第106話◆苦渋
文字数 2,046文字
「来ます!! 次の”波”まで、後2秒――!!」
魔術師が叫んだ通りのカウントで、濁った白と赤味を帯びた透き通った金色の激流が戦場を浚う。
魔術の〈結界〉の中で、セレナスと騎士団は一人と一匹の正面衝突の余波を何度もやり過ごしていた。
(……後悔しそうです……! このまま指を銜えて居なければならないなんて――、……あら?)
妙な方向に逸れてしまった自分の思考にセレナスは苦笑し。
一見無表情、しかし、その目には自分と同じような意志を宿している騎士の横顔に気付くと、セレナスはあるかないかの微笑を浮かべた。
「戦闘に混じれないのが不本意、ですか? (ええと、名前は確か――)騎士リグムワルズ」
「ん?」
不意を打たれたからか、一瞬、妙な顔を見せて、騎士は即座に取り繕った。
「あ――、いや……まあ、役に立たない歯痒さが無いと言えば、嘘になりますな。しかし」
「ええ。あれは想像以上に危険な代物ですわね。竜の姿が見掛け倒しの張りぼてだったなら――」
そこから先はセレナスも呑み込んだ。
騎士団は早々に戦線から離脱した。正確に言えば、離脱せざるを得なかった。
まず、武器が役に立たなかった。
全く刃が通らなかったわけではないが、紙の剣で木の盾に撃ちかかるようなもの、とあっては分が悪過ぎた。
一番致命的だったのは、盾や鎧等の身体、ひいては命を直接的に守る為の装備が皆目、役に立たなかったことだ。
セルディムの爪は鋼以上の硬度と耐久力を持つ装備を紙か何かのように易々と引き裂き、その尻尾は金槌が木箱を砕くように騎士団員を木っ端微塵に薙ぎ払った。
後衛に陣取っていてくれた術士達の切り札が無かったら――早々に不帰還者を出していたはずだ。
グラディルがまともに戦えなかったら、退避さえもままならなかったのだから。
「しかし、歯痒いですね……。我々術師の力が有意義に生きる状況、のはずなのですが……」
〈結界〉を担当してくれている魔術師が、会話に乗じて愚痴る。
気持ちは解るが、立場上、セレナスは窘めるしかなかった。
「魔眼をいなせる手立てが在れば――、でしてよ?」
魔術師は振り向かないまま苦笑を浮かべる。
「有る、と断言できるはずだったんですけどね――強度が桁違いだった、としか言えません」
当然、騎士団は考えた。前衛が役に立たないのなら、後衛の力を生かすべきだ、と。
そして、それに対するセルディムの反撃が魔眼――魔力を秘めた竜の眼、による睨み攻撃だった。
「睡眠、麻痺程度だったなら、まだ、無茶のやり様も在りました。けれど……こちらの心身を操って、同士討ちを強制してくるのは――」
歯軋りしたいほどの悔しさが横顔に浮かんでいる。
竜は魔力においても最強。そう解っていたはずだった。
けれど、現実には机上の自覚でしかなかった。
精神に耐性を与える装備を身に着けていても、碌な抵抗が出来なかったのだから。
(……本当、性質が悪い――!)
セレナスは胸中で同意した。
何時壊滅しても可笑しくない最悪の状況を回避できたのは、ラファルドのおかげだった。
正確には、幻影と呼びたくなるような半透明のラファルドだったが。
突然現れたラファルドが、魔眼に犯され、正気を失った騎士団員を片っ端から治療して回ってくれた。
そして、ラファルドの出現に驚き、騒いだセレナスのおかげで、グラディルがセルディムの魔眼に気付き、セルディムに魔眼を使う余裕を与えない、(多分)全力の攻撃を仕掛け始めたのだ。
同士討ちという最低最悪の事態は、とりあえず、避けられたものの、一人と一匹は衝突の度に尋常ではない破壊力と強度を持つ余波を戦場中に撒き散らすようになった。
おかげで、セレナスと騎士団員は戦場の端に押し込められ、術師の〈結界〉内で息を潜める破目になったのである。
おまけに、状況は刻一刻と悪化していく。
(このままでは、じり貧ですわ! 激突の余波が凄まじ過ぎて、〈結界〉を張る術師への負荷が尋常ではありません。何時破られても不思議はないのが、現状。〈結界〉が破られることになれば、犬死を強いる団員の選抜が始まる――冗談ではありませんっ!! ……だからと言って、グラディルに決着を急がせるのも簡単な話ではない。そこが頭の痛いところね。〈結界〉の強度に不安を覚える余波を簡単に産む現状でさえ、激突は互角。それを一方的に崩せるだけの攻撃――となると……〈力〉がグラディルにどんな影響を齎すことになるのか――私には、計り兼ねますわ。……こんな時の為の専門家、でしょうに……!)
若干の苛立ちを籠めたセレナスの視線の先には、戦場を真っ直ぐに見つめ続ける半透明のラファルドが居た。
(あれはあれで、未知数ですものね……。何処まで頼りなるのか、頼りに出来るのか。確実に言えるのは、失えばこちらの状況が悪化することだけ。どうにか……どうにかして、何か手を打ちませんと! このままでは、味方の自壊しか待っていない……! どうにか、どうにか――!!)
セレナスは必死に思考を巡らせて、悪化する一方の状況を打破する術を見出そうとしていた。
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