第91話◆灯火
文字数 3,609文字
「……ファル……!!」
グラディルの呟きに応えるように、ラファルドの姿が現われた。
そして、にっこりと笑う。
「久し振り。無茶はしてない――とは思わなかったけど、元気で何より」
「……るせえわ……!」
顔こそ背けていたが、グラディルの目に滲む涙に絶望の色は無い。
「――、無事だったなら、さっさと逃げ出して来んか!!!」
「陛下! あれは〈神通〉の幻影にて、何卒御自重を!!」
暴れ出しかねない国王の憤懣を、クリスファルトが掣肘する。
国王と兄と近侍のやり取りが聞こえていたわけではないだろうが――。
「馬鹿な……!! 封戒の陣は完璧だったはず――!?」
目を白黒させながら狼狽する白い竜に、ラファルドは冷たく眉を顰めた。
「完璧? ……ああ、そんな自負をするから、抜け穴に気付かなかったのでしょうね。気に病まれることは在りませんよ。神ならぬ身なのですから。お互いに」
「――――!!」
ラファルドはしっかり、セルディムの神経を逆撫でしておいて。
「と、いうわけなんで、お迎え――というか、回収よろしく。当然、あれをぶちのめして、完勝してから、だよ?」
と、音声だけを国王にも中継したのである。
「――クリス!」
「……何でしょうか?」
わなわな震えながら現場を睨み続ける国王と、そんな国王から目を逸らすクリスファルト。
「今からでもいい。あれの躾をどうにかしろ!! 可愛気が有り過ぎて、殴りたくなるほど! 腹が立つ!!」
気持ちとしては解らなくもないが、間違っても同意は出来ない。
こちらに声を届けられるということは、こちらの声を拾えるということでもある。
迂闊な返答をした日には、ラファルドに拗ねられてしまうではないか。
有力な手駒や伝手を一つでも多く取り揃えておきたいクリスファルトとしては、可愛い弟から可愛くない灸を据えられる真似は避けておきたいのだった。
「それは――何卒、父に直接お伝え頂けると……。一説によれば、その父ですら、匙を投げたとか、何とか――、ですが」
奥歯に物が挟まった言い方だが、要は、諦めた方が早いですよ、ということである。
「…………」
国王はじろりとクリスファルトを一瞥したが、「一説」が事実だと知っているので、「役立たずめ!」とは言わなかった。
「……ファル、俺は――」
焦燥を滲ませるグラディルに、ラファルドは穏やかな目を向ける。
「怖がらなくて大丈夫。その焦りも、迷いも、正しい物だから。君は、逃げてなんかいない」
白く濁った光弾が二人を直撃した。
「惰弱共が何を抜かすか! 敵に止めを刺せない程度で、何が出来る!!」
しかし、魔王も殺す攻撃を受けて、〈竜の血〉の恩恵を受けるグラディルはおろか、幻影に過ぎないはずのラファルドさえも無傷である。
憤懣やる方無い感情が込められた台詞への返答は、何処までも冷たかった。
「みっともない腹いせは、勘弁願いたいですね。罪と向き合うことが恐ろしいから、止めが欲しいのでしょう? 人はそれを、臆病と呼ぶのです」
「……何だと――?!」
竜とは、絶大なる力と恐れを知らぬ勇猛さの寓意でもある。
臆病などと片づけられて、面白いはずがない。
だが、セルディムの声には少なくない畏怖が混ざっていた。
グラディルは庇わなかった。
神祇の〈神通〉とは相性が良くない竜の〈力〉から、ラファルドを庇わなかった。
なのに、ラファルドは健在。
つまり、神祇でありながら、神すら食い殺す竜の〈力〉を退けたのだ。
そんな者は、見たことが無い。一度たりとて、出会ったことが無かった。
「臆病でしょう? 貴方が今、グラディルに討たれたいのは、背負えない荷物を丸投げしたいだけのこと。異議が在れば受けますが?」
「……貴様如きに、何が解かる……!!」
セルディムは不快気に歯を軋ませる。
目の前の少年が得体の知れない化け物に思えて仕方がなかった。
ラファルドの冷淡さは加速する。
「寝言は寝てからにして下さいね。ついこの前、ちょっと関わっただけの誰かの心底なんて、早々、関心が持てるものではありません。それに、腹を立ててますから。グラディルを何だとお思いですか?」
惰弱だと煽られるまま、セルディムに止めを刺していたら――グラディルには取り返しのつかない傷しか残らない。セルディムは苦渋に満ちた人生を終えられてほっと一息付けたとしても、グラディルの人生は台無しになる。下手をしたら、セルディムの二の舞だ。
そんな不誠実を見透かせないほど、セルゲート家の神祇は、ラファルドは、甘くない。
「……おい」
グラディルが居心地悪そうに、ラファルドを止めると。
いつも通りの、ちょっと怖い顔(気が立っている)でグラディルを振り返った。
「何? とりあえず、僕からは――、あれの生殺与奪はラディの好きにしていいよ。どうしても許せないなら、自分で負うべき傷だと思うなら――止めを刺してやればいい。でもね。そんな価値は無いと思うよ、あの人に。君より〈力〉が在っても、使いこなしているように見えたとしても、あの人は怖がりだ。君よりも遥かに、ね。僕には、ラディの拳が、魂が曇らないことの方がよっぽど大事だから!」
反論をシャットアウトするかのように、ラファルドは圧の在る笑顔を見せた。
「でも、俺は――」
感情を陰らせるグラディルに笑顔の圧を取り下げると。
「……解ってるでしょう? もう一度きちんと話し合うとしても、今はきちんと決着をつけなければいけない、って」
目を覗き込んで来るラファルドに、グラディルはむきになって反論した。
「解ってる! それは!! 俺が……俺が怖いのは――!!」
そこに、余計な差し出口が届く。
「〈竜の血〉を得ながら、恐れに呑まれるか――惰弱めが!!」
罵って来るセルディムを退屈そうに一瞥すると、ラファルドは両手をグラディルの顔に添えた。
「……?」
びっくりするグラディルに、掛け値なしの、満面の笑顔を向ける。
「大変よく言えました! 大事なのはありのままの自分と向き合えること。臆病でいいんだよ。迷ってもいいんだよ。今、君の目の前に在るのは、きちんと考えて答えを出さなければならないこと! 焦って、答えのようなものに飛びつけば、逃げ出したことになるもの。勇敢って、怖いものを知らない人のこと、じゃないでしょう?」
「そりゃ……、まあ」
歯切れの悪いグラディルの返事にも、ラファルドの笑顔は曇らなかった。
「大丈夫! ラディ、君ならなれる。クレムディルさんのように勇敢な大人に。クレムディルさんを超える勇者に!! だから――大丈夫。震える自分を恐れないで。疎ましく思わないで。見て見ぬ振りをして、一人に――孤独にしないで。勇気を発揮するのは、弱いと蔑まれがちな人なんだから!」
「…………」
結局、弱虫だと言われたようで、複雑にならざるを得なかったグラディルである。
ラファルドにも、ちょっと失敗したかな? という反省の気配が在った。
けれど、ラファルドはやっぱり、ラファルドだった。
「まあ、未熟なのは確かだよね。戦士としては勿論、勇者の卵としても。今だって、いじけてたよね? こんな事実は手に負えない!! って」
「仕方ねえだろ! いきなりあんなこと言われたら――!!」
流石に解る。嫌がらせに見せかけた叱咤激励だと。
単に、グラディルの現状を指摘しているだけだとも。
それでも、面白くない物は面白くないのだが。
ラファルドの笑顔が柔らかくなった。
「そうだね。僕が君だったとしても、驚いて戸惑うよ。その上、あんな言われ方をしたら――傷つくね。でも、恥ずかしいことじゃないんだよ、それは。誰が、何を、どう言おうと、人間は歩いていくしかない。一歩ずつ踏みしめて、積み重ねていくしかないんだ。そこに、例外は無い。天才だろうと、凡才だろうと、鈍才だろうとね。迷いも後悔も無い人生なんて、何処に在る!!」
うまうま乗せられるのも癪なので、グラディルは敢えて顰め面を作る。
「知るか」
ラファルドはくすぐられるように笑った。
「そう! 誰も知らない。誰も見たことが無いんだから、知っている誰かなんて居るはずがない。……精々、適不適とか、運不運ぐらいだろうね。在っても」
グラディルは歯を食いしばった。
そこまで言ってもらえても、自分の中には、逃げ出すことを許さない、現実よりも超然としたものが横たわっている。
「でも、俺の〈力〉は――」
扱おうとすれば洪水の如く氾濫し、抑えようとすれば獰猛な獣のように牙を剥く。
上手に扱えたためしなど、一度たりとてない。
だから、解からない。〈力〉が何の為に在るのか――。
そもそも、使えない〈力〉では在る意味が無い。
なのに、在る。
(恐らくは)自分がこの世に産声を響かせた、その瞬間から共に。
なのに。
「大丈夫。自分自身と向き合える今のラディなら、絶対に大丈夫だから――」
何故、そんなことが言えるのか。
何故、その一言に救われる自分が居るのか。
何故、その言葉を信じることが出来るのか――。
ふと、グラディルは思い出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)