ。
嬉しい気もしたが、気恥しさが勝った。
「……そうですか? 殿下の嫌がらせですけれど。『自分だけが着飾りを強制されるのおかしい!』って、拗ねてましたし」
口調と顰め面まで真似るサービスをつけてみる。
事情は承知しているのだろう(何せ、国王とツーカーな仲である)。思う以上に早く、苦笑が浮かんだ。
「……ははは。しかし、クレムには見せられんな。『お前だけ、ずるい!!』と、絶対にやっかむ」
父を評するディムガルダの言葉の方が、グラディルには意外だった。
「ええっ?! 騎士団なんて、目の敵ぐらいにしか考えてなかった親父ですよ!?」
城下の警備も担当する騎士団とは、国王に弟子入りする以前から犬猿の仲で、勇者となってからも微妙な関係だったと知っている。
どうして、そんなことになるのか、理解できなかった。
「いやいや、拗ねてた拗ねてた。『俺じゃあ、逆立ちしても似合わねえなあ……!』とね。ガルとの鍛練で汗をかいた時の間に合わせに用意した時だったが」
初めて聞く昔話に、グラディルは素直に感心した。
勇者の公認を得てからは、酒が入った時でさえ、クレムディルは騎士団の悪口を言わなくなった。
母は『あの人も大人になったもんよねー』などと笑っていたが、そんな背景があってのことだったのだろうか。
「へえ……。あ、ところで――、って、聞くまでも無いですよね。ファルですか? クリスさんですか?」
楽しい思い出話は打ち切って、グラディルは実務的な関係に戻ることにした。
兄弟の父親が館での蟄居を中断して来ているのである。息子たちに会いに来たと考えるのが普通だった。
「俺で良ければ案内しますよ? 数週間で、多少の土地(?)勘みたいなのも出来ましたし。ただ、その……」
「その?」
「ファルとは、さっき喧嘩したばかりなので……、出来れば――」
今はまだ顔を合わせたくない。無事に逃がしてもらえるよう、手配を頼みたかったグラディルである。
ところが。
「君だよ」
「はあ……?」
グラディルはディムガルダを見つめ返してしまう。
ディムガルダはいつも通りの、穏やかな笑顔だった。
「今宵は君に会いに来たんだ。どうしても、伝えておきたいことが在ってね。時間を貰っても、構わないかい?」
「――――」
咄嗟に返事が出来なかったグラディルは、再度ディムガルダを見つめ返してしまった。
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